「あしたのジョー」勝ったやつだけが勝者じゃない

物心ついたときには父も母も行方不明だった少年がボクシングを覚えて困難を乗り越えていく。漫画家・ちばてつやさんは代表作『あしたのジョー』に人間の弱さと強さ、そして人生の敗者はいないというメッセージを込めていました。井上二郎アナウンサーが聞きました。

(アナウンス室 聞き手 井上二郎 取材 網秀一郎 塚原泰介)

ジョーはどうしてこんなに頑張れるのだろう

『あしたのジョー』(原作/高森朝雄 漫画/ちばてつや)は、ドヤ街に流れ着いた不良少年・矢吹丈がボクサーとして成長する姿を描いた作品です。昭和40年代に連載され、ジョーのライバル・力石徹が亡くなった時には、現実の世界で葬儀が開かれるほど大きな人気を集めました。これまで何度もテレビアニメや映画になってきました。


(井上)
実は、私、『あしたのジョー2』という映画が、生まれて初めて見た映画なんですよ。これだけ時代が変わって、人々の気質が変わっても、なおこれだけ愛される。ちばさんはどういうふうに思われますか?

(ちば)
私も、こんなに長い間、ジョーとか力石とか話題になってくれると思わなかったんで、びっくりですけど、物書きとしては、すごくうれしいですね。時代をこえて、例えば、お父さんと息子とか、もしかしたら、おじいちゃんと孫が同じものを読んでね、話をしてるという話も聞いたことがあるんですよ。それは、ほんとにうれしかったですね。
(井上)
ジョーって、正統派のヒーローではないじゃないですか。ケンカっ早いし、わがままだったりとか、ちょっとつきあいきれないかなって思っちゃうんですけれども。

(ちば)
そうですね。ちょっと枠から外れて、うまく生きられない人間の人生ですもんね。私自身も、ジョーの気持ちがよくわからないな、こいつは何考えてんだろうなとかって思うこともありましたね。だけど、みんな、それぞれ育ってきた環境が違ったり、個性とかみんな違いますから。だから、本人の気持ちになりながら、「いま、ジョーはすごく怒ってるんだろうな」とか、「顔は笑ってるけど、こいつ怒ってるな」とかって、そういうことを考えながら描いてたんで、それぞれのキャラクターの日記をつけているような感じですね。明日どうなるかわからないんですけど、「きょう、こいつなりに精いっぱい生きてるなあ」とか、「どうしてこんなに頑張れるんだろう、よくわからないなあ」と思いながら。だけど、頑張れるやつもいる一方で、精いっぱい生きられない人間もいるんですよ。ちゃんと目的はあるのに、夜抜け出してうどん食べちゃったりなんかするような。

(井上)
マンモス西!

人生の敗者はいない。 挫折したボクサーで伝えたかったこと

マンモス西こと西寛一は、少年鑑別所でジョーと出会って一緒にボクシングを始めますが、減量に耐え切れず、隠れてうどんを食べてしまいます。ボクシングでは大成しませんでしたが、後に食料品店の仕事に打ち込み、商売の道で成功します。


(ちば)
挫折する人間もいるんですけど、それもまた1人の人間の個性というか、弱さ、強さ、いろいろなところがあって、それが人間らしい世界なんで、私もうどん食っちゃうなとかって思いながら描きましたね。

(井上)
人間のそういう弱い部分もひっくるめていいんだ、ということなんですか?

(ちば)
そうですね、それが人間だなって。西は、要するに、ボクシングの世界では、本当に入り口のところでつまずいたり、そんなに大した成績も残せたりもしていない。だけど、彼は彼なりに、もともと太る体質なんで、ずいぶん減量したり、ボクシングの世界で生きるのはつらかったと思いますけど、あそこまで頑張った。ボクシングでは、ジョーやなんかに比べると本当にいい成績も残せなかったけども、そのあと、結婚したりなんかして、こいつは幸せな人生を送ってるだろうなと想像してもらえるような生き方を描けたと思います。
この道しかないと、狭い道をずっと突き進むことはありますけど、そこから外れて落ちてしまっても、そこには、また平らな道がいろいろあるんですよね。なにも綱渡りしなくても、そこから落ちても、そこにまた新しい世界が広がってるんだっていうことも漫画でわかってほしいかなと思いながら描きました。

(井上)
ちばさんの漫画に通ずるのは、最後まで誰も見捨てない。必ずサポートをする、見守ってくれる人が出てくる。ちば作品に通底するような感じがするんですよね。

(ちば)
そうですか。あんまり意識してやってることではないんですけど、無意識のうちに、自分がやっぱり気になるんでしょうね。こいつ、どうなるのかなっていうことを気になるんで、無意識のうちに、自分がストーリーの上でフォローしたりしてるのかもしれません。

人間は弱く、強く、そして優しい

ちばさんの作品には、みずからの生い立ちが重ねられています。昭和14年東京で生まれたちばさんは、幼い頃、家族とともに、旧満州の奉天、今の中国・瀋陽に移り住みました。そこで迎えた昭和20年8月。戦争が終わると、奉天では暴動が起こったといいます。最も幼い弟は10か月、2歳と4歳、そして6歳のちばさんを引き連れた父と母、家族6人の逃避行が始まりました。


