“最も死に近い精神疾患”~その苦しみはあなたのせいじゃない

“最も死に近い精神疾患”~その苦しみはあなたのせいじゃない
多くの人にとって楽しみであることが、女性にとっては出口の見えない苦しみでした。

女性と同じ病気の人は全国で少なくとも20万人。医療機関にかかっていない人も含めればもっとたくさんの患者がいるとされ、今、コロナ禍で症状を悪化させている人も多いといいます。

“その苦しみはあなたのせいじゃない”

女性の心を救ったメッセージはいつか、大切な誰かの助けになるかもしれません。

(金沢放送局記者 園山紗和)

いちばん安心な食べ物

家の中には驚くほどたくさんの「食パン」がありました。

冷蔵庫、階段の下、そして物置にも...。

金沢市のはるかさん(34)。

大量に食べては吐き出してしまう摂食障害、「過食おう吐」の症状があります。
『食パンは大量にストックしています。少ないと不安。あると安心』
はるかさんにとって、食パンはいちばん吐き出しやすく“安心できる食べ物”だといいます。

吐き出すときには炭酸水を胃の中に一気に流し込みます。

吐きたくなったらトイレでいつでも吐けるように、炭酸水もトイレの向かいに大量に備えてありました。
『ケーキが食べたくても、手が伸びるのはいつも割引きの50円の食パン』
そんな生活を、はるかさんはもう18年間も続けているのです。

壊れてしまったブレーキ

小学校高学年のころのはるかさんです。

見た目は健康な少女。

でもこの時期から体型にコンプレックスを感じるようになっていました。

17歳。

入っていた高校の部活動で、仲間どうしの人間関係のもつれを解決しようとしましたが、うまくいかず、周りからのフォローもありませんでした。

孤立していると感じたはるかさんは、トレーニングに没頭し、落ちていく体重に、“救い”を見いだすようになっていったといいます。
トレーニングの日もお弁当は3口だけ。

体重が減るたびに、自分の心までも軽くなるような、最初は、ただそんな感覚でした。

ささいとも思えるきっかけ。

しかし、はるかさんはそのころすでに食べる行為を自分の意思ではコントロールできなくなりつつありました。

食べる量を極端に減らすことから、大量に食べて吐くことが習慣になり、今も続く病気との闘いが始まりました。

吐く力も無くなって...

いちばん痩せてしまっていたころのはるかさんの足です。

体重は24キロにまで落ち、転んでしまうとすぐに起きることができませんでした。

『もう死ぬかもしれない』と感じたのは22歳の時。

かぜをひき体調が悪い中、いつも通りたくさんの食べ物を無理やり詰め込みました。

しかし吐き出すことができず、救急車で運ばれました。
そして緊急手術。

胃を切り、チューブを挿して食べ物と水分を取り除きました。

はるかさんの体は、“食べ物を吐くこともできない”までに弱っていたのです。
『本当に苦しくて、ああ死ぬんだと思いました。こんな思いしたからもう自分は食べ吐きしないと思っても、やっぱり病院から帰ったら少しずつ食べて吐くんです』
はるかさんのおなかには、痛々しい手術の痕が残っていました。

患者の心の中

さまざまな合併症を招き、『もっとも死亡率が高い精神疾患』と言われる摂食障害。

全国に20万人、医療機関にかかっていない人も含めれば患者の数はさらに多いとされていて、皆さんの周りの誰かが苦しんでいたとしてもおかしくはない病気です。

しかし、どう支えていけば良いかは周囲にとっても難しい問題です。

明らかに食べる量が減っている友人が近くにいたら、心配になり、『もっと、食べたほうが良い』、『体重のことなんて、気にしないほうがいい』と助言したくなるかもしれません。

一方、摂食障害の当事者は食事という“当たり前”の行為がままならないことについて、自分を責めているケースが非常に多いといいます。

よかれと思って発したことばでも、『どうして食べられないの?』『気持ちしだいでなんとかならないの?』そんな言外の気持ちを感じ取ってしまい、ますます追い詰められてしまうことがあるといいます。
はるかさん
『食べて、吐く行為は確かに自分の体を傷つけます。でもその時間だけは心の苦しさを忘れていられるんです。不安やモヤモヤを食べ物と一緒に体の中に押しこんで、それを吐き出すことで、生きていられる気がするんです。誰かに助けてほしい、本当は私つらい。ことばにできない苦しさがあるんです』
取材の日、懸命に話してくれたはるかさんの表情が私にはとても印象的でした。

