パラリンピック 「特別じゃない」12億人の訴え

パラリンピック 「特別じゃない」12億人の訴え
「世界の15%」「7人に1人」「12億人」

この数字を聞いて、皆さんは何を思い浮かべるだろうか。
AB型の人の数?インドの人口?いや違う。世界の人口78億人のうち、体や心に何らかの障害がある人の数だ。

街なかの交差点にも近所のコンビニにも。通勤の電車の中にも、あなたのそばにも12億人のうちのひとりがきっといる。
伝えようとしているのは「みんなで、壁を壊そう」というメッセージだ。
(スポーツニュース部記者 島中俊輔・金沢隆大)

ある動画の問いかけ

車いすに乗った屈強なパラアスリート。その背中に次々と言葉が投げかけられる。

「すごく感動した」「私たちの背中を押してくれる」「あなたはスーパーヒーロー」
ここでアスリートはカメラに向かってこう問いかける。

「本当に?」
この動画はパラリンピックを主催するIPC=国際パラリンピック委員会が東京パラリンピックの直前、8月中旬に公開した。

その後、動画に登場する人の中にアスリートはいない。

子どもを抱えた電動車いすの男性。街なかにたたずむ義足の女性。

ベッドメーキングに苦戦する男性。結婚式を迎えた視覚障害のあるカップル。

いずれも世界の各地で何気ない日常をおくる身の回りの障害がある人たちの姿だ。

そんな彼らが口々に訴えるのは「僕たちは特別じゃない」「壁を壊そう」というメッセージだ。
「WeThe15」と名付けられたこのキャンペーン。
世界の人口のおよそ15%、12億人に何らかの障害があるとして、身近にいる多くの障害者に目を向けるように呼びかけている。

これからアスリートが輝く、パラリンピックが始まろうという時になぜこんなキャンペーンを始めるのか、IPCのトップにその意図を聞いてみた。
IPC=国際パラリンピック委員会 パーソンズ会長
「多くの障害者たちが、社会の一部として活躍する機会をいまだに与えられていない。社会サービスを受けたり雇用を得たり、街の中で自由に生きたりという機会がほかの人たちのように与えられていない。達成すべきことはたくさんある」

スーパーヒューマンが注目を浴びる一方で…

アスリート以外の障害者に目を向けるよう訴えるIPC。その理由はパラリンピックの原点にさかのぼる。
1948年、イギリス南部の小さな町、ストーク・マンデビル。

ここには第2次世界大戦でけがをした兵士たちのリハビリ施設があった。
そこでリハビリの一環として始まったアーチェリー大会がパラリンピックの原点だ。

つまり障害がある人たちの社会参加を促す一環として始まったのがパラリンピックなのだ。
その後、70年以上の時を経て、パラリンピックはいまやオリンピックとサッカーワールドカップに次ぐ世界3番目の規模のスポーツイベントとして注目されるようになった。

競技の高度化も進んでいて、オリンピック選手をしのぐ記録をたたき出す選手まで現れている。

陸上走り幅跳び、義足のクラスの世界チャンピオン、マルクス・レーム選手(ドイツ)の8m62cmの記録は東京オリンピックの金メダリストの記録を21センチ上回っている。
こういった選手たちは「スーパーヒューマン」、つまり“超人”として注目を浴び、称賛の対象になってきた。
パラ陸上 マルクス・レーム選手
「スーパーヒューマンという呼び名は気に入っている。パラリンピックは人々の見方を変えたと思う。以前は、私たちに対して、“かわいそう”だと哀れみを感じる人もいたが、それは変わった。私たちのパフォーマンスのレベルがはるかに上がったからだ」
しかし、突出した能力を持つアスリートが注目されるようになった一方で障害がある人たちを取り巻く社会環境は依然として多くの課題が残っているのではないか。

それがこのキャンペーンを始めたIPCの問題意識だった。
IPC パーソンズ会長
「パラリンピックを通じた障害者への理解はまだ不十分だと思っている。障害者は4年に1度のパラリンピックのためだけに存在しているわけではない、世界のあらゆる場所で暮らしている。スポーツを通じて誰もが共に暮らせるより良い社会を作る手助けになる、パラリンピックはその原点に戻る時が来ている」

