奥深き「軟券」の世界 レトロなきっぷに魅せられて

奥深き「軟券」の世界 レトロなきっぷに魅せられて
自他ともに認める”きっぷ鉄”の私。これまで日本中の列車に乗り、きっぷを集めてきました。
みなさん、「軟券」と呼ばれるきっぷをご存じですか。以前、この特集でも取り上げた「硬券」と呼ばれるきっぷが分厚い紙で作られているのに対し、「軟券」は薄くて柔らかい紙でできています。
ICカード乗車券が普及する今、昔からある軟券を目にする機会はめっきり減ってしまいましたが、その希少性もあり、一部の鉄道ファンから熱い支持を得ているんです。
奥深き「軟券」の世界、少しのぞいてみませんか?
(NHK松山放送局記者 後藤茂文)

軟券とは?

7月15日、松山市で行われたプロ野球の試合。
これに合わせて、松山駅や会場最寄りの市坪駅で、その日限定で販売されたきっぷがあります。
こちらが、軟らかい紙でできた軟券です。
軟券の中でも、発行日以外の情報があらかじめ印字されている、「常備券」と呼ばれるタイプのきっぷです。
プロ野球の試合や有名な歌手のコンサートが開かれるなど、スタジアムを鉄道で訪れる人が特に多い日に限って、松山駅では松山~市坪間の往復きっぷを軟券でも販売しています。
去年はコロナ禍のため、スタジアムで大きなイベントが開かれず、この軟券が売られることは無かったといいます。
久しぶりに販売されたきっぷを求めて、野球を見ずに、きっぷだけを買った愛好家もいました。
大阪 堺市から来た男性
「これだけのために有給を使って愛媛に来ました」
厚紙の硬券に対して、薄い紙で出来ていることから「軟券」と呼ばれるようになったきっぷ。
自動券売機やみどりの窓口の発券端末で出されるきっぷも薄いですが、こちらは自動改札に通せるよう、磁気情報が入っていて、特に「磁気券」と区別されることもあります。
昔ながらの紙で出来た軟券は、裏が白いのも特徴です。
自動改札のある駅では、軟券を利用する人向けに、有人改札のブースに「うらが白いきっぷ」などと案内が書かれていたりします。
軟券は書き込める情報量が多く、印刷コストも安いことから古くから幅広く使われてきました。
硬券が、そのレトロな感じもあいまって、記念グッズとしてよく利用される一方、ペラペラの紙でできた軟券は、見かける機会は非常に少ないと言えます。

軟券には「用の美」が宿る

軟券は、実用性を求めて作られたその様式、印字に美しさを感じさせます。
いわば、「用の美」というものが宿っているのかもしれません。
きっぷ愛好家の中には、軟券をあえて収集し、実際に乗車券や特急券として利用するのを楽しむ人も少なくありません。

私も、少しばかり軟券を集めてきました。
こちらが軟券の中でも私が好きな物の一つです。
JRの青春18きっぷ。
端末で発行するタイプでは無く、常備券の形で、かつてはJR四国や西日本、北海道の一部の駅で販売され、紙の色から「赤券」と愛好家の間で呼ばれていました。
すでに販売は終了し、赤券の18きっぷを手に入れることは出来なくなりました。

きっぷ鉄の「聖地」が愛媛に!

軟券の活躍の場が減る中、「きっぷ鉄」と呼ばれる愛好家から「聖地」とされている駅が、愛媛県の南予地方、鬼北町にあります。
鬼北町の玄関口、JR予土線の近永駅です。
この駅では、鬼北町がJRからきっぷの販売を委託され、町から再委託を受けたJRのOBたちが、窓口できっぷ販売しています。
近永駅できっぷを売る、竹本精作さんです。
鬼北町出身の竹本さんは、JRが「国鉄」だった時代に入社し、若い頃は駅務や車掌、運転指令などの業務を経験しました。その後、伊予大洲駅や八幡浜駅の駅長、愛媛エリアの企画部門を歴任したほか、JR四国の関連事業にも出向し、ベーカリーの運営や、宇和島駅に併設されたホテルで支配人を務めたりと、多彩な業務を経験してきました。
定年後は地元にある近永駅できっぷの販売を、ほかの委託職員と合わせて3人で交代で行っています。
近永駅では、宇和島や松山、高知行きなど、よく売れるきっぷは「常備券」として用意しています。
一方、珍しいのは「補充券」と呼ばれるきっぷ。
手書きやスタンプで行き先などを書き込みます。
補充券も種類がさまざま存在しますが、この駅では、片道乗車券を作るための補充券のほか、往復券などに使える「出札補充券」、特急券などを作るための「料金専用補充券」が用意されています。
また、回数券も専用の補充券を使って発券することができます。

