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念願の正社員、でも「安かった」

正社員として働いていて、自分が1時間あたり、いくらで働いているか計算してみたことはありますか。

「あれ、これ、ほぼ最低賃金だ…」
都内で働く25歳の女性は、あらためて自分の給与を計算してショックを受けました。

「正社員でも自立した生活が送れない」
そんな人たちが、今、日本で増えていると言います。
(社会部記者 植田治男 大西由夏)

「安定」求め念願の正社員に

25歳のマリさん(仮名)は、ことし1月から正社員として洋菓子メーカーで働き始めました。

4年以上、アルバイトとして働いてきた居酒屋の勤務シフトは新型コロナの影響で大幅に減り、「安定した生活を手に入れたい」と考え、正社員にこだわって仕事を探したそうです。
マリさん(25歳)
マリさんが入社前に確認した、インターネット上の求人には、次のように書かれていました。
「1日の実働8時間。週休2日で月給24万円~。ただし、固定残業代、50時間分を含む」
働いた時間に応じて給料が支払われる居酒屋のアルバイトと違って、正社員の仕事は毎月、24万円の収入は確保できます。

応募する前、「固定残業代」という聞き慣れないことばが気になったマリさん。

ただ、感染拡大が続く中で正社員として働ける求人はそれほど多くはありませんでした。
マリさん
「アルバイトはある程度、休みの自由がきくし気楽でよかったんですけど、コロナで簡単にシフトを削られてこんなに守られないんだと思い知って。正社員なら収入の見通しがたって安定した生活が送れるし、結婚して子どもを持つとか将来のことも考えることができるようになるって、そう思いました」

残業しても給与が上がらない?

マリさんは都内の百貨店の店舗に配属され、洋菓子の販売を担当しています。

正社員として商品の管理やディスプレイのアイデアなど、責任のある業務を任されることにやりがいを感じたものの、次第に自分の働き方と振り込まれる給与の差に違和感をおぼえるようになったと言います。

マリさんが見せてくれた、2021年7月の勤務実績です。
マリさんの勤務実績
1日10時間以上の勤務は当たり前。
急な休日出勤も多く、この月の労働時間は208時間にのぼりました。

そして、振り込まれた給与は24万6324円でした。

働き始めてわかったのは残業をしても毎月の給与はおよそ24万円で変わらないということでした。

なぜなのか。
調べていくと求人に書かれていた「固定残業代」という仕組みのためだとわかりました。

「固定残業代」は、基本給の中にあらかじめ定額の残業代が含まれている仕組みです。

マリさんの場合、「50時間分の残業代は月給24万円の中にすでに含まれているため、残業を50時間してもその分の残業代が上乗せされることはない」という契約になっていたのです。

“最低賃金以下”の正社員

マリさんは、7月の給与について詳しく調べたいと思い、自分が1時間あたりいくらで働いているのかを計算してみました。

すると…。
時給1184円。

東京都の最低賃金の1013円よりは170円ほど高いのですが、アルバイトとして働いていた居酒屋の時給は1270円で、当時より100円近く低いことに気づきました。

マリさんはさらに、「実際の労働時間」で計算してみることにしました。

職場のタイムカードを押したあともクレームの対応や事務処理など「正社員にしか任せられない」という業務に対応せざるをえない日も多かったといいます。

マリさんは、こうした対応にあたった時間を自分で記録していて、その時間をあわせると月250時間に上っていたといいます。

計算してみると、時給985円。

東京都の最低賃金1013円をも下回っていたのです。
マリさん
「こんな低賃金で働いていたんだって、ショックで。アルバイトの時は大して責任は重くないし勤務表どおりに帰れたから給料が少なくても開き直れた部分もあったんですけど、今は長時間労働で責任を取らされるのに給料が割に合わなくて、振り込まれた金額を見るたびに『何で?』って…」

正社員は「安定」でしかなかった

正社員になって半年あまり。
マリさんは当初、仕事に慣れたら1人暮らしを始めようと考えていました。

職場まで1時間以内で通える範囲で物件を探すと、家賃は月8万円ほど。
光熱費や食費、月1万5000円の奨学金の返済などを考慮しても、1人暮らしができないことはないと言います。

しかし、マリさんは今も実家に住み続けています。
マリさん
「たしかに正社員になってアルバイトの時より収入は安定しました。ただ、こんな理不尽な働き方、いつまで続けられるだろうって。10歳上の先輩の給料も私と大差はなくて、将来への望みなんて持てません。今は『シフトを削られない』ということだけで正社員にしがみつきたいと思いますけど、世の中が落ち着いたらどうしようか…。正社員がいいのかアルバイトがいいのか、どうすれば自立して余裕のある生活が送れるのか、わからなくて」
正社員になったら、月に1度は美容院に行って、化粧品や服にも少しはこだわれるようになると思っていたマリさん。

