「これは最悪だ」~楽しく走りたかった選手と日本一の監督~

「これは最悪だ」~楽しく走りたかった選手と日本一の監督~
「これは最悪だ」

まもなく就任する監督の名前を知った時、立教大学男子駅伝チームの斎藤俊輔は思った。

彼は楽しい大学生活を送ろうと、練習があまりきつくなさそうな立教大学に入ったのだ。

ところが監督になるのは日本一に輝いた現役バリバリのランナーだった。

人生は、登場人物がたった1人加わっただけで、大きく変わってしまうことがある。

斎藤の人生は思い描いていた方向と真逆に、動き始めた。

(宮崎放送局 林田健太)

総長からの呼び出し

斎藤の大学生活が大きく変わるきっかけは、3年前の立教大学の一室でのできごとにさかのぼる。

大学の職員の林英明が、総長から相談があるとじきじきに呼び出されたのだ。

林は職員として働きながら、コーチの肩書でときおり駅伝チームの練習をみていた。チームのOBでもあるが、これといった実績はない。林が部屋に入るなり、総長は要件を話し出した。
総長
「2024年に立教大学は創立150周年を迎える。その年に、箱根駅伝に出場したい」
林は驚いた。

立教大学は半世紀以上、箱根駅伝には出場していない。そもそも駅伝チームには監督さえいなかった。
林さん
「総長は“必ずやる、責任は私がもつ”と言われました」
うなずくしかなく、林の指導者探しが始まった。

指導者 めどすら立たず

「専任のコーチもいない学生主体のチームを、箱根駅伝に出場させてくれる監督」

林はそんな指導者を探したが、1か月を過ぎてもめどすら立たなかった。
陸上界に、太いパイプがあるわけではない。林はジョギング中に知り合った陸上選手に相談することにした。

名前を上野裕一郎という。
林と上野は東京 板橋区の同じマンションに住んでいた。
マンションで初めてすれ違ったときに『あ、上野だ!』と思った。

上野は陸上長距離界のスターだ。
高校生の時、1万メートルの高校日本記録を作った。中央大学では、箱根駅伝で区間賞をとる。実業団に進み、日本選手権で1500メートルと5000メートルの2種目で優勝している。
所属する実業団の練習拠点の公園が、林のジョギングのコースだったこともあり、林から声をかけて言葉を交わすようになっていたのだ。

それ、僕じゃダメですか

2人はマンションの近くの小さな居酒屋に入った。林は向かい合わせに座ってビールを飲みながら相談をした。
林さん
「学生としっかりコミュニケーションがとれて、いい選手を集めることもできて、ゼロからチーム作って、立教大学を箱根に連れて行ってくれる。そんな指導者、いないかな」
年齢は林が7つ上だ。

上野は何人かの名前をあげて特徴を説明するのだが、いつもと比べて、妙に口かずが少なかった。林が「どうかしたの?」と聞くと、上野は黙りこんだあと小さな声で言った。
上野さん
「それ、僕じゃダメですか」
林は「まさか」と思った。

この時、上野は33歳。アキレス腱のけがにも悩まされ、次のステージを考えていた。
指導者の道も考えてはいたが、実際、その場を与えられるランナーはほんの一握りしかいない。

またとないチャンスであり、無名のチームを5年ほどで箱根に出すという挑戦はやりがいがあると思った。

ごぼう抜き、いいんじゃないか

林は承認をもらおうと総長室に行った。

総長は、上野のことを知らなかった。
林は上野がいかに優れたランナーかを“ごぼう抜き”を例に出して熱心に説明した。

「学生時代、箱根駅伝では9人を“ごぼう抜き”にしたんです、区間賞も取りました。ほかの大会でも何度も”ごぼう抜き”をしています」。

そのシーンを再現するように話すと、総長が厳しい表情を崩した。
総長
「上野さん、いいんじゃないか」
日本一のランナーが監督に就くことが決まり、それは選手の間に戸惑いを生むことになった。

えっ、マジかよ もうやめようかな

「上野裕一郎、立教大学駅伝チームの監督に就任」

当時1年生だった斎藤俊輔はそのニュースをSNSで知った。
中学生の時に全国大会の出場経験があるが、厳しい練習が嫌で本格的な陸上は高校までと決めていた。陸上を楽しむことをモットーに、強豪校を避けて一般入試で立教大学に入ったのだ。
斎藤選手
「えっマジかよ、これは最悪だと思いましたね」

「そんな人が監督になったら絶対、練習がきつくなる。もう、やめようかなと思いました」
斎藤と同学年でのちに主将となる石鍋拓海も、歓迎する気になれなかった。
石鍋選手
「自分が思っていた“ふつう”の学生生活が、一変するわけじゃないですか。そんなスーパースターが監督になったら、これからチームはいったいどうなっていくんだろうと思いました」
チームの中には成長できるチャンスだという部員もいて、見解は割れた。

斎藤は「最初の印象で決めよう、もし、いきなり怒られたりしたら、そのときは考えよう」と思うことにした。

『おや?』

上野が初めてグラウンドを訪れる日が来た。そのときの言葉を斎藤はおぼろげながら覚えている。
斎藤選手
「厳しいのかなと思ったら、みんなとたくさんコミュニケーションをとりたいんだみたいな感じで言われて。ちょっとそこでギャップというか、『おや?』っていうのはありました」
一方の上野は始まった練習を見て、5年ほどで箱根に出るのは厳しいかもしれないと思った。
上野さん
「一応、タイムを決めて走ってはいるんですけど、箱根に出るには遅すぎる設定だったり、あと、けが人がマットの上でしゃべっているだけだったり」