あるオリンピアンの告白

誰もが共に暮らせるより良い社会。
IPC会長が語るそんな社会をどうすれば実現できるのか。

パラアスリートとの出会いをきっかけに障害者へのまなざしが変わったという人がいる。

大森盛一さん(49)だ。
かつてオリンピックにも出場したことがある陸上選手だったが、当初はパラリンピックの存在に関心を持てなかったという。
大森盛一さん
「オリンピックは健常者が己の力を高めるために努力をして、4年に1度の大会で選ばれた人しか出られない大会。一方で、パラリンピックはオリンピックのあとに行われる障害者の方たちがやる大会だよねというくらい。見たことはないが違うものだという先入観があった」
そんな大森さんに14年前、大きな転機が訪れた。

1人の目の見えない女性と出会ったことだ。

その人は高田千明選手。
東京パラリンピックに陸上走り幅跳び、視覚障害のクラスで出場する全盲の選手だ。

大森さんがコーチを務める陸上クラブを訪れた高田選手。

大森さんの第一印象は。

「OLのお姉さんが…、みたいな感じ。目が見えない中で思いきり走ることなどできないだろう」

先入観という“壁”は打ち砕かれた

半信半疑で始めた指導。

しかし、続けていくうちに大森さんの先入観は打ち砕かれていった。
大森盛一さん
「全力疾走している姿にびっくりした。走りたい。走れるようになったら競争してみたい。健常者であっても、障害者であっても、そういう『走りたい』って思うのは変わらない」
大森さんは高田選手の「コーラー」を務めるようになった。

暗闇の中で走る高田選手にかけ声と手拍子で走る方向や踏み切りのタイミングを伝える競技に欠かせない存在だ。

二人三脚で競技に取り組むうちに、自分の中に作っていた障害者への壁がなくなっていったんだ。
大森盛一さん
「高田選手と知り合う以前は、僕は障害者を避けていた。障害者を見ないようにしていた。自分たちの理解から外れてしまうものって怖いと思ってしまう。なので、声をかけづらい、近寄りづらいっていう意識があった。そうではなく目が見えなかろうが、腕がなかろうが、足がなかろうが、同じ人間として、一緒な人間ですよと思うようになった」
障害者へのまなざしが大きく変わったという大森さん。

いまでは街で障害がある人を見かけると自然に声をかけられるようになったという。
大森盛一さん
「例えば視覚障害者が1人で杖を持って、点字ブロックの上を歩いているとして以前は避けて通っていた。だが、今はあの人はいったい何をしたいんだろうと考えて『どうしましたか』と声をかける。障害者と接する機会が、増えれば増えるほど理解できるようになる。パラリンピックはそのきっかけになると思う」

ヒントはパラリンピックに

実はパラリンピックにはコーラーのように障害がある人を自然にサポートできる工夫が詰まっている。

そのことを知るだけでも障害がある人や社会に対する見方が変わるきっかけになるんじゃないか。大森さんはそんなことも感じている。

例えば陸上で「絆」と呼ばれるロープでつながりともに走る「伴走者」。

競泳で視覚障害の選手にクッションの付いた棒でたたいてターンのタイミングを知らせる「タッパー」。
ボッチャではボールを手で投げられない選手のために滑り台のような「ランプ」と呼ばれる器具を使って転がすことが認められている。

多くの人たちが公平な環境で競技できるようなパラリンピックの工夫は、互いが苦手なことを支え合う誰もが暮らしやすい社会を作るためのヒントがきっと詰まっているはずだ。
大森盛一さん
「互いに互いを支え合ってできないところを補完し合う。例えばコーラーは選手ではないので跳べないけど、コーラーがいて1つの走り幅跳びになる。スポーツに限らず、それは何か今の社会に足りていないものを感じるのに、いいお手本になるのではないか」

15%の声が聞こえるか

東京パラリンピックが始まった。

4年に1度だけではなく、競技場の中だけでもなく。

あなたの身の回りにも目を向けてほしい。

ともに生きる12億人の人たちの声が聞こえるはずだ。

そう!「みんなで、壁を壊そう」
スポーツニュース部記者
島中俊輔
平成21年入局
静岡局、鹿児島局を経て、スポーツニュース部。パラ競泳を中心にパラリンピック担当。
スポーツニュース部記者
金沢隆大
平成24年入局
広島局、大阪局を経て、スポーツニュース部。パラリンピック担当。