今を生きる先住民族アイヌ 葛藤の先に描く未来

今を生きる先住民族アイヌ 葛藤の先に描く未来
「今ここに生きていることを知ってほしい」
日本の先住民族、アイヌの男性が語った言葉です。

「多様性と調和」という理念を掲げた東京オリンピックで、世界にマイノリティーのメッセージを発信したいと、競技会場で伝統舞踊を披露しました。

そこには歴史を知ってほしいというアイヌの家族の切実な願いが込められていました。
(室蘭放送局記者 中尾絢一/おはよう日本ディレクター 中田実里)

アイヌ文化を発信 次へのきっかけに

東京オリンピック最終日の8月8日。

札幌では、男子マラソンのスタート前に、緊張感を漂わせたグループがオープニングセレモニーの出番を待っていました。

アイヌの民族衣装に身を包み、大会公認プログラムとして伝統舞踊を披露する踊り手たちです。

「この現場の熱を届けられるようなステージにしたい」

中心メンバーの1人、貝澤太一さん(50)は意気込んで舞台に向かいました。
表現したのは森羅万象に神が宿り、すべてのものを敬う「アイヌの精神性」です。

長髪の女性が頭を激しく揺らし、嵐で松の木が揺れる様子を表現した「黒髪の舞」。
鳥の美しさに見とれ矢を放てなかった狩人の姿を伝える「弓の舞」。
地域に伝わる歌や踊りを約40分間の舞台で演じました。
貝澤太一さん
「かっこいいな、きれいだなと、親しみやすい形でわれわれの存在を訴えられたのは大きかった。これが全てでは決してないと思っているけれど、次へのきっかけにはなったと思う」

歴史と向き合い葛藤する家族

太一さんは、北海道平取町で生まれ育ちました。
現在もアイヌの人たちが多く暮らす地域です。
北海道やサハリンなどで古くから暮らしてきたアイヌ民族。
狩猟や漁を生活の糧として暮らしてきました。

しかし、明治政府の政策によって環境が一変しました。土地を追われ、独自の文化や風習も禁止。

学校では日本語を学ぶように求められるなど、同化政策によってアイヌ語や伝統的な風習は急速に失われていきました。

生活の糧を奪われて貧困に陥る人も多く、偏見と、就職や結婚の差別にも苦しんできました。
こうした歴史に向き合ってきたのが、太一さんの祖父・正さん(享年79)と父・耕一さん(75)です。
アイヌ民族の尊厳と権利を回復しようと尽力していた正さんは生前、「入植者の乱伐で森が荒れ果ててしまった」と嘆いていたといいます。

森をアイヌ民族の手に取り戻し、再生させたいと決意。生涯をかけて植林活動を続けました。
その意志を引き継いだのは耕一さんです。

平取町を流れる沙流川のダム建設計画では、アイヌ民族が信仰の対象としてきた岩山や必死で開墾した田畑がダム開発で水没することになり、土地収用を不服とした「二風谷ダム」裁判を原告の一人としてたたかいました。

1997年、裁判所はアイヌを先住民族と認め、文化への配慮を欠いた国に違法性があるとする判断を示しています。
その後日本では、2年前に施行された「アイヌ施策推進法」でアイヌ民族が初めて「先住民族」と明記されました。

最近では、アイヌ民族の少女が登場する漫画「ゴールデンカムイ」の人気もあって、アイヌ文化への注目も集まっています。

歴史が忘れ去られてしまう怖さ

こうしたなかで迎えた今回の東京オリンピック。

マラソン・競歩のオープニングセレモニーで伝統舞踊を披露し、新型コロナの感染対策として無観客ながら、インターネットで世界に発信することになりました。

しかし、70歳を超える耕一さんは、複雑な思いでした。

文化にばかり注目が集まり、歴史が忘れ去られていくことを懸念したのです。
父・貝澤耕一さん
「今の若い人たちは興味があることには関心を示す。関心がないものはあまり学ばない。過去の歴史からかっこいいところだけを見てほしくない。みんなの心からなくなれば、歴史が消されることになる。それが怖いんだ」
アメリカ、カナダ、オーストラリアなど諸外国では先住民族の権利が認められ、漁業権や土地の所有権による経済的な自立が進められています。

