落語家 笑福亭仁鶴さん死去 84歳 テレビ ラジオでも幅広く活躍

上方落語を代表する落語家でテレビやラジオでも幅広く活躍した笑福亭仁鶴さんが、今月17日、骨髄異形成症候群のため大阪府内の自宅で亡くなりました。
84歳でした。

大阪市出身の笑福亭仁鶴さんは高校を卒業後に上方落語の四天王と称された6代目笑福亭松鶴さんに入門しました。

演芸場で活躍するかたわら、ラジオの深夜番組やテレビのバラエティー番組で全国的に人気を集め、上方落語の顔として一時代を築きました。

関西の落語家などで作る上方落語協会の副会長を務めるなど上方落語の発展に尽力し、平成14年に放送文化賞を受賞しています。
また、「四角い仁鶴がまぁーるくおさめまっせ~」のせりふで知られるNHKの長寿番組「バラエティー生活笑百科」で30年以上にわたり司会を務め、お茶の間で親しまれてきましたが、平成29年から出演の見合わせが続いていました。

吉本興業によりますと、仁鶴さんは今月17日、骨髄異形成症候群のため大阪府内の自宅で亡くなりました。

84歳でした。

葬儀は親族や関係者のみで執り行われ、お別れの会などは予定していないということです。

間寛平さん「すごく淋しい 泣いています」

落語家の笑福亭仁鶴さんが亡くなったことを受けて、お笑い芸人の間寛平さんは自身のツイッターで「仁鶴師匠が亡くなられました、すごく淋しいです、今までいろいろお世話になりました、泣いています」とつづっています。

落語家 桂ざこばさん「いちばん売れてはった すごい人」

落語家の桂ざこばさんは「仁鶴先輩がお亡くなりになったと聞き、とても残念です。若い時に『五人の会』という落語会を仁鶴先輩、先代の春蝶さん、小染ちゃん、そして当時小米だった枝雀兄ちゃんでやっていて、中でもいちばん売れてはったので、すごい人やなと思っていました。ゴルフを勧めたのもおそらく私で、同じ左利きで一緒に回った人たちには、なんややりにくいなぁと言われたのを思い出します。長いことお疲れ様でした。ご冥福をお祈りしています」とコメントしています。

西川きよしさん「ついに追い越すことはできませんでした」

長年親交のあった西川きよしさんは「ラジオでは機関銃のようにしゃべり、テレビでは爆笑に次ぐ爆笑。そして劇場では天井がぬけるほどの笑いの波、その後やすしきよしが出るのです。いつも相棒と仁鶴さんに追いつけ追い越せで頑張ってまいりましたが、ついに追い越すことはできませんでした。本当におつかれさまでございました。ごゆっくりお休みください。ご冥福をお祈り申し上げます」とコメントを発表しました。

桂文枝さん「心の整理もつきません」

長年親交のあった桂文枝さんは「突然の急逝の報に接し大変驚いて動転致しております。私が学生の頃から親しくしていただき、吉本興業に入ってからもいろいろとご指導いただきました。テレビ番組もたくさんご一緒させていただきました。全く突然の悲報で私自身心の整理もつきません。心よりご冥福をお祈りするとともに、ご生前のご厚情に心より感謝いたします。どうか、どうか、安らかにお眠りくださいませ。本当にお世話になりました。ありがとうございました。いまはそれしか言葉が見つかりません」などとコメントしています。

中田カウスさん「万博よりも人気があった」

長年親交のあった中田カウスさんは「1970年の大阪万博の現場では何度もご一緒しましたが、仁鶴師匠のまわりにはいつも人だかりができ、万博よりも人気があったすごい人でした。劇場の出番が終わると、深夜ラジオ番組やご自宅に伺ってはたくさんのことを学ばせていただきました。夫婦そろってヨーロッパ旅行にご一緒させてもらうなど、若い頃から本当にかわいがっていただきました。きょうまで泣き言を言うことも、お酒で崩れることも一切みせたことがなく、『笑福亭仁鶴』という看板をずっと大事にされていたことと思います。見事な仕舞い方(しまいかた)だったと思います。本当にお疲れ様でした」とコメントを寄せています。

笑福亭仁智さん「今はゆっくり休んでいただきたいです」

一番弟子の笑福亭仁智さんは「亡くなる2日前に2時間いろいろなお話をしたばかりなので、びっくりしました。上方落語の存在を全国に知らしめたパイオニアであり、功労者。弟子として少しでもその芸を継承し、功績を顕彰していきたい。まだまだ相談したいことがあったので悔しいです。今はゆっくり休んでいただきたいです」とコメントを寄せました。

大阪の街では悼む声が相次ぐ

大阪の街では「残念です」とか「さみしい」など、死を悼む声が聞かれました。

このうち大阪・堺市の30代の会社員の男性は、「びっくりしました。偉い師匠なのにテレビで見た感じは優しそうな印象が残っています」と話していました。

また、奈良県橿原市の30代の男性は、「大阪の重鎮が亡くなられた印象です。週末のお昼にテレビで『まぁーるくおさめまっせ~』と言っていたのがとても印象に残っています。子どものころからテレビで活躍を見ていた人が亡くなり残念です」と話していました。

50代の男性は、「大阪を代表する人が亡くなるのはさみしいかぎりです。NHKの番組によく出ていましたの覚えています。嫌みの無い人で好感が持てました」と話していました。

60代の男性は、「昔、何度も落語を見に行ったので思い出深いです。仁鶴さんの優しいものの言い方が好きでした。大阪の象徴、大阪人の象徴だった気がします。最近亡くなられる人が多くさみしい気がします」としみじみと話していました。