中国が“自滅”の規制強化? 戸惑う世界のマネー

中国が“自滅”の規制強化? 戸惑う世界のマネー
「中国企業にはもはや投資できない」
今、アメリカではこんな言葉が飛び交っています。きっかけはこの夏、ある中国企業が大型上場を果たした直後に、中国政府が厳しい処分を行ったことでした。株価は急落し、多くの投資家が損失を被りました。中国政府はなぜ投資家の“中国離れ”を引き起こし、自らの首を絞めかねない政策をとっているのか。そして、アメリカはどう対応しようとしているのか。深まる米中のデカップリング=切り離しの動きを追いました。(アメリカ総局記者 江崎大輔/中国総局記者 伊賀亮人)

ウォール街に走った衝撃

それはまるでジェットコースターのような出来事でした。
6月30日、ニューヨーク証券取引所は大型上場に沸いていました。

その主役は中国の配車サービス最大手の「滴滴(DiDi)」です。

スマートフォンのアプリを使ってタクシーなどを呼ぶ配車事業で急成長。中国国内を中心に年間ユーザーは4億9000万人に上ります。

投資家の期待は高く、上場初日の時価総額は日本円で7兆円を超えました。

ところが、わずか2日後の7月2日、中国政府が突然、「国家安全上の理由」で滴滴を審査すると発表。
審査中は新規ユーザーの登録を停止させたのです。
さらにその2日後には、滴滴が違法に個人情報を収集し、使用していたとして、アプリのダウンロードを停止するよう通知したと発表しました。

一連の動きはウォール街に衝撃を広げ、滴滴の時価総額は、8月には一時、上場時点のほぼ半分にまで落ち込みました。

中国当局の怒りのわけは?

なぜ中国政府は、滴滴に厳しい処分を行ったのか。

その理由は、滴滴が持つユーザーや車両の走行履歴のビッグデータにあると見られています。

滴滴は1日600億件から800億件、ピーク時には1秒間に400万件に上る配車サービスの注文を処理しているとしています。
このデータの重要性がうかがえる、あるリポートがネット上に残されています。

2015年に滴滴と国営の新華社通信が作成したそのリポートは、政府の省庁ごとに、そこでの乗り降りの履歴を分析しています。
その結果、例えば外務省では、分析した日に午前4~5時台を除いてほぼ終日利用が確認され、王毅外相がジュネーブでイラン核協議に参加していたため、職員がその対応に追われて四六時中出入りがあったとみられるとしています。

つまり、滴滴が保有しているデータを分析することで政府の動きが把握できるのです。

中国当局はこうしたデータが流出することを恐れてアメリカでの上場を認めていなかったのに、滴滴はそれを振り切って上場したと報じられています。
しかも上場した6月30日は、中国共産党が創立100年を祝う7月1日の式典の直前。

こうしたタイミングも、なおさら当局の怒りを買ったとされています。

米中対立で進むデータの“切り離し”

「中国政府は今、企業が持つデータがアメリカに流出することを非常に警戒している」(日本政府関係者)

こうした見方を裏付けるように、当局は矢継ぎ早に動いています。

7月6日には、中国企業が海外で上場する際のデータの管理に対する監督を強化する方針を示し、その後、ユーザー数が100万人を超える企業の上場は、事前審査の対象とする規制案を発表しました。

また、8月には、個人情報の海外への持ち出しを制限する法律を成立させたほか、国内の重要なインフラに関するデータや自動車の走行データの管理を厳しくする規制も発表しました。
データは国家の競争力強化に欠かせないことから“21世紀の石油”とも呼ばれ、アメリカも、中国にデータが流出することを警戒しています。

去年、当時のトランプ大統領は、中国発の動画共有アプリ、ティックトックとの取引を禁止する大統領令に署名しました。

ティックトックが持つ位置情報や検索履歴といったユーザーデータを使うことで、中国がアメリカ政府高官などの行動を追跡し、恐喝するといった恐れがあったからだとされています。

データをめぐって、米中双方がデカップリングを加速させているのです。

チャイナリスクを警戒するマネー

中国政府の規制強化による「チャイナリスク」は、世界の市場関係者を戸惑わせています。

というのも、中国政府は滴滴に限らず巨大IT企業への締めつけを強化しているほか、教育などの分野でも新たな規制を次々と打ち出しているからです。

中国のIT大手の多くが上場する香港市場では、8月、代表的な株価指数が、一時ことしの最高値と比べて20%も下落しました。
中国企業98社の株価で構成されるナスダックの指数も、7月の1か月間で22%下落。

世界的に中国企業への不信が高まり、マネーを引き上げる動きが出ていることがうかがえます。

損をするのはアメリカ?

一方で、アメリカの金融市場から中国企業を完全に切り離せるかというと、そう単純に進まない事情もあります。

中国企業の新規上場は増加傾向にあり、アメリカの金融機関にとって魅力的なビジネスだからです。

ことし前半にアメリカの証券取引所で新規に上場した中国企業は30社超。
調達した資金は120億ドル、日本円にして約1兆3000億円にのぼり、去年1年間の金額に迫る勢いでした。

新規上場の手続きを担う投資銀行は、多額の手数料収入を得ています。

アメリカで多額の資金を調達していた中国企業と、その支援で多くの手数料収入を手にしていたアメリカの金融機関。

ゴールドマン・サックスのソロモンCEOは7月の決算発表で、中国政府の動向や中国企業の対応が、今後のビジネス上の“最大の懸案”だと述べています。
米中関係に詳しいイェール大学のスティーブン・ローチ上級研究員は、米中のデカップリングが世界経済に及ぼす影響に懸念を示しています。
スティーブン・ローチ上級研究員
「中国政府の突然の規制強化に困惑し、深刻に受け止めている。習近平国家主席が主導する中国にとって、国民の嗜好(しこう)が分かるビッグデータは決定的な道具だ。ビッグデータを原動力としてIT企業があまりにも急成長したため、共産党がこうした企業を支配できなくなるリスクを恐れたのではないか」
スティーブン・ローチ上級研究員
「もともとアメリカと中国は長い間、経済面で相互に依存する関係で、中国がアメリカを必要としているだけでなく、アメリカもまた中国を必要としてきた。しかし、バイデン政権のもとで米中はますます対立していて、改善の兆しは見られない。デカップリングは、これまでのつながりが崩壊したことを表している。これからの数年は、アメリカと旧ソビエトを思い出させるような激しい衝突となり、グローバル経済と世界にとって懸念される事態になりうる」

デカップリングの行方は?

「どのような規制が行われ、株式市場にどう影響するのか、もう少し様子をみたい」

金融市場の混乱が続く中、ソフトバンクグループの孫正義社長は8月、こう述べて中国企業への新たな投資を当面抑える方針を示しました。

ソフトバンクグループは滴滴の筆頭株主であり、中国政府から圧力を受けているネット通販最大手のアリババグループの株主でもあります。

中国企業に投資したり、米中両国でビジネスを展開してデータを保有していたりする日本企業は多くあり、デカップリングが今後も進めば“板挟み”になるおそれが高まります。
相互に依存していたはずの両国のデカップリングがどこまで深まり、世界経済にどんな影響が及ぶのか。

注視が必要な状況です。
アメリカ総局記者
江崎 大輔
平成15年入局
宮崎局、高松局、経済部を経て現所属

中国総局記者
伊賀 亮人
平成18年入局
仙台局 沖縄局
経済部などを経て
去年から現所属