「自分のやりたいことに対して厳しくなく楽しくやっている。5年で箱根というのは正直、難しいんじゃないかと思いました」
上野はまず選手の実力に合わせて、毎日、1人1人のメニューを作るようにした。走り終わった選手には結果が悪くても、まずは必ず、「お疲れ様」と声をかけた。
「『俺はこれとこの練習が必要だと思うけど、おまえは何か必要な練習はあると思うか』と部員自身で模索してもらうようにしています」
選手自身の意見をよく聞くのはみずからの経験からのようだ。
「僕自身、指導者からあれやれ、これやれと一方的に言われるのが好きじゃなかった。結構、反発していました。『こっちは言われたとおりにやってるんだよ』って」

歴代最高記録

課題を明確にして、それを克服するためにはどんなメニューが最適か一緒に考え、練習に落とし込んでいく。

上野の指導で記録を大幅に伸ばしたのが「楽しむのがモットー」の斎藤だった。

レースに近いスピードで、中距離を数本走ったあと、休むことなく20キロ近い距離をゆっくりしたペースで走るという練習をよくやった。毛細血管が広がって、疲労が抜けやすくなり、長距離を走るスタミナもつくという。

練習量は3倍近くに増えた。

去年12月に出場した記録会は絶好調で、5000メートルでは入学当初の自己ベストから50秒近くも早い、13分51秒で走った。

立教大学の歴代最高記録だった。

一緒に走る監督

いまも日本選手権に出る上野は部員と一緒によく走る。
上野さん
「いいフォームで走っているのに息づかいが荒いとか、逆に呼吸は苦しそうなのにフォームは崩れていないなとか、細かい状態がわかるんです」
有望な高校生を勧誘するときも一緒に走って力量を見極めているらしい。
上野がスカウトした2年生の中山凛斗は、勧誘に来た日のことをよく覚えている。
中山選手
「高校の合宿に上野監督が来て、いきなり僕たちと一緒に走り出したんです。勧誘に来た人が走るなんてないのでびっくりしました」
斎藤が上野に信頼を置くようになったのも一緒に走ったことがきっかけだった。
上野が監督に就任して半年後に行われた記録会に、斎藤はペースメーカーで参加した上野と出場した。
斎藤選手
「監督がずっと引っ張ってくれて、自分と監督で独走状態になって、一気に自己ベストを20秒くらい更新したんです」

「自分はかなりきつい状態でついていっていたのに、監督は楽々と走っていたんですよね。背中を追いながら『この人、すごいな』って思いました」

公平と非情

去年3月には念願の選手寮もできた。上野は近くに住む妻と3人の子どもと離れて、寮で生活している。

「45人の部員全員と、最低1日1回はコミュニケーションをとりたい」と食事も風呂も選手と一緒だ。
選手とテレビを見て笑いあったりするので「監督より兄貴という感じだ」という選手もいた。

ただシビアな一面もある。
上野さん
「結局のところ、走るのは選手です。このままでいいやと選手が思ったら、もうそれでいいと思っています」

「タイムを残せなかったら、『はい、残念でした』とメンバーから落とす。いつもニコニコしているぶん、怖いと言われます」
公平だが結果には非情で、判断の基準は曖昧にしない。そんな指導を続けている。
上野が監督に就任してからやめた選手は、1人もいない。

惨敗

上野が監督に就任して2年半。立教はことし6月、全日本大学駅伝の選考会に臨んだ。

関東の20校で争うこの大会は、上位7チームが全国大会に出場できる。10月に開かれる箱根駅伝の予選会に向けて、ライバルとの差を図る絶好の機会だ。

8人のメンバーのうち4年生は斎藤1人だけ、あとは上野が勧誘した1、2年生で占められた。8人が4組に分かれてそれぞれ1万メートルを走り、合計タイムで順位が決まる。
1周400メートルの競技場、下級生で臨んだ2組目を終えて18位と出遅れた。

上野はスタンドで淡々とタイムを計り続けている。
斎藤は各チームのエースが集まる最終4組に出場した。前半から徐々に離され、6000メートル過ぎで先頭ランナーに周回遅れにされた。

最終的な順位は16位だった。
試合後、斎藤は「全然戦えてない、惨敗です」と言った。チームは力をつけたが、ライバル校はその先を行っていた。
上野さん
「生半可な気持ちじゃだめなんだということを今回、どれだけ選手たちがわかってくれたかです。これでわかってくれない選手は、箱根の予選で使いません」

180度変わったが

立教大学は夏合宿で走り込みを続けている。30キロ走にクロスカントリー、メニューはどれもきつい走り込みばかりだ。
合宿での生活を斎藤に聞くと「周りに何もないし、期間も走る距離も長い。きついことだらけで、全然、楽しくないです」と笑った。
斎藤選手
「走るのが好きなんてまったく思いません。でも、ここまできたら後悔せずに終わりたい、出し切りたい。やらなきゃいけないという気持ちがきついという気持ちを上回るんです」
斎藤は上野が来てからの日々についてはこう話していた。
「厳しい練習は嫌いです。でも、監督がいなかったら、自己ベストの更新も、高いレベルの大会で勝負をすることもなかった」

「陸上人生の集大成を作るラストチャンスをくれたのかなと思っています」
弱小チームが、指導者が代わってすぐに日本一になるドラマはたくさんあるが、現実なんてそうは甘くない。

ただ指導者が本気になり、選手も一生懸命になることで、つまり向き合うどうしが必死になることで、これまで見ることができなかった景色を見られることが確かにある。

楽しく過ごそうと思っていた大学生活は180度変わったが、不幸には見えなかった。

箱根駅伝の予選会は10月23日に行われる。