高校野球 “背番号1” エースに受け継がれるボール 大阪桐蔭

10日に開幕した夏の全国高校野球。球児たちにとっては2年ぶりとなる憧れの舞台です。大阪桐蔭高校には“背番号1”を背負うエースだけが手にできる特別なボールがあります。

大阪桐蔭の“背番号1”

3年ぶり11回目出場の大阪桐蔭高校。
全国から将来を有望視される選手が集まり、全員が寮で暮らしながら、3年間、技を磨き体を鍛え上げます。

この中で“背番号1”を背負うエースだけが手にできるボール。
大きく書かれているのは“1から 次の1へ”の文字です。
最後の夏の大会を終えたエースが、次の学年のエースに託したメッセージも記されています。プロ野球に進んだ選手の名前も残されているボールは、平成27年から受け継がれるようになり、大阪桐蔭のエースの誇りを伝えています。

誰もが認めるエースに

今、このボールを手にしているのは3年生の松浦慶斗投手です。
1メートル86センチ、94キロの恵まれた体格から、最速150キロのストレートを投げ込む左ピッチャーで、今大会注目を集める1人です。

松浦投手は宮城県石巻市出身。小学1年生だった10年前、東日本大震災で友達を亡くし、通っていた小学校の校舎も使えなくなりました。
その後、父親の仕事の都合で北海道旭川市へ引っ越しましたが、ふるさとのことを忘れたことはありません。
そして松浦投手は、甲子園を夢見て大阪桐蔭の門をたたきました。
松浦投手
「津波の影響で野球をやりたくてできない人がいたと思う。みんなの分まで自分が代表して野球をするという気持ちでやっている」

去年夏、甲子園で行われた交流試合のあと、新チームが発足したときに松浦投手は“背番号1”をもらいました。
そして1学年上のエースだった藤江星河投手から2個のボールを託されました。

「日本一の投手へ」
「ここからがお前らの代」

歴代のエースが次のエースに届けた思いの中に、藤江投手が松浦投手に送ったメッセージもあります。

「松浦へ桐蔭の『1』に相応しい選手になってほしい。誰もが認める人になれるよう頑張れ!!」
いまや高校野球界の横綱とも言える存在となった大阪桐蔭。松浦投手は、それにふさわしい、誰もが認めるエースの姿を追い求めました。
しかし、その道のりは決して甘くありませんでした。
ことし春のセンバツでは奈良の智弁学園と対戦。去年秋の近畿大会の決勝で敗れた相手に課題の立ち上がりを攻められ、4回までに4失点。チームは再び敗れました。

大阪桐蔭はセンバツ12回目の出場で初めての初戦敗退。“野球部の歴史を汚してしまった”と気を落としました。

その後の春季大会では、西谷浩一監督の方針で松浦投手はベンチを外れ、“背番号1”をほかの選手に譲ることになりました。
西谷浩一監督
「センバツの投球内容で調整がうまくいっていないと感じた。体を作り直してほしい」

最後の夏に向けて

“背番号1”を失った松浦投手。「持ち味の速球で打者をねじ伏せ、チームを日本一に導きたい」と徹底した走り込みで、下半身を鍛え直すなど地道な練習を続けましたが、焦りも口にすることもありました。
松浦投手
「ライバルたちの活躍を見て、このままではだめだと思った。下の学年の勢いも感じるし、投手は全員がエースを目指している」

そんなとき支えになったのが、先輩から譲り受けた2個のボールでした。しっかりしなければいけないと、自分を奮い立たせてくれたと言います。

松浦選手は、夏の大会までに本来の力を取り戻し、“背番号1”を奪い返しました。
エースとして最後の夏に挑む松浦投手。
受け継がれる2個のボールに誓っています。

松浦投手
「大阪桐蔭の『背番号1』は、ほかのチームの『背番号1』とは違う。大阪桐蔭のエースらしいピッチングをして、甲子園で優勝し、先輩たちにもいい報告をしたい」
大阪桐蔭高校は、西東京代表の東海大菅生高校と初戦を戦います。