“バイト”で平和をつなぐ

“バイト”で平和をつなぐ
「フェーズが変わっています。若い人たちも生活していかなきゃいけないんで」
8月6日の広島原爆の日が間近に迫った7月下旬、被爆者の願いを引き継ぐ若い世代について被爆者が発したことばです。
被爆者の平均年齢は84歳に迫り、「被爆者なき時代」も近づいていると指摘されます。
広島で始まった平和をつなぐ新たな活動。それは、担い手を確保するために「報酬」を支払うというものです。批判覚悟で始めたという活動の舞台裏に迫ります。
(広島放送局記者 佐々木良介)

ボランティアではなく「報酬」アリ

「カラフルな世界だったのが一気に白黒の世界になった。お母さんがいないお父さんがいない。それが原爆です」
原爆が投下されてから76年目の夏を迎えた広島。当時と変わらないであろうセミの鳴き声が響く平和公園では若者たちが被爆の実態を伝えるガイドの練習をしていました。

広島にはこうした活動を行うNPOや団体が数多くあります。参加する若者たちはほとんどがボランティアです。

しかし今その活動が変わりつつあります。
「ボランティア」ではなく、「報酬」を得て「アルバイト」としてガイドなどを行っているのです。

従来、こうした活動に参加する若者の多くは自分の気持ちに突き動かされたボランティアでした。しかし、自分の時間や生活を投げ打ってまでこうした活動に参加しようという若者はかつてのように多くはないといいます。

当時を語れる被爆者がだんだん少なくなる中、被爆者の願いを引き継ぐには、新たな活動の「カタチ」が必要だ。こう話す被爆3世の男性がいます。

祖父母との約束

NPO法人「ピースカルチャービレッジ」を運営する住岡健太さん(36歳)です。平和活動に「報酬」を導入しました。

広島市出身の住岡さん。大学の進学で広島を離れました。
卒業後は東京で飲食関係の会社を起こします。「成功」を手に入れ、忙しくも充実した毎日を送っていたといいますが、心から離れないことがありました。

それはふるさと・広島で交わした祖父母との約束でした。
住岡さんの87歳の祖母、シヅ子さんは11歳の時に広島で被爆しました。ことあるごとに被爆直後の地獄のように変わり果てたまちの様子や犠牲になった人の無念の気持ちを口にしていたといいます。

さらに4年前に亡くなった祖父からも、出征した際に体験した戦争の悲惨さを聞いていました。
住岡健太さん
「何でこんな経験をしなきゃいけなかったんだろう、何で戦争が起こるんだろうっていうのを幼い頃から考えてました。実際には行動に移したのは祖父が亡くなる時ですね。『平和活動をしていくよ』っていうふうに最後の会話ですね、約束をしましたので今こういった活動をしています」

ヒトとカネが足りない

会社を他の人に譲り、5年前に広島に戻ってきた住岡さん。祖父母との約束を果たすため平和活動を担うNPOに参加しました。

理想に燃えて活動を始めた住岡さん。
しかし、ほどなくしてNPOは資金難から経営が立ちゆかなくなってしまいました。

NPOの活動の柱は平和公園でのガイドと学校にボランティアを派遣して講義を行う平和学習です。当時、NPOの収入は寄付頼み。活動をすればするほど赤字になる状態でした。

さらに、ボランティアも集まらず、人手不足にも陥っていました。
理想と現実の折り合いをつけ持続可能な活動にするにはどうすればいいのか。住岡さんが考え出したのが「報酬」を発生させるしくみです。

修学旅行を扱う旅行会社を通して平和学習や平和公園でのガイドを学校に売り込みます。

若者をガイドや講師として派遣し学校から報酬を得てスタッフに支払うことにしました。

ガイドや学習内容の「商品」も独自に開発します。

“バイト”で参加者10倍に

新たなしくみは若者たちを引きつけているようです。

去年9月から活動に参加する楢崎桃花さん。専門学校で英語を学ぶ楢崎さんはこの活動によって多い時で月に2万円ほどの収入を得ています。
(※「楢」はつくりの上部が「八」ではなく「ソ」)

