「家族や友人を助けてほしい」 “先輩”からのSOS

「家族や友人を助けてほしい」 “先輩”からのSOS
アフガニスタンで攻勢を強めていた武装勢力タリバンが、首都カブールを制圧したというニュースが世界を駆け巡った今月15日。
私は学生時代のことを思い出していた。

秀才が集まるわけでもなければ、金持ちが集まるわけでもない、どこにでもあるような普通の学校。ただ一つ、特筆すべきことがあるとすれば、少し目を引く先輩がいたことだ。

髪がくりっとした彫りの深い顔だち。その先輩は、アフガニスタンからの留学生だった。

(「国際報道2021」ディレクター)

“悲劇をこの目で見た” 30通を超えるメッセージ

先輩は無事なのだろうか。学年が違ったこともあり、先輩が帰国した後は会っておらず、連絡先も知らなかった。

先生や先輩のSNSから彼の名前をひたすら探す。すると、ひらがなで書かれた懐かしい名前が目に止まった。

プロフィール画面の写真は立派なオジサンになっていたが、間違いなく先輩だった。

最後の投稿は5日前の8月10日。アフガニスタン国内で急増している避難民を救ってほしいという書き込みで終わっていた。

私は意を決してメッセージを送ることにした。

「突然ご連絡をしてすみません。以前、同じ学校に通っていた者です。アフガニスタンで起きていることを知り、あなたのことを思い出しました。あなたやあなたのご家族はご無事ですか?」
数分後、返事が届いた。
先輩
「私も家族も無事です。覚えていてくれてありがとう。私は今この国で起きていることの目撃者です。ここは悲惨な状況で、すべてが混乱の中にあります。人々は危険にさらされ、窮地に立たされています」
アフガニスタンで起きていることを知ってほしいが、国内の報道関係者は皆、タリバンからの攻撃を恐れて自宅にとどまっているという。

私は、自分が日本のテレビ局で報道番組のディレクターをしていることを伝え、もしかしたら役に立てるかもしれないと、今の状況を教えてもらうことにした。
先輩
「タリバンはすでにいくつかの都市で兵士や市民を殺害しました。今も政府関係者や国際機関への協力者を探しているようです」

「家を追われ、公園や路上で生活をしている人々もいます」

「さらに、この混乱を利用して物を盗もうとする人々も増えているので、武装して自宅を守らなければなりません」
AI翻訳を駆使しながらやりとりを続けること1時間。送られてきたメッセージは30通を超え、現地の切迫した状況が嫌というほど伝わってきた。

夜が明けたら、町の様子を写真や動画に撮って送ってくれるという。
「危険なのではないか」と尋ねると、先輩はこう答えた。
「もちろん危険です。でも、それよりもこの状況を知ってほしいのです」
私たちは、再び連絡を取り合う約束をして、やりとりを一旦終えた。

“名前と顔は明かせない”

私が担当している番組『国際報道2021』では、放送当日の昼にその日のラインナップや演出方法を話し合う会議が開かれる。
そこで、前日の先輩とのやりとりを報告し、トップニュースで取り上げることが決まった。

先輩に連絡すると、写真や動画が次々と送られてきた。

国外退避を求めて空港に殺到する人々の写真。
銃を手に持ち、町中で監視の目を光らせるタリバンの戦闘員。
中には、地面に放り出された遺体らしき写真もあった。

「想像以上のことが起きているに違いない」
そう感じた私は、この状況を先輩のことばで語ってもらえないだろうかと考えた。

「オンラインでインタビューをさせてもらえませんか?」
先輩
「私でよければ、いくらでもお話しします。ただ、申し訳ありませんが、名前と顔は出せません。タリバンに狙われるおそれがあるので」
まさに危険と隣り合わせの環境下で、それでも何とかして現地の情報を発信しようとしてくれていることがひしひしと伝わってきた。

