ブレイディみかこが読み解く「銃後の女性」~エンパシーの搾取

ブレイディみかこが読み解く「銃後の女性」~エンパシーの搾取
戦時下、「贅沢は敵だ」がスローガンに掲げられた時代、かっぽう着にタスキをかけ、出征兵士を日の丸を振って見送る女性たちの姿が見られました。「社会の役に立ちたい」と「国防婦人会」の活動にのめり込み、結果的に戦争に協力してしまった女性たち。
今夜(14日夜)放送の「NHKスペシャル 銃後の女性たち~戦争にのめり込んだ“普通の人々“~」では、戦争に巻き込まれていった彼女たちの知られざる思いをひもときます。
英国在住のライター・コラムニストのブレイディみかこさんは「エンパシーの搾取」をキーワードに、戦時下の女性たちから、私たち現代の女性が学ぶべきことがあると話してくれました。
(NHKスペシャル「銃後の女性たち」取材班)
※「エンパシー」…他者の感情や経験を理解する力。多様化する社会では必須とされる。

戦時下の女性たちの「靴を履く」

戦時中、国防婦人会は広く「台所から街頭へ」と呼びかけ、最大で1000万人の女性が参加しました。

当時、参政権もなく家事の全てを担っていた女性たちは、社会的な居場所を求めて国婦の運動にのめり込んでいったのです。

その様子は、ドラマなどで「かっぽう着に肩からタスキをかけ、熱心に日の丸の旗を振る姿」として、しばしば描かれています。
ブレイディみかこさん
「まるで軍国主義に洗脳されているような彼女たちの姿は、私たちとは全く違う人間に思えますから、どうしても線を引きたくなる気持ちもあります。しかし、集団としてではなく一人ひとりの心持ちを探っていけば、なぜそのような活動に関わっていたのかわかってくると思うんです」
ブレイディさんが提案するのは、「エンパシー」を使って、戦時下の女性たちの“心”を想像してみること。

「エンパシー」とは、同意や賛成はできなくても、なぜそういう意見を持っているのだろうと、その人の立場に立って想像してみるスキルのことで、英語では「他者の靴を履く」という表現でも説明されています。

歴史を学ぶ際に、その時代に生きた人たちの靴を履くことによって、“自分たちとは違う存在”として、切り離して考えてしまいがちな相手だとしても、一人ひとりが違う人間として見えてくるようになると、ブレイディさんは考えています。

戦争が社会進出の場になった悲劇

女性たちは、なぜ戦争を後押しするような活動にのめり込んでしまったのか。

その理由は、「女性たちの社会進出の場だったから」だとブレイディさんは指摘します。
ブレイディみかこさん
「国防婦人会の活動は、彼女たちに許された唯一の社会進出でした。それまで、台所の中で“小さなストーリー”を紡いできた女性たちは、活動を通じて初めて自分の行動が、国家の運命つまり“大きなストーリー”を動かしているという感覚を持てたのではないでしょうか。例えば、息子を戦争に出した母親が、戦地の兵隊たちに物資を送るボランティア活動に熱中したり、若い女性たちがお姑さんと過ごす息苦しい家の中から抜けだし生き生きと国防婦人会の運動に参加したりと、それぞれに生きがいを見つけていった。その裏側には一人ひとりの人生があって、心があって、そして活動にのめり込んでしまったんだと思うんです」
もともと家庭にいた女性たちは、家族の世話で忙しく、いつも“誰かの靴”を履いている状態でした。

そんな女性たちの助け合いの活動、託児所や養蚕の講習会などの形態で始まった活動が、戦時中になると戦争を後押しするものに切り替わっていきました。

ブレイディさんは、女性たちの中には“兵士の靴”を履いてエンパシーを働かせて一生懸命になって活動していただけの人もいたのではないか、そして、そのエンパシーを搾取していたのが当時の陸軍であり国家だったと、戦時下の女性たちに寄り添います。

そして、その女性たちの姿には現代の女性たちが投影できると言います。
ブレイディみかこさん
「彼女たちが一様に洗脳されていたわけではなく、それぞれの理由や背景があって、前向きに活動していたことを知って、私自身も衝撃を受けました。そして、改めて彼女たちは私たちと同じ人間だったんだなと実感したんです。銃後の女性たちの姿は、あの時代だけの特別な話ではなくて、今の自分たちにも起こりうる話だと思います」