(ちば)
逃げるといっても、どう行ったらいいのかわからないで、もうあてのない旅です。一緒に歩いてる人も、体の弱い人から倒れていきますね。例えば、お年寄り、それから、病気のある人、ケガをしてる人から、その行列についていけなくなりますよね。だけど、その人たちを担いでというわけにはいかないんですよね。だから、そういう人たちは、気を付けてねとかいってお別れするしかないんです。でも、もうそれっきり会えないっていうことがありました。倒れている日本人をこうやってゆすって「大丈夫、大丈夫?」「立てないの?」とかっていいながら、その人が生きてるかどうか、ちょっと確かめるわけですね。でも、返事もしない、皮膚も冷たいとかってなると、「あ、この人は死んでる」っていうことがわかる。すると、まず、靴をね、みんな歩いてて、もうぼろぼろですから、靴底がすり切れて指が出てるような状態だから、靴を脱がしてしまって、で、自分が履いたり、子どもに履かせたり。それから、その方はもう仏さんですから「ごめんね」って手を合わせながら着てるものを剥いで、自分がこうやってまとったり、子どもに着せたりなんかしてました。今思い出すと、ちょっとぞっとします。怖いですね。

(井上)
そういう体験は、ちばさんの死生観というか、死ぬっていうことに対しては、どういう思いを抱かせるようになったんですか?

(ちば)
自分で自分をちょっと戒めるんですけど、人間って割と簡単に死んでしまうんだなっていう現場をたくさん見てるんでね。「あー、人間って、すぐ死んでしまうんだ」と。一緒に遊んでいた子が、ころっといつのまにか死んじゃったりなんかするのを見てたし、それから、一緒に歩いてた人が倒れて、いつのまにか息をしなくなっちゃったり、そういうものを見てたから「人間ってすぐ死ぬんだな」っていうことは、ずっと刷り込まれているんですよね。その反面、あんなドブの水をすすったり、落ちてる馬ふんを食べたりなんかしながらでも、人間って生きてきた。「へえー、結構しぶといな、人間ってのは生命力があるんだな」っていうことも感じた。だから、両方、ない交ぜになって、人間って強いなあっていうところと、人間って弱いなあ、すぐ死んじゃうんだなあとかっていうところと、いろいろ複雑に私の頭の中で記憶が混ざっているんです。
引き揚げの途中で、もう、ずいぶんひどい暴動もありましたけど、中にはね、食べ物だとか宿を提供してくれたり、そういう中国人たちもたくさんいましたよね。よく顔を見て、こうやって話しすると、すごく優しくて、いいお兄さんだったり、おじさんだったり、おばさんだったりするんで、戦争になると、それがみんな鬼になってしまうということをわかってほしいかな。ふだんはすごく優しくて、小鳥を飼ったり、猫をかわいがったりする優しい大人なのに、銃を持たされたり、武器を持たされたり、兵士の一人としての役割を持たされたりすると、そこから鬼になってしまう。人間ってそういう面もあるんだよということもわかってほしいな。

鉄砲弾の下で覚えた九九

(井上)
そういう引き揚げの中で、ずっと守り続けてくれたお母さんの存在は、大きかったんですか?

(ちば)
そうですね。母が、悪さをしたソ連兵がいると、軍の本部へ乗り込んでいってね、「あんたとこの兵隊はこういうことしたよ」とか「こういうものを盗んだよ」「こういうひどいことをしたよ」とかってね、訴えに行くのを見ました。あー、この母親は強いなあ、と思いました。本当は、ソ連兵を前にして、怖かったと思いますよ。だって、マンドリンっていうあの機関銃を持っている兵隊さんですよ。
それに、私、小学校に入学して、あんまり勉強した記憶がないんですよね。終戦間際だから、学校へ行ったり行かなかったりっていうことだったんでしょうけど。それで引き揚げが始まった時に、簡単には日本に帰れない。その間、私は学校に行かないわけですよ。春には2年生になるんだけど、こうやって旅をしてると全然勉強ができない、教科書も何もないですから。この子は日本に帰ったら大変だと思ったんでしょうね。だから「九九くらい覚えなさい」って、歩きながら「うーん、ニニンガシ、ニサンガロク」って、2の段から、3の段からってずっと記憶しながら、ククハチジュウイチまでね、ずっと夜歩きながらやらされましたね。
鉄砲の弾が、たまにぴゅーんと飛ぶんですけど、そういう中で「伏せ、みんなで伏せろー」っていって、みんな頭を抱えて伏せてると、「はい、サンニガロクの次は?」なんていって、九九をまたやらされてね。なんで、この人はこんなことをやらせるのかなって、私は意味がわからなかったんですけど、ただ怖いからもう、ただただ必死にやってたんですけど。日本へ帰ってから、ちょうど入った学校で九九が始まったところだったんです。だから、私はもうそれでね、ククハチジュウイチまで。もう暗唱できてたんです。

(井上)
お母さんは、生きるか死ぬかっていう中でも、子どもたちの未来を考えていた