ビジネス特集

トイレで『食事』、“あるある”ですか?

「トイレでお願いします」と言われたこと、あるでしょうか。

一体何を?

食事をです。赤ちゃんの食事、おっぱい。

お母さんたちはやむをえず、トイレで赤ちゃんに授乳しなければならない時があります。

どうしてなのでしょう。

(経済部 長野幸代)

赤ちゃんは外で食事する場所がない!?

「トイレしかない!!車に戻ろう!!」

埼玉県に住む、生後5か月の女の子を育てている女性(35)の実体験です。

コロナ禍で外出の機会は少なく、ふだんは家の中で赤ちゃんと2人きり。

気分転換に、家族でショッピングセンターに買い物に出かけた日のことでした。
「家を出る直前に授乳は済ませていたのに、お店で急に泣き出して。急いで授乳室に行きましたが、数が少ないので列ができていて、仕方なく急いで車に戻りました。子どもが生まれるまで知りませんでしたが、授乳できる場所は本当に少なくて、もう何度も『トイレしかない!』という状況になりました。でもトイレでおっぱいをあげるのは抵抗があって車に行っています」
赤ちゃんを育てるお母さんの、外出時の授乳の悩み。
「授乳スペースありますか?と聞いたら、トイレでお願いしますと言われました。赤ちゃんにとって大切な食事なのに」(女性・20代)

「『授乳室がないからトイレで』と簡単に言われるのは不愉快でした。授乳スペースもおむつ換えのスペースも増やしてほしい」(女性・30代)

(2018年「外出時の授乳に関するアンケート」)
これは、育児支援を行う民間団体で作る「母と子の育児支援ネットワーク」が行った調査で、自由記述欄に寄せられた声の一部です。

SNSや育児アプリなどには毎日のように「授乳室がなくて困ったからトイレで立ちながら授乳」、「トイレで授乳中。長時間使ってごめん」といった声が投稿されています。

外出先のトイレでの授乳は、笑えない“お母さんあるある”なんです。

授乳室の数は正確には把握されていませんが、民間が運営する授乳室検索アプリには、約1万9700か所の施設が登録されています。毎年、80万人から90万人の赤ちゃんが生まれることを考えると、十分ではないという印象です。
地域福祉が専門の、宇都宮大学の長谷川万由美教授に理由を聞きました。
宇都宮大学 長谷川万由美教授
「まず、施設の設備や管理などの仕事に携わる方は男性が多いです。そして、どのような組織でも意思決定をする人たちは男性が多い。そうした人たちの中には、赤ちゃん連れの状況や授乳の大変さを想像しにくいという人もいます。子育ての当事者も、育児の悩みや困りごとは、例えば授乳から離乳食、おむつ外れなど子の成長に伴って次々と変わるので、授乳を取り巻く環境の問題について継続して声をあげにくいという面があります」

最近話題の個室型 作ったのは男性だった

「授乳室が足りない」という声があがる中、最近増えているのが、いろいろな場所に後付けで設置できる個室型の授乳室です。

今回、2つのタイプを取材しました。いずれも大がかりな工事は必要なく、一定のスペースがあれば設置できるのが特徴です。

実はこの個室型授乳室、開発したのはどちらも男性なんです。
埼玉県でテレワーク用の個室などの製造販売を手がける会社の、中野光城社長(43)。

ことしから本格的に個室型授乳室を売り出しました。

少子化が進むなか、市場が広がるとは想像しにくい授乳室をあえて開発したのはなぜなのか。聞いてみると、10数年前の出来事を話してくれました。

セミの鳴き声が響く、とても暑い夏の日。当時は自動車販売の営業の仕事をしていて、当番でショールームを担当した日のことでした。

「少しだけ、車の後部座席をお借りすることはできませんか?」

声をかけてきたのは、だっこひもをした女性でした。

赤ちゃんが泣いています。

女性は、2歳ぐらいの女の子の手をひきながら、もう片方の手で荷物を乗せた空のベビーカーを押していました。

だっこしている赤ちゃんにおっぱいをあげたいというので、ショールームの中に案内しようとしましたが、女性は「車の中のほうが個室のようで落ち着ける」と言いました。

初めてのことに驚きつつも、他の社員に事情を説明し、展示していた車にエアコンをかけて提供しました。

少し休んで笑顔で帰った女性は数日後に再び来店し、何度も感謝のことばを伝えたと言います。
中野光城社長
「この時、心から子育ては本当に大変だと思いました。疲れ切った様子のお母さんが、“安心して授乳できる場所がないんです”とこぼしたことばが忘れられませんでした」
その後も、赤ちゃんを連れたお母さんが休憩をかねて来店することがあり、街の施設や子育て環境について調べるきっかけとなりました。

その後、転職を経て独立した中野さんは、喫煙やテレワーク用の組み立て式ブースを開発・販売するかたわら、100人以上のお母さんに話を聞き、授乳室の試作を繰り返しました。
9年の開発期間を経て、去年ついに完成。

