「まっすぐには生きてこれなかった」歌人の心に残り続けた戦争

「まっすぐには生きてこれなかった」歌人の心に残り続けた戦争
「まっすぐには生きてこれなかった」

戦争を体験した歌人の大西民子さんが、『私の八月十五日』というエッセーに書いていたことばです。

戦後に歌人として活躍した民子さんは、何気ない日常を詠んだ作品で知られていますが、戦争に関する歌も残しています。

民子さんの心に影響を与えた戦争体験にまつわる作品から戦争への思いをたどりました。

(さいたま放送局記者 永野麻衣)

歌人 大西民子

大西民子さんは、大正13年に岩手県で生まれ、戦争を体験しました。

戦後の昭和24年に現在のさいたま市に移り住み、69歳で亡くなるまで歌人として活躍しました。

企画展「民子と戦争」

没後30年近くたったこの夏、さいたま市大宮区の大宮図書館で「民子と戦争」と題した企画展が初めて開かれています。

戦争を振り返って詠んだ歌の自筆の原稿などおよそ20点が、9月4日まで展示されています。
『降りやまぬ雨の奥よりよみがへり挙手の礼などなすにあらずや』
(初出:昭和44年)
これは、寺で出会った明日出征するという男子学生のことを詠んだ歌です。

戦争が終わった後に民子さんが、彼が無事に再びこの寺に来ることができたのだろうかと振り返った時の思いが込められています。

釜石での艦砲射撃

民子さんが戦争を体験したのは、岩手県釜石市で教員をしていた時でした。
釜石市は、昭和20年7月14日と8月9日に2度の艦砲射撃を受け、700人以上が亡くなりました。

のちに民子さんが、この艦砲射撃について話していた音声記録が残されていました。
大西民子さん(昭和58年)
「釜石製鉄所のある町でございましたので、終戦間際に何度も艦砲射撃にやられて、町は廃虚のようになってしまいました」

死の恐怖をつづった日記

戦争当時の民子さんの日記には、死の恐怖を感じていた心情が繰り返し綴られています。
『7/5 だんだん死ぬ日が近づいて来るような気がしてならない』

『今死んで悔いはないけれどやっぱり生きていたいと思う』
そして、艦砲射撃当日。
『7/14 空襲警報にて横穴に待避す おどろしき艦砲のとどろき』

生徒を連れて歩き続けた日

その後、生徒を連れて、釜石から40キロの道のりを遠野まで歩いて疎開した民子さん。

その道中を振り返った歌が残されています。
『遠き夜の記憶のなかに立ちそそる照明弾の下の樫の木』
(初出:昭和41年)
さいたま市立大宮図書館 篠原由香 副館長
「のちに出した民子さんの本にもこの歌について、生徒たちが助かるのなら自分はどうなってもいいと歩き続けたことが忘れられないと書いています。それほどまでにこの日の出来事は民子さんの中にもすごく残っていたんだなということが感じられます」

日常の風景に見た戦争

戦後、現在のさいたま市に移り住み、歌人として活躍した民子さん。

戦争体験はその後の人生にどのような影響を与えたのでしょうか。
民子さんの数々の短歌を考察してきた歌人の沖ななもさんです。

生前に民子さんと交流があった際には民子さんが戦争について、語ることはなかったということですが、残された作品から何気ない日常の風景にも戦争を重ね合わせていたと感じています。
その一つが、反戦歌を依頼されて民子さんが出した短歌です。

それは、朝食の風景を詠んだ歌でした。
『あたためしミルクがあましいづくにか最後の朝餉食む人もゐむ』
(初出:昭和44年)
温めたミルクを飲んでいるけれども、どこかで最後の朝食を食べる人がいるのではないかという意味合いの歌です。
歌人 沖ななもさん
「ミルクを飲む日常の中にも死というか危機みたいなものがある。平和と危機というのは表裏なんだという思いがあって、それが戦争の体験から出てきたのではないか」
このほかにも語彙の選択によって戦争を感じさせる歌があるといいます。
『軍用馬にとられむ憂ひも今は無く姿やさしきジョッキーが乗る』
(初出:平成3年)
歌人 沖ななもさん
「ジョッキーが乗っているので競馬のことなんですが、馬を見た時にも平和に野原をかけている馬ではなくて、戦争に行った馬というのを連想している。これは、決して戦争の歌を歌っているわけではないけれど、語彙の選択で戦争を思わせる歌になっている」

まっすぐには生きてこれなかった

戦争に直接言及した資料が限られる中で、亡くなる3年前に雑誌に掲載されたエッセーに民子さんの思いをうかがわせる記述があります。
『40数年前の教え子が突然訪ねてきた。そして言う。「先生、わたし、まっすぐには生きてこれなかった。」戦争で失ったものの大きさを、改めて知らされる思いがした』
そして、民子さんは最後をこう締めくくっています。
『まっすぐでなくなったのは彼女の運命だけではなかった』
歌人 沖ななもさん
「大西民子さんの人生の中で戦争ということがいかに大きかったか、心の中に冷たいものとしてひそんで、ずっと、もっていたんじゃないかという気がしますね」
このエッセーでは、実際にどのように「まっすぐではなくなった」のか明らかにされていませんが、戦争が引き起こす重さを感じました。

戦後76年がたち、1人の歌人の人生や短歌を通じて戦争を考えることで、日常を生きていた人の心に戦争が与えた影響の大きさを感じ取ることができました。
さいたま放送局記者
永野 麻衣

平成18年入局
富山局、名古屋局、社会部を経て令和2年から現所属