「森林や川を自由に使えるのは、アイヌにとっても当然の権利ではないか」と考える耕一さん。

去年、権利回復を求める署名活動を始め、5000筆あまりの賛同を得て、北海道知事に提出しました。
しかし、長年、真正面からの主張を続けても、日本社会が変わらない現状にジレンマを感じています。

父の不安に、太一さんも同じ思いでいました。

ただ、そもそも存在が認知されていない中で、アイヌの権利を訴えていくだけでは何も変わらないという思いもあります。
貝澤太一さん
「父は、正しいことをやっていれば誰かが見てくれていると思っている。ただ今は情報がありすぎて埋もれてしまう。父と考えの根っこは一緒だけど、方法は時代に合わせて変えないといけない」
オリンピックの公認プログラムとして採用された伝統舞踊。

この機会をどうアイヌの権利回復につなげていくか。
貝澤太一さん
「『権利を認めて』と言っても理解してもらえない。日本の人たちにはアイヌが生きているという実感がないから。オリンピックは一つのきっかけにすぎない。これをどう頭を使って膨らませていくかが大事」

まずは気付いてもらうために

太一さんは、アイヌの暮らしや精神を知ってもらうことを入り口にして、自然と歴史にも目が向くような仕掛けができないか考えました。

取り組んでいるのは、本州などから訪れる人たちがアイヌ料理や森の暮らしを体験できるツアーの企画です。

森に入る前には安全を願ってアイヌ語で神様に祈ることや、狩りで使っていた「クチャチセ」と呼ばれる小屋づくりを通じて、自然の中で生きる知恵を教えます。
参加者の女性
「アイヌの人は、自然から生かしてもらっているという感覚を持っている。私たちの感覚と違うと思った」
貝澤太一さん
「森や川との関わりはすごく大切。アイヌとは切っても切り離せない関係だと考えているので、しっかり伝えられるように話に盛り込んでいる。『この森がもともとはアイヌの人たちのものだったかもしれない。明治以降に自分たちの先祖がやってきたことは本当に正しかったのだろうか』と気付いてもらいたい」

人は死んでも森は生きる

森を訪れた人たちに、必ず伝える話があります。

明治以降の入植で大量の木材が伐採されてしまったこと。

父の耕一さんが30年近く前、すっかりはげてしまった私有地の森林を買い取ったこと。

そして植林を始めたこと。

本来北海道にあった豊かな森林を取り戻すための活動であること。
太一さんは2年前、森林を開発から守り保全を目指す団体の代表を父の耕一さんから引き継ぎました。

本来あった豊かな森の姿を子や孫の世代に残したいと、全国の個人や団体から寄付も寄せられているといいます。

アイヌの人たちが生活の中で自由に森林を利用し、アイヌ文化を学ぶ場にもなる。

実現するのは遠い未来かもしれない。

それでも、それが貝澤さん親子の思い描く森林の姿です。
貝澤太一さん
「植林して本来の自然になるには100年、200年の時間がかかる。本来の森ができるころには、もちろん自分は死んでしまって生きているうちに見られない。でも、だれかが思いを受け継いでくれたら森は生きるし、希望を託すことができる。アイヌが大切にしてきた森林を守りたいという考え方をひとりでも多くの人に理解してもらいたい」

取材後記

社会のあらゆる場面で多様性の尊重が叫ばれる現代。

それでもアイヌの人たちは「今ここに生きることを知ってほしい」というところから始めなければいけない現状があります。

「明治から150年かかってこうなったんだから、まだ時間はかかるよ。頑張るしかない」

太一さんは先を見据えて活動を続けています。

貝澤さん家族のように表だって活動する人がいる一方で、差別や偏見をおそれ、アイヌであることを隠し続けて生きる人もいます。

あらゆる立場の人たちが生きやすい社会をつくるために、何をすべきなのか。

その問いは、アイヌの人たちではなく、社会の多数派を構成する「私」たち一人ひとりにこそ突きつけられているのだと、強く感じました。
室蘭放送局記者
中尾絢一
2016年入局
釧路局を経て苫小牧支局
アイヌの取材を始めたきっかけは赴任後、初めて訪れた平取町で伝統の舟おろしの儀式に参加したこと
おはよう日本ディレクター
中田実里
2013年入局
旭川局・札幌局などを経て2020年から現所属