絶対に先輩が誰か特定されてはならない。

プロデューサーと相談し、声も機械で加工することにした。
そして、もう1つ気にしなければならないことがあった。

“私”が誰か特定されてはならないということだ。

インタビューの相手が顔を出せない場合、よくある手法として、ディレクターや記者など聞き手の顔や手元を撮影することがある。

しかし今回は、私が写ることで、先輩のおおよその年齢や、場合によっては出身校がわかってしまうおそれがあった。

同様の理由からこの記事も匿名で書かせてもらっているが、そうした意味でこれほど神経を使うインタビューは初めてだったかもしれない。

先輩の口から語られる現地の実態

16日の午後4時半(現地の正午)。インタビューが始まった。

驚いたのは、電話の向こうから聞こえる先輩の声が極めて落ち着いていたことだ。

近くに幼い息子がいるため、取り乱して心配をかけたくないという。

私はまず、タリバンがカブールに進攻した時のことから、順を追って聞くことにした。

「きのうのことについて教えてください」
先輩
「タリバンがカブールにやって来たと知り、私は家族や友人と空港へ向かいました。とにかくここを離れなければと思ったからです。空港ではたくさんの人々が恐怖で泣き叫んでいました。誰もパスポートやビザは持っていませんでしたが、とにかくここを離れたい一心でした」
ところが、数時間がたっても事態は動かない。
自宅が心配だったこともあり、一度戻ることにしたという。

私が最初に連絡を取ったのは、ちょうど自宅に着いた時のことだったようだ。

その後、一睡もできずに朝を迎えた先輩が向かったのは、勤務先の病院だった。
先輩
「けさ8時ごろ、勤めている病院に向かいました。負傷者がいるのではないかと思ったからです。道路には警察も軍もおらず、タリバンが占拠していて、検問を行っていました。彼らは人々に、仕事は何か、名前は何か、どこへ行くのか、どこへ住んでいるのかと、しつこく尋問していました。政府関係者を探すためです。疑わしい人がいれば、その場で拘束し、裁きを下していました」
病院に着くと、負傷者はおらず胸をなで下ろしたという。
一方、空港にいる友人からは凄惨(せいさん)な光景が送られてきたと明かしてくれた。
先輩
「アメリカ軍が人々に向かって発砲している映像が送られてきました。最初は混乱を避けるための威嚇射撃だったのでしょう。
しかし、“自分たちも乗せてくれ”と人々が押し寄せると、彼らに向けて銃を撃ち始めたようです。アメリカ兵も彼らに殺されると思ったのかもしれませんが、あまりにひどい話です」
実際、この時のアメリカ軍の発砲で複数の男性が死亡したことを、後日、アメリカ国防総省が認めている。

聞いておきたかった質問

40分に及ぶインタビューの最後。私には聞いておきたいことがあった。

それは「今、先輩が何を望んでいるのか」ということだった。

現地の情報を伝えるだけで、本当に彼らの役に立つのか不安だったからだ。

「今、国際社会に望むことは何ですか?」
先輩
「私たちが求めているのは、軍事的な支援ではありません。決してタリバンを攻撃してほしいわけではない。それよりも、避難民の受け入れなど、人道的な支援を求めています」
「中でも、恐怖を感じているのが女性たちです。母や姉妹、そして妻は、夜通し泣いていました。私がいくら大丈夫だと言っても、20年前の悪夢を知っているから恐ろしいのです。
今、アフガニスタンのすべての女性たちの身が脅かされています。すべての女性たちの未来が脅かされています。家族や友人を助けてください」

地続きにある世界で起きていること

放送後、私のもとには先輩と親交のあった先生や先輩たちから感想のメールが届いた。

つづられていたのは「どうか無事でいてほしい」ということばと、先輩と過ごした日々の穏やかな記憶だった。

机を並べて学んだこと。

休み時間にふざけ合ったこと。

一緒に遠足へ出かけたこと。

そして、

「この瞬間も恐怖におびえ、不安に押しつぶされそうな日々を過ごしているアフガニスタンの人々が、決して遠い世界の人間ではなく、私たちの友人なのだということにことばを失った」

ということだった。

あの日、確かに同じ景色を見ていたはずの人間が、今は銃声の鳴り響く街で息を潜めるように生きているという事実は、かつての先輩を知る私たちに重くのしかかっていた。
この記事を書いている今も、先輩とは連絡を取り合っている。

現地では、国外退避を求める人々が空港に殺到したままだ。

「これからどうするのか」と尋ねると、先輩は「自分や家族の命が危険にさらされている状況に変わりはない」と言いながら、みずからの決意を打ち明けてくれた。
先輩
「いつ安全な場所に逃れられるかわからないけど、ここにいるかぎりは人々のために働きたいと思っています。私は医療従事者です。今こそ多くの人々が私を必要としているはずだから」
報道番組部ディレクター

国際報道2021などを担当