しかし、待っていたのは社員食堂で500円の定食を選ぶことさえためらい、時には昼食を食べる間もないまま働くという、お金にも時間にも余裕のない生活でした。
マリさんにとって唯一のぜいたくは、閉店間際のスーパーで自由に商品を選ぶことだと言います。

実家に住んでいるものの、家賃以外の生活費はすべて自分でまかなっているマリさん。

自宅の最寄り駅に着く夜10時半頃には自炊する気力もなく、夕食はいつも閉店間際のスーパーで売られている割引シールが貼られた総菜です。

増える“安い正社員”

後藤道夫名誉教授
マリさんのように1時間あたりの給料が最低賃金と同じ水準、もしくはそれに近い金額で働く正社員はどれくらいいるのでしょうか。
日本人の賃金について研究している都留文科大学の後藤道夫名誉教授に独自に推計してもらいました。
後藤名誉教授が分析のもとにしたのは厚生労働省が毎年行っている「賃金構造基本統計調査」です。
最低賃金の全国平均、時給902円の数値を使い、この時給で1か月働いた場合の収入を14万9732円としました。

この金額を基準として計算を行い、月収別の正社員の数のデータも使って最低賃金やそれに近い金額で働く正社員の割合を算出しました。試算には残業代などは含まれません。
その試算によりますと

▽最低賃金の1.1倍以下で働くのは3.8%、
▽1.3倍以下は11.7%となりました。

2007年でも同じように試算を行っていて

▽最低賃金の1.1倍以下は1.5%、
▽1.3倍以下は4.1%となっています。

この数値同士を単純に比較することはできませんが、後藤名誉教授は最低賃金に近い金額で働く正社員が大幅に増えていると分析しています。

「日本型雇用」の縮小

なぜ、最低賃金に近い金額で働く正社員が増えているのか。
後藤名誉教授は、「産業構造の変化」と「日本型雇用の縮小」を理由に挙げています。

グローバル化の進展でメーカーが海外に拠点を移すなどした結果、国内では賃金が低い傾向にあったサービス業などで働く人が増えたといいます。

さらに企業は先行きの不安から人件費を抑えるため非正規雇用の労働者を増やすとともに、正社員でも「年功序列型賃金」や「終身雇用」といったいわゆる「日本型雇用」を見直すケースが相次いだと指摘しています。
都留文科大学 後藤道夫名誉教授
後藤名誉教授は、雇用と給料が安定しなければ、「子どもを育てる余裕はない」、「頑張ってもむだだ」と考える人が増えると指摘しています。

そうなると少子化や格差の問題がさらに深刻化するおそれがあると危惧していました。
後藤名誉教授
「かつての日本には『正社員になれば生活が保障される』というイメージがあったが、すでにそうした目指すべきモデルは崩壊している。“ワーキングプア”という言葉はもはや非正規雇用で働く人だけを指すものではなく、正社員にもあてはまる問題だ。企業側が人件費を増やせるように利益を上げる努力を続けるとともに、正規、非正規を問わず、従業員が必要最低限の生活ができるよう、持続可能性のある賃金体系を労使で真剣に考えなければならない時期に来ているのではないか」
厚生労働省はどのように見ているのでしょうか。担当者は次のように話しています。
「ここ10年ほど、一般的な労働者(=正社員)などの層の賃金の引き上げ幅に比べて、最低賃金の引き上げ幅が大きかったため、結果的に最低賃金に近い水準で働く労働者が増加してきたと考えている。生産性を向上させるための助成金の周知など、特に中小企業を対象に、賃上げの環境整備につながる施策を推し進めていきたい」

正社員がいいのか、アルバイトがいいのか

非正規雇用で働く人たちの待遇を改善するため、この10年ほどの間に企業も保険料を負担する雇用保険や厚生年金、健康保険などに加入できる条件が緩和されました。

正社員と非正規雇用で働く人の間で社会保障の違いをなくしていこうという国の政策が進められる中で、賃金については全体の底上げが進んでいません。
「正社員がいいのかアルバイトがいいのか、どうすれば自立して余裕のある生活が送れるのか、わからなくて…」

取材したマリさんのことばを重く感じるとともに、頑張って働いても安心して暮らすことができない実態が広がっているのではないか。取材を終えてそう感じました。
社会部記者
植田治男
2009年入局
新聞記者を経て高知局、鳥取局、大阪局に勤務
社会部では事件や医療・労働などを取材
社会部記者
大西由夏
2011年入局
松山放送局を経て2016年から現所属
多様な働き方など労働問題を中心に取材

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