東京パラリンピックが教えてくれたこと

東京パラリンピックが教えてくれたこと
「誰もが“翼”をもっている」と教えてくれた開会式。
「違いが輝く」世界のすばらしさを伝えた閉会式。
東京パラリンピックの2つの式典が表したのは、パラアスリートたちの多様性、そして、逆境に立ち向かう力でした。延期の末の無観客という異例の大会になりながら、どうしてパラアスリートの姿は私たちの胸を打ったのか。
その答えは、ほかならぬ選手たちのことばの中にありました。
(スポーツニュース部記者 中野陽介 / 島中俊輔 / 金沢隆大)

見せた“多様性”

競泳日本のエース、木村敬一選手(30)は表彰台で君が代が流れた瞬間、こらえていた涙を止めることができませんでした。
4大会連続で出場したパラリンピックで、初めての金メダルをつかみ取った木村選手は2歳の時の病気が原因で全く目が見えなくなりました。
木村敬一選手
「僕は表彰台に上がってメダルを頂いてもそれが何色か見えない。国歌を聞いたときに自分が金メダリスト、世界チャンピオンになれたんだと感じることができた」
金メダリストが国歌を聞いて初めて、頂点に立ったことを実感する。
このことだけでパラリンピックがいかに多様性にあふれた大会であるかがわかります。
障害も年齢も性別ももちろん国籍もさまざま。
だからこそ、そこにはたくさんの気づきがあります。
50歳で臨んだ自転車の杉浦佳子選手が日本選手最年長で金メダルを獲得したあとに発したのは、日本中をはっとさせることばでした。
杉浦佳子選手
「最年少記録は2度と作れないけど、最年長記録はまた作れる」
3日後、杉浦選手は2つめの金メダルを獲得し、早速、みずからのことばを証明してみせました。

逆境に立ち向かう力

多様性とともに選手たちが見せてくれたのは、どんな逆境でも諦めないたくましさでした。
よおおおおおおおし!
陸上走り幅跳び義足のクラスの山本篤選手(39)は、決勝で自己ベストを更新する大ジャンプをみせ、雄たけびを上げました。
パラ競技の普及に心血を注いできた第一人者にとって、観客のいないスタンドは何よりつらかったはずです。

それでもみずからの跳躍の前には手拍子を促して大記録を達成し、パラリンピックにはオリンピックに引けを取らない興奮があることを証明しました。
山本篤選手
「テレビの前で応援していると多くの人が言ってくれたから、観客がいなくても手拍子を求めた。テレビで見ている人も生で楽しめる走り幅跳びになったと思う」
陸上車いすのクラスのベテラン伊藤智也選手(58)は、開幕前日に障害のクラスが変わり、勝ち目のないレースに臨むことになりました。
レースは障害の軽い選手について行けず、予選敗退。

それでも若い技術者たちとともに5年間にわたって開発してきた競技用車いすに乗って、見事に自己ベストを更新してみせました。
伊藤智也選手
「満員の観客の中に自分と関わってくれた人がくっきりと見える、そんな風景がずっとスタートからゴールまで僕の目の前にあった。それをずっと追いかけて走ったような気がする」
陸上の2人のレジェンドがそれぞれの自己ベストで示したもの。
それはどんな逆境にも屈しない、パラアスリートのたくましさそのものでした。

子どもたちの“気づき”

東京パラリンピックで選手たちが体現した、圧倒的な多様性と逆境に立ち向かう力。

新型コロナの感染拡大によって競技会場での子どもたちの観戦は大幅に縮小されました。
それでも競技会場を訪れた子どもたちから聞かれたのは、素直な「気づき」でした。
車いすラグビーを観戦した児童
「車いすがぶつかる音が迫力があって、障害があってもスピードがすごくてびっくりした」
ゴールボールを観戦した児童
「見えていないはずなのに、積極的にボールを取ろうとする姿がすごい」
河合団長
「子どもたちから自分もスポーツや何か別のことを頑張りたい、気づくことが多かったという感想が寄せられている。この気づきをひとつのきっかけとして根付かせて、幹を伸ばして花をつけられるようにしなければならない。共生社会への大きな一歩を踏み出したと思っている」
障害のあるなしにかかわらず誰もが暮らしやすい社会へ。
選手たちがパラリンピックを通じて発し続けたメッセージは、会場で観戦した子どもにもテレビで観戦した子どもにもきっと届いたはずです。

パラリンピックが残したもの

横浜市の中学3年生、吉田彩乃さん(14)は、東京パラリンピックを目指す選手の姿に憧れ、去年、パラ陸上を始めました。

生まれたときから脳性まひで、足に障害がある吉田さんにとって、競技用車いすは“翼”そのものでした。
吉田彩乃さん
「乗ってみて、『自分でもこんなに早く走れるんだ』と思った。パラリンピックで輝いていた人に少しでも近づけるように練習を頑張る」
いつかパラリンピックに出たい。
吉田さんには、大きな夢ができました。
東京 江戸川区では、去年から毎月、ボッチャの教室が開かれるようになりました。
障害の有無や年齢、性別などに関わらず一緒にプレーできるよう工夫されたボッチャはじわじわと人気を獲得。
今では、ダウン症や自閉症、車いすの人と一緒に障害のない一般の会社員や学生たちも多くプレーしています。
日本初の金メダルを獲得した杉村英孝選手(39)たち「火ノ玉ジャパン」の“ビッタビタ”の活躍もあって、障害を超えた交流はますます盛んになりそうです。

違うって“おもしろい”

無観客という異例の大会となっても、選手の躍動する姿が多くの人の心に確かに届いた、東京パラリンピック。

心を動かされた瞬間は、きっと人それぞれ。

それこそパラアスリートの多様性の1つです。
事故や病気で障害を負った選手、先天性の障害の選手

みずからの障害をこれが当たり前という選手、ずっと悩んできたという選手

障害への理解につなげたいと考えている選手

1人のアスリートとしてただ結果だけを追い求める選手
みんな、パラスポーツに打ち込む理由が違います。
「この選手はどうしてこんなに頑張れるんだろう」
その答えが、選手の数だけあること。

「違いを知ることってこんなにおもしろいんだ」
それに気づかせてくれることが、パラリンピックの魅力なのかもしれません。
トライアスロンに出場した谷真海選手(39)は、車いすや義足など障害の異なる選手7人が選手村の横断歩道を渡る写真をSNSに投稿し、こうメッセージを添えました。
みんなちがって、みんないい
東京パラリンピックを「終わり」ではなく変化の「始まり」にすること。
それがすべてのパラアスリートの願いです。
スポーツニュース部記者
中野 陽介
平成20年入局
金沢局 宮崎局
経済部を経て現所属
パラリンピック
担当キャップ
スポーツニュース部記者
島中 俊輔
平成21年入局
静岡局 鹿児島局を経て
現所属
パラ競泳を中心に
パラリンピック担当
スポーツニュース部記者
金沢 隆大
平成24年入局
広島局 大阪局を経て
現所属
パラリンピック担当