補充券を使えば、四国内に限らず、全国各地への乗車券や特急券も発券することができ、いまでは大変貴重なものとなっています。
常備券や補充券といった軟券を手広く扱う駅は、JR四国では高松市の鬼無駅など、かつては各地に存在しました。
しかし、次第にきっぷを販売する駅は減っていき、多種多様な軟券を扱う駅は、JR四国では近永駅だけになってしまいました。
珍しい手売り・手書きのきっぷを求めて、全国から愛好家が毎週のように近永駅を訪れてきっぷを購入しています。
竹本さん
「首都圏や東北など、遠方から来ていただいてる方は多いです。多い方は5,6回近永に来たり、一度に4万、5万円くらい、乗車券や特急券を購入したります。『近永駅で買いたかったんです』ということで、皆さん喜んで帰っていただけます」
「補充券や常備券を幅広く扱うのは、おそらく四国でうち一軒だけですからね。逆に誇りを持って、きっぷを発券しています」
全国各地の乗車券や特急券を作ることができる補充券。
お客さんと一緒に、経路や途中の駅を丁寧に確認しながら、長距離・高額のきっぷを日々手書きで作っています。
補充券の性質上、発券に時間がかかるので、一度に何十枚も発券することは難しいといいます。
それでも竹本さんは、補充券を使って旅行しようという愛好家の求めに、できる限り応えたいと、奮闘しています。
近永駅のきっぷうりばは、JR四国から委託された鬼北町の負担で維持されています。
また、近永駅の駅舎と土地は今後、JRから町に譲渡され、来年度以降に町が駅舎を建て替える予定です。
地元の利用客だけでなく、全国からファンが集まっていることに、町は予土線活性化につながればと期待しています。
土居さん
「そんなに近永駅が有名になっているとは感じていなかったんですけど、きっぷを求めて鬼北町にきていただけるのは、すごくありがたいです」
「駅の近くに高校があり、地域の足としての役割もあるので、予土線は地域の発展に必要不可欠です。きっぷの委託販売もこのまま続けたいと考えています」

北海道 広がる軟券の世界

コレクターが今、注目しているのが北海道です。
記念品として定番の硬券ではなく、あえて軟券を発行して、路線のPRにつなげようとする動きが出てきました。
7月上旬、感染対策に気をつけながら、北海道へ取材に向かいました。
函館の玄関口、新函館北斗駅。
ここでは、新幹線開業5周年を記念して新幹線の乗車券が、軟券で販売されています。
ふだん新幹線で使う磁気券と異なり、昔懐かしい常備券のきっぷです。
ことし3月から、3つの駅で販売。
新幹線に紙のきっぷで乗れるとあって話題となり、これまでに2000枚以上売られました。
西村さん
「地元のお客様だけではなく、鉄道のファンの皆様にもお楽しみ頂けているということで反響を頂いております」
「常備乗車券を懐かしんで頂きながら、最新の技術が詰まった新幹線をご利用頂ければ」
特急券を別途購入し、常備券を使って、私も新幹線に乗ってみました。
紙のきっぷは自動改札が使えないので係員にスタンプを押してもらい(入鋏)、ホームへ向かいます。
新函館北斗駅から、隣の木古内駅まで35キロ余りを、わずか12分で移動。
軟券で、最先端の新幹線に乗ることができました。
いまだけの、貴重な体験が北海道新幹線で出来ます。
軟券は、ほかにも広がりを見せています。
北海道、空知地方の沼田町です。
平成11年に放送された、NHKの朝の連続ドラマ「すずらん」の舞台になった町で、当時ドラマをご覧になった方もいるかもしれません。
町内を走る留萌本線の石狩沼田駅では、平日のみ窓口で軟券のきっぷを売っていて、全国から愛好家が訪れます。
軟券の愛好家
「僕は愛知県常滑市から来ました」
「機械ではなく、時間をかけてきっぷを作ってもらってるっていうことに、すごいなんか価値がある感じがします」
路線の一部が5年前に廃線となった留萌本線。
路線のPRに珍しいきっぷを生かそうと、町がある取り組みを始めました。
なんと、ふるさと納税の返礼品に、軟券を選んだのです。
ことし6月に、100セット限定の返礼品として用意するとSNSで話題になり、すでに80人余りが寄付しました。
きっぷがきっかけで、留萌本線を利用する、沿線を訪れる人が増えればと、町は期待しています。
亀谷さん
「こういう返礼品があったら皆さん喜んでもらえるかなと思って作りました」「駅に行って、人がいて、きっぷを売っている、こういう風に暖かい駅を守っていきたいなと思います」

取材を終えて

コロナ禍や合理化で駅が無人化されたり、きっぷの発券を行う旅行会社の店舗がなくなったりする動きが全国で加速しています。
そして、きっぷ自体も次第に姿を消しつつあります。

私たちと鉄道の関わり方、利用の仕方は、この数年で大きく変わりそうです。
きっぷは、鉄道など公共交通機関という「移動手段」を使うための「手段」でしかない、という捉え方が普通かもしれません。
しかし、そうしたものにあえて着目すると、興味深い世界が広がっています。
いつまで残るか分からない、いまの鉄道文化。
紙のきっぷを通して、その魅力を感じてみてはいかがでしょうか?
松山放送局記者
後藤 茂文
津局 大分局を経て
2020年から松山局勤務
公共交通などを取材
全国のJR線の約96%を
乗車済み