幅150センチ、奥行き105センチ、高さ213センチの箱形の授乳室の中には、おむつ交換もできるいす、コンセントやUSB電源、外の様子を確認できるカメラとモニターのほか、万一の事態に備えて緊急ブザーもついています。

個人のお店や中小企業、自治体などでも気軽に設置してもらうことを考えました。

価格は45万円(税別)です。
MISTRAL 中野光城社長
「授乳は、男性には大変さを理解してもらいにくい上、外では時に女性からも厳しい視線が注がれることもあって、どうしても人目が気になります。朝から晩まで待ったなしで赤ちゃんのお世話をしている人たちが外で駆け込める、安心して休憩できる場所が社会にもっと必要だと思います」
一方、もう1つの授乳室は、授乳室検索アプリを運営する横浜市のITベンチャーが開発しました。

こちらは、幅180センチ、奥行き90センチ、高さ200センチ。

室内には、おむつ交換ができるいすのほか、授乳中に上の子が座れるよう、こども用のいすも用意しました。
設置する側にもメリットを実感してほしいと、室内に備えたモニターなどの端末では、企業の広告動画を流すなど情報発信ができるほか、利用者にアンケートに答えてもらうこともできます。

特殊なセンサーで、1日の利用者数や平均利用時間を把握することも可能で、マーケティングのデータとして活用することもできるということです。

レンタルの場合、1か月4万9800円(税別)から。

4年前の販売開始以降、今ではショッピングモールや道の駅など、全国のさまざまな施設に280台が導入されています。
Trim 長谷川裕介代表(37)
「授乳室を設けることの価値が数字で見えるように開発しました。少しずつ手応えを感じる一方で、現場の担当者は必要性を理解してくださっても、経営層からは、例えばお年寄り向けの設備や分煙スペースなど、もっと違うものを作ったほうがよいのではないか、と言われることもあります。子育て中の世代や若い世代、そして赤ちゃんは、これからの未来を作っていく存在のはずなのに、今は赤ちゃんに対する優先順位が低い社会だと感じます」

新たに設置する企業のねらいは?

商業施設に設置された授乳室
授乳室の設置に積極的に対応する企業もあります。

業界大手の三井不動産は10の施設で、この箱形授乳室を合わせて24台導入しています。

この会社が運営するアウトレットなどの商業施設は、来店客の半数以上がファミリー層です。

それもあって、従来から商業施設には授乳室を設けていましたが、さらに個室型を追加で設置し、より安心して授乳してもらえる環境を整備しています。

個室はコロナ禍の密を避けることができ、男性でもおむつ交換などに利用しやすいことが人気だと言います。
三井不動産の広報担当者は「授乳室を増やすより店舗のスペースにあてたほうが、直接的には売り上げにつながります。しかし、競合する商業施設もあるなかで、私たちの店を選んでいただけるよう、子育てに優しい設備に力を入れています。結果的に、来店していただける動機付けとなり、来店者数の増加につながっていると感じています」と話していました。
これらの個室型授乳室。

最近は、市役所や道の駅、病院といった公的な施設のほか、神社でも導入するケースが続いています。

年間200万人の参拝客が訪れる神奈川県寒川町の神社では、去年9月に2台の個室型授乳室を控え室に設置しました。

神社では、お宮参りや七五三など、幼い子どもを連れて長時間境内に滞在する機会があるためです。

神社の広報担当者は「これまでは、ついたてなどで簡易な授乳室を作っていましたが、個室のほうが心理的にも安心できるだろうと導入しました」と話しています。

1日に10組から20組の利用があるといいます。

神社だけではありません。
ことし6月に導入した埼玉県三郷市の整骨院の院長は「いろいろな場所にこうした設備を設けることで、地域全体で子育てできるような環境作りに役立ちたいと思いました。それが来店のきっかけとなって、新しい客層を取り込むこともねらっています」と話していました。

今の赤ちゃんが大人になったときの社会

宇都宮大学 長谷川万由美教授
「以前と比べて、今はお母さんたちが施設側に要望を伝えたり、発信したりできるようになってきました。専用のアプリで調べたり、口コミでこの施設が良いとネット上で共有しあったりできるので、こうした情報を事業者も無視できない状況になっています。お母さんがいつでもストレスなく安心して母乳を与えられる社会になっていくべきだと思います」
実は、産休・育休から職場復帰したあとも、おっぱいの問題はすぐには終わりません。

飲む回数が少なくなっても、お母さんの体では母乳が作られるからです。

赤ちゃんが飲まない状況が長く続くと、それは強い痛みになります。

まだまだ授乳室がない職場も多く、またトイレで、こっそり搾乳することになります。

きょうも、トイレで授乳や搾乳をするお母さんがいます。

母乳は、赤ちゃんにとって大切な食事です。

育児に対する考えや価値観は人それぞれですが、こうした状況があることを、まずは意思決定層に多い男性にも知ってもらえたらいいなと思います。
経済部 記者
長野 幸代
2011年入局
岐阜放送局、鹿児島放送局を経て現職

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