パラリンピック トライアスロン 宇田秀生が銀メダル

東京パラリンピック、トライアスロン男子の運動機能障害のクラスで、宇田秀生選手が銀メダルを獲得しました。パラリンピックのトライアスロン競技で日本選手がメダルを獲得するのは初めてです。

東京パラリンピックのトライアスロンはお台場海浜公園で行われ、750メートルを泳ぐスイム、20キロを自転車で走るバイク、5キロを走るランの合わせて25.75キロで競います。
競技初日の28日は男子の運動機能障害のクラスが午前6時30分にスタートし、初出場で世界ランキング2位の宇田選手が出場しました。
宇田選手は最初のスイムのあとのトランジションで9位と追いかける展開になりましたが、続くバイクで次々と他の選手を抜き去り3位と順位を上げました。
そして最後のランでスペインの選手を抜いて2位になると、1時間3分45秒でフィニッシュし、銀メダルを獲得しました。
パラリンピックのトライアスロンは前回のリオデジャネイロ大会から実施され、日本選手がメダルを獲得するのは宇田選手が初めてです。

宇田選手は「うれしいです。100点だと思います。たくさんの人が応援してくれたのでその力で頑張れました」と話しました。

宇田選手は最初のスイムでは9位と追いかける展開となりましたが、バイクで3位、ランで2位と順位を上げました。このレース展開について宇田選手は「いつものレーススタイルなのでバイクで埋めるだけ埋めればどうにでもなると思って、最後まで諦めずに前だけ見て走りました」と話し、「今まで支えてくれた家族や友だちなど、今まで応援やサポートしてくれたすべての人の顔を思い出しながら走りました。とても幸せな時間でした」とレースを振り返りました。
そのうえで「右腕を失ってからここまでいろいろありましたが結果オーライということで、今はとても幸せです」と涙を流しながら話しました。
金メダルはフランスのアレクシ・アンカンカン選手、銅メダルはスペインのアレハンドロ・サンチェスパロメーロ選手でした。
また、女子の運動機能障害のクラスには世界ランキング3位で40歳の秦由加子選手が出場しました。

秦選手は最初の得意のスイムでトップに立ちましたが、バイクで6位に順位を落とすと最後のランでも巻き返すことができず、1時間28分4秒で6位でした。

秦選手は「順位は思うようなものではなく悔しいですが練習の成果は発揮できた。こんなにすがすがしい気持ちでゴールできたということは5年間の色々な選択は間違っていなかったと思う」と話しました。

秦選手は13歳の時に骨肉腫を発症して右足の太ももから下を失い、前回のリオデジャネイロ大会に初出場して6位に入ると、そのあとも女子選手では数少ないバイクで義足をつけずに左足だけでこぐなど、40歳での挑戦を続けています。

秦選手は「リオデジャネイロ大会の悔しさを秘めて1つでも上の順位をと練習してきたが世界は強かった。きょうの負けを今後の励みにして彼女たちが私たちの可能性を広げていってくれるので私も負けないように頑張りたい」と前を向きました。
金メダルはアメリカのアリッサ・シーリー選手、銀メダルはアメリカのヘイリー・ダンズ選手で、いずれも2大会連続でのメダル獲得です。
銅メダルはイタリアのベロニカヨーコ・プレバー二選手でした。

宇田 有言実行の銀メダル

銀メダルを獲得した宇田選手。目標は、「表彰台に上がって目立ちたい」でした。この「目立ちたい」ということばの裏には、「かっこいい姿を見せたい」という家族への感謝の思いがあります。

宇田選手が右腕を失う事故にあったのは、2013年5月、妻の亜紀さんと結婚してからわずか5日後のことでした。
そのとき、亜紀さんのおなかには子どもがいて、ふだんは明るい性格の宇田選手も将来への不安にかられましたが、亜紀さんは「なんとかなるよ」と背中を押し、毎日看病してくれたといいます。

そして、この入院中に、亜紀さんとの会話で出てきたのが「パラリンピックに出る」という新たな道でした。

高校の時、サッカーの滋賀県代表として活躍した宇田選手は、トライアスロンを始めた直後からバイクとランを武器に国際大会で活躍。一方、妻の亜紀さんもスポーツ選手の食事についての専門知識も学んで資格も取り、栄養面から宇田選手を支えました。
なかでも、ほぼ毎食出すというみそ汁はおかずのレパートリーが豊富で、宇田選手も「僕の力の源です」と言い切る腕前です。

そして事故から8年で迎えた東京パラリンピックのレース。

宇田選手は「表彰台に上がって目立つ」という有言実行で、支えてくれた亜紀さん、そして子どもたちに「かっこいい」姿を見せ、感謝の気持ちを示しました。