救ってくれたことば

つらさを誰にも打ち明けられず、1人抱え込む日々。

十数年前、はるかさんは、みずから死を選ぶことさえも意識するようになっていました。

「どうせ死ぬなら、海のきれいな場所で」と1人で沖縄まで出かけていったこともあります。

しかし、「自分を受け止めてくれる人がいつか現れるのではないか」、そんな思いも捨てきれませんでした。
『希望を信じて大丈夫。今は、情けや哀れにすがってでもいきていたい』
当時はるかさんが書いた日記には、絶望のふちで葛藤する心境がつづられていました。
そんなはるかさんの心にさした一筋の光。

同じ病気を経験した文通の相手から寄せられた手紙です。
「はるかさん、過食症にしがみついてでも生きていこうと思われたとのこと。まあいいかってベッドから外に出ているとのこと。それを読んで私はとってもうれしくなりました。はるかさん、いいぞいいぞ。焦ることなくゆっくりと、ご自身のことを本当にいたわり、優しく接してあげることを続けていれば、いつか心の底から自分のことを愛おしく、大切に感じる瞬間がやってきてそのときには、食べ吐きの衝動自体がなくなっているはずです」
“その苦しさは、あなたのせいじゃない” “あなたは、ありのままでいいのだ”というメッセージ。
『当時の私に希望を与えてくれました。そのときの自分を認めてくれました』
はるかさんは、手紙について『宝物のように感じている』と話しました。

緩やかな回復へ

はるかさんは今、石川県の摂食障害当事者の自助グループ『あかりプロジェクト』の活動に参加しています。

グループのモットーは『お説教しない、批判しない、アドバイスしない』。

ほぼ毎日、その日集まりたいメンバーで集まり、悩みを分かち合います。
リーダーは山口いづみさん。

はるかさんが今も「宝物」だと話す手紙を寄せた女性です。

山口さん自身も、長年摂食障害に苦しみ、症状を克服した経験があります。
山口いづみさん
『私も最初は、病気の原因は自分の甘えや意志の弱さにあると思っていました。誰かに助けを求めるようなたぐいのことだとは考えていなかったんです。けれど、たくさんの人が同じように苦しんでいる。苦しむ人の何かが悪いわけでは決してないんです。責めることではないんです。助けを求めていいんです』
グループでは、一軒家を拠点に、自家ばい煎のコーヒーづくりを続けています。

無理なくゆったりとした時間を過ごしながら、豆を選んで煎る。

試飲を繰り返し、相談しながらまた煎る。

お手製のコーヒーは金沢市内のドーナツ店や公共施設などで販売されています。

『みんな、だめなんかじゃない。みんなには力があって人の役にも立てるよ』

メンバーどうし支え合いの活動を社会との結び付きにつなげていきたいと考えています。
はるかさん
『いまは無理に焦って治そうというふうに思っていないんです。1人ではないと感じられるからこそ、相手を思えるからこそ自分のことも認めていけるような気がします。自分らしく生きていく中で、最後に症状を“手放す”ときがくるのかなって』

取材後記

極端なダイエットの結果でしょう?はるかさんと出会うまで、私自身にも、そんな思い込みがありました。

病気が長期化すれば筋肉だけでなく脳さえも収縮し、死に至ることもある摂食障害。

その深刻さにもかかわらず、“心持ちしだいでなんとかできる”といった間違った認識が当事者を苦しめていること。

専門の病院や医師の数が極めて少なく、患者が必要な医療を受けられないケースが多くあるという課題があることも、取材を通じて知りました。

新型コロナの拡大以降、ようやくたどりついた医療へのアクセスが困難になり、孤立などから症状を悪化させてしまっている人も多いといいます。

はるかさんは、自分のありのままを受け止めてくれる人との出会いがきっかけとなり、前を向いて歩くことができるようになりました。

少しでも多くの人たちが摂食障害という病気について理解し、“その苦しさはあなたのせいじゃない”と優しく見守ることができる社会につながることを願っています。
金沢放送局記者
園山 紗和
令和2年入局
金沢放送局に配属され2年目の現在、事件裁判担当のキャップ。運転免許はあるが、安全を考え、ドライブは控えている。