プロ野球 栗山巧が2000本安打達成 西武生え抜きの選手では初

プロ野球・西武の38歳、栗山巧選手が4日、仙台市の楽天生命パーク宮城で行われた楽天戦の第4打席でヒットを打ち、史上54人目となる通算2000本安打を達成しました。

栗山選手は3日の試合でヒット1本を打って通算2000本安打に王手をかけ、4日に仙台市の楽天生命パーク宮城で行われた楽天戦に6番・指名打者で先発出場しました。

2回の第1打席はセンターフライ、4回の第2打席はレフトフライ、6回の第3打席はセンターへの犠牲フライでしたが、9回の第4打席で牧田和久投手からレフト前ヒットを打ち、プロ20年目の節目に通算2000本安打を達成しました。

通算2000本安打は去年11月に巨人の坂本勇人選手が達成して以来、プロ野球史上54人目です。

栗山選手は通算2000本安打まで残り74本で今シーズンを迎えていました。

西武の生え抜き選手で初めてとなる偉業

プロ野球史上54人目となる通算2000本安打を達成した西武の栗山巧選手は20年目の38歳です。

兵庫県出身で地元の育英高校から平成14年にドラフト4巡目で西武に入団。

2軍で力をつけて、3年目のシーズン最終戦で1軍初出場を果たしプロ初ヒットもマークしました。

このヒットについて「プロ入り1本目のヒットはすごく記憶に残っている。自分がどれだけ1軍でやれるのかヒットを打てるのか不安と楽しみな部分が数字で現れて実感が得られた」と話しています。

よくとしの4年目には84試合に出場し規定打席に達しませんでしたが、打率2割9分7厘10本のホームランを打ちました。

巧みなバットコントロールで広角に打ち分け、7年目の平成20年には規定打席に到達して初めて3割台の打率をマーク。

最多安打のタイトルも獲得し、チームのリーグ優勝と日本一に貢献しました。

このあと平成24年から5年間はキャプテンとしてチームを引っ張り、おととしには石毛宏典さんが持っていた通算安打の球団記録を更新しました。

通算2000本安打まで残り74本で迎えた20年目の今シーズンを前に栗山選手は「足元をしっかり見つめ、一打席一打席、目の前の一球で1本でも多くヒットを打つ。その先に2000本安打がある。大きな目標だし、皆さんも期待しているので早く到達できるようにやっていきたい」と意気込んでいました。

3月26日のオリックスとのシーズン開幕戦では2本のヒットを打ってさい先のいいスタートを切りましたが、直後に下肢の張りを訴えて3月31日に1軍の出場選手登録を抹消されました。

それでも4月20日に復帰し、勝負強いバッティングで打線を引っ張りました。

そして6月12日の中日との交流戦では、プロ野球史上52人目の通算2000試合出場を達成しました。

同期入団の中村剛也選手とともにチームの顔として長年、活躍を続けてきた栗山選手。

20年目の節目のシーズンに、西武では前身の西鉄などを含めても生え抜きの選手で初の偉業達成となりました。

辻監督「西武一筋で達成しすばらしい」

西武の辻発彦監督は通算2000本安打を達成した栗山巧選手について「いずれは達成すると思っていたが、とにかく西武一筋で達成したことに対してすばらしいと思う。その場に立ち会えたことも何かの縁でうれしい。僕が監督に就任してからいろいろなところで助けてもらっていて、すばらしい選手。これで終わりじゃないのでこの先の試合を戦う中で1本ずつ積み重ねてチームの勝利に貢献してほしい」とたたえていました。

元チームメイトの秋山「1歩でも2歩でも近づけるように」

おととしまでプロ野球・西武で栗山選手と一緒にプレーしていた大リーグ、レッズの秋山翔吾選手は「栗山さん、2000本安打達成おめでとうございます。僕が埼玉西武ライオンズに入団してから若い頃ずっと栗山さんの背中を見て勉強させてもらって野球を始めたと思っています。ずっと目標とする数字だったり、姿勢だったりを学ばさせてもらっていますので、僕も1歩でも2歩でも近づけるように頑張っていきます。これからもけがなく頑張ってください」とコメントしています。

高校時代の恩師「努力の積み重ねが2000本に」

兵庫の育英高校で栗山選手が1年生の時に指導をした、当時の監督の田中基靖さんは教え子の通算2000本安打達成について「私たちの知らない努力の積み重ねが2000本につながったと思う。同じ時間を共有できた仲間としてうれしい」と偉業をたたえました。

田中さんはバットの芯で的確にボールを捉えるミート力などバッティングセンスのよさを評価して入学直後からレギュラーで起用しましたが、技術以上に目を見張るものがあったといいます。

田中さんは「本当に練習熱心だった。全体練習はかなり厳しくしていたが1年生だけどいつも最後まで残って練習をしていた。その中で将来について話をすると『夢ではなくプロ野球に行く道しかない』と言い切った。1年生の時からそういった強い思いを持っていた」と振り返ります。

プロ野球選手になるという強い思いと合わせて技術を追求していく姿勢が大記録につながったと指摘します。

田中さんは「1年生の時しか見ていないが、2000本安打を達成する選手になるというのは想像できなかった。ただ当時から打てなかった時の悩み方がほかの選手とは違った。結果を悔しがるのではなくバットの出し方やボールをミートする瞬間などの過程をとても反省していた。もっと打てる選手はいたが野球への考え方はほかの選手と比べて違った。その野球への考え方の違いがプロとしてあれだけの活躍する要因だったと思う」と話します。

田中さんは栗山選手がプロ野球選手になってからも定期的に会っています。

その中でいちばん印象に残っていることを聞くと「少年野球の大会を開催したり障害者と野球で交流したりする社会貢献活動についてごはんを食べながら本当に熱く語っていた。野球を通じて自分ができることは何かとずっと考えているし、そういった思いやりを持っている」と話しました。

そして「2000本を打って終わりではないので、この先、100本でも200本でも積み重ねて体が動くかぎりは現役を続けてほしい。ゆくゆくは指導者となって西武で監督をする姿を見てみたい」と今後のさらなる活躍を期待していました。