【独自入手】太平洋戦争で精神疾患 元日本兵の追跡調査資料

太平洋戦争などで精神疾患となった元日本兵100人余りについて、戦後、追跡調査した資料をNHKが独自に入手しました。資料には症状の原因となった戦場での過酷な体験や戦後も差別を受けた実態が記されています。

この調査は日中戦争や太平洋戦争の際、精神疾患となった兵士を収容していた千葉県の病院に勤務した精神科医の目黒克己さん(88)が昭和40年までに行ったもので、104人の元兵士から聞き取りなどをした調査資料は800ページ余りに上ります。

調査の結果、4分の1にあたる26人は戦後およそ20年がたってもPTSD=心的外傷後ストレス障害とみられる症状などが残っていました。

資料には発症の原因となった戦場での過酷な体験が記され、このうち中国で従軍していた元兵士は、ゲリラを討伐するためとして集落を襲った時のことを語っていました。

「とうてい天国へは行けない」

地下室で人の気配がしたため手投げ弾を投げ入れたということで「地下室をのぞいたところ、女、子どもが大勢死んでいた。自分はとうてい天国へは行けないと思った」と述べています。

この元兵士は戦後も顔面のまひや難聴などの症状に苦しんでいましたが、家族には病状を隠し戦場での体験は一切語っていなかったということです。

また別の元兵士は調査への回答とあわせて精神疾患への差別に苦しんでいると訴える手紙を書いていました。

元兵士は「子供が人々からお前の父親は神経病であったとよく言われて学校より泣いて帰ってきたこともあります。いっそ私が死んだ方がいいと思うこともあります」などとつづっています。

「戦争は不幸なことを起こすこと 記録し残すことが大事」

今回、NHKに資料を提供した目黒医師は「戦後76年がたち事実を知らしめてもいいと考えた。戦争はこうした不幸なことを必ず起こすということをきちんと医学的に記録して残すことが大事だと強く思っていた」と話しています。

「戦争神経症」8000人のカルテをもとに追跡調査

戦時中「戦争神経症」と呼ばれた精神疾患を発症する将兵が相次いだことから昭和13年、千葉県にあった「国府台陸軍病院」を専門病院として患者の治療を行っていました。

目黒医師は終戦後この病院に勤務し、およそ8000人に上るカルテをもとに昭和37年から40年にかけて追跡調査を行い、104人から回答を得ました。
半数以上の59人は症状も治まり通常の社会生活を送っていましたが、4分の1にあたる26人は戦後およそ20年がたっても神経衰弱といった症状やアルコール依存などが見られたということです。

さらに13人から対面で詳細を聞き取った結果、症状が治まった人も含めてすべての人が家族にも精神疾患となったことを明かしていなかったことが分かりました。

仲間の遺体処理に追われ…

このうちの1人は戦後、横浜市で服飾の専門学校を設立し経営していましたが、家族には戦時中「内臓疾患」で戦場を離れて療養していたと説明していました。

調査記録によると中国戦線で所属していた部隊が大きな被害を受け仲間の遺体の処理に追われる中、倒れたということで「神経衰弱」と診断され8か月の入院を余儀なくされました。

調査時点では症状は治まっていましたが、目黒医師に対して「妻に知られないかを心配していた。自分は正常であるということを証明しようと一生懸命であった」と語っていました。

神経衰弱と診断の元日本兵の息子「ことばにならない」

専門学校の経営を継いだ息子の櫻井武美さんはNHKの取材に対して「内臓疾患だったと聞いていたものですからことばにならないというのが現実です。精神を病んだなんて初めて聞いたことですが、相当なストレスだったのでしょうね」と話していました。
今回明らかになった元兵士の追跡調査については、19日夜の「クローズアップ現代+」で詳しくお伝えします。

クローズアップ現代+「封印された心の傷“戦争神経症”兵士の追跡調査」(総合テレビ 19日夜10時)