現代にも見られる「エンパシー」の搾取

ブレイディさんが懸念しているのは、「エンパシーが搾取されていること」。
ブレイディみかこさん
「新型コロナウイルスによる緊急事態が続く中、国を動かしている人たちが、『今は大変だから、あなたたちも自助で頑張ってください』と言ったときに、国民が『なんでそうなるの?』と思えないような状態に陥っていると思います。これもある種のエンパシーの搾取で、被支配者側が“支配者側の靴”を履いてしまい、『確かに今は緊急事態だし、しかたないよね』と、知らず知らずそうなってしまう」
そうなると、自分の靴を疎かにして、もともと自分がどんな靴を履いていたかもよくわからないような状態になってしまうとブレイディさんは警鐘を鳴らします。
ブレイディみかこさん
「(物資が極端に不足していた)戦時下では、金属製品の供出が義務づけられていたため、ご近所間で『あそこの家には、鍋がもっとあるんじゃないか』と、互いに目を光らせ合うようなことがありました。そして、それがエスカレートして、国防婦人会は志願兵のリクルートにも使われていたそうです。供出するものが、鍋から人間に変化していく過程は非常に恐ろしいものだけど、女性たちは決して外では『おかしい』と本音は言えなかったのです。今の日本も、いまだに本音が言いにくい社会のように思えます。たとえ自分たちにとって切実なテーマであっても、本音で話し合うことをしないから、誰も望まない社会へ向かっていっているように感じるんです。そういった部分は、当時と今の社会で、通じる部分があるのではないでしょうか」

エンパシーの搾取から逃れるために

ブレイディさんによると、本来「エンパシー」は生身の人間に対して働かせる想像力のことで、政府や国家のような抽象的な対象の靴を履いてしまうと、非常に危険なものになりかねないといいます。

エンパシーは社会を回していくためには必要なものではあるものの、特に緊急時は人間の尊厳が踏みにじられやすい状況に陥りがちなので、今こそ「自分の靴を明け渡さず、誰にも支配されない。自分の人生を生きる」という軸が重要だと、ブレイディさんは考えています。
ブレイディみかこさん
「自分の靴を明け渡さずに歩んでいくために大切なのは、“常識を疑え”ということだと思います。戦時下でも、もし一人ひとりに常識を疑う力があったら、立ち止まって考えるチャンスがあったのではないでしょうか。鍋はまだ供出できても、人間はさすがにだめだろうと思えたかもしれませんよね。一度立ち止まって考える教訓を残していると思います。今も、日本がいい方向に向かっていると思っている人はあまりいないのではないでしょうか。基準になるのは、生身の人間しかいません。私たちが私たちとして生きていけるのか。生きづらいのであれば、何かが間違っているし、生身の人間を犠牲にする社会はおかしいと思います」

「変わりたい」フツフツとした思い

今回のNHKスペシャルでは、戦時中に国防婦人会の活動に参加していた母親を持つ92歳の女性が、母親たちの活動が結果的に戦争協力につながってしまったことを教訓に、常に新聞を読み、社会の動きから目を離さないことを自らに課している様子を紹介しています。

そうした人たちから学ぶことが大いにあると、ブレイディさんは最後にこのような言葉を寄せてくれました。
ブレイディみかこさん
「現代の女性たちは仕事に家事に非常に忙しく、ニュースを読む暇もないという人も多いとは思いますが、ふだんから政治へ意識を持っておかないと、何かあったときにワッと流されてしまう。現状として、日本のジェンダーギャップ指数は、特に政治の分野においてひときわ目立って低く、女性が政治の世界から切り離されていることは昔とそう変わらないのではないでしょうか。ただ、日本の女性たちからは、近年“変わりたい”というフツフツとした思いが感じられています。自分ばかり追い詰めるのではなく、自分が自分として生きられる場所を、自分の手で見つけていってもらいたい。小さなことですが、自分の本音を言ってみるだけでも、何かが変わると思うんです。きっと、これから女性たちはいい方向に変わっていくと、期待しています」
〈ブレイディみかこ〉
ライター・コラムニスト。
1965年、福岡市生まれ。英国・ブライトン在住。
新著『他者の靴を履く アナーキック・エンパシーのすすめ』では、「エンパシー(他者の感情や経験を理解する力)」をキーワードに、互いの価値観を尊重する社会を作るヒントを提示している。