以前は飲食店でもアルバイトをしていましたが、いまはNPOの活動に絞っています。

当初はガイドをすることで英語力を磨きたいと考えていましたが、いまは被爆者の思いや平和の大切さを伝えることにやりがいを感じているといいます。
楢崎桃花さん
「平和活動をしたいと思っても報酬がないとどうしてもアルバイトを優先してしまうんですよね。そういう意味では報酬をいただけるというのは活動に専念できる機会でもあるのですごく助かっています」
報酬を支払うようになって以降、楢崎さんのようにNPOの活動に参加する若者は10倍に増えているということです。

プロ意識芽生え、質も向上

「報酬」によってNPOに携わる若者たちの意識も変化しています。
NPOの活動に専念することで「プロ意識」が芽生えているというのです。

強い日ざしが照りつける7月下旬、楢崎さんは1人の被爆者のもとを訪れました。6歳の時に広島で被爆した田中稔子さん(82歳)です。

田中さんは実家が爆心地近くの中島地区にあったことや、家族で疎開していたためあの日、自宅におらず助かったこと、ほとんどの友人が亡くなってしまったことなどを楢崎さんに語りました。

楢崎さんは報酬をもらい「プロ」として活動に携わっている以上は、被爆者のことをつぶさに知り、その体験を伝えていきたいという使命感が出てきたと話します。
楢崎桃花さん
「報酬をいただくことでより貢献できたりただ単に活動に参加できるだけじゃなくて被爆者の方に会う時間がつくれたりとか、レベルが上がっていってより質のいいものを提供できる機会になっているんじゃないかと」

持続可能な活動とは

若者が報酬を受け取って被爆者の体験や平和への願いを伝えることについて被爆者自身はどう受け止めているのか。

田中さんに聞くと、好意的な答えが返ってきました。
田中稔子さん
「若い人も『ボランティアでいいでしょう』っていうね、それはそういうふうに思われていたわけですね。だけどフェーズが変わっています、若い人も生活していかなきゃいけないんで。(報酬を受け取ることは)当然だと思います」
被爆者が年々少なくなっている現状。そして、新型コロナウイルスの影響で証言活動が減り被爆者の声が届きにくくなっているという危機感をフェーズが変わっていると表現し、活動に携わる若者を応援するという被爆者の田中さん。

さらにこんなことも明かしてくれました。

それは、被爆者の人たちが県内外に出向いて行う証言活動自体もボランティアがほとんどで、年金で生活している高齢の被爆者にとってそれは簡単なことではないということです。
田中稔子さん
「被爆者の証言というのはボランティアでやるものだとずっと思ってましたし生き残った者の役目、責任だと思ってやっておりました。しかし、活動にはどうしても交通費などの経費がかかるんですね。実際には過酷なんですよね。回転していくような金銭的な支援があれば正直、被爆者は助かります」
被爆から76年たち、被爆体験を語れる人が確実に減少している中で、1人の被爆者にかかる負担も増しています。

住岡さんのNPOでは少しでも被爆者が活動しやすい環境をつくろうとしています。

学校などでの平和学習で被爆者に直接証言してもらう際には、被爆者にも「報酬」を支払うことにしました。
住岡さんは体験を語る被爆者自身も、そのバトンをつないでいく若い世代も「気持ち」だけでは活動が続かなくなってきている現状を変え平和をつなぐ活動を持続可能なものにしていきたいと考えています。
住岡健太さん
「広島から被爆者の思いをつないでいくこと、世界へ平和のメッセージを発信するためには継承者を育成すること、そして持続可能なしくみをつくることが大切だと思う。被爆者の方が高齢化している中でやはり今からですね、自分たちにできることをやっていきたい」
今回の取材は私にとってはまさに「目からうろこ」でした。

これまでさまざまな立場の被爆者や平和活動に携わる若い人たちにお話を聞いてきましたが、「お金」について話す人はいませんでした。
それは「気持ち」で行う活動に対して「お金」の話をすることは許されないような空気があったからだと思います。

取材したNPOの住岡さんは批判も覚悟しているとたびたび口にしました。
それでもこうした活動を始めたのは被爆から76年たった今、本当に被爆者が減少し、広島の声が届きにくくなっていることへの危機感からでした。

入り口は「アルバイト」でも、活動を続けるうちに「プロ」意識が芽生えたと話す若者の心強さも感じました。

「きれいごと」だけではない、持続可能な活動とはどのようなものなのか。引き続き取材します。
広島放送局記者
佐々木良介
2014年入局
鳥取局を経て広島局で市政と原爆取材を担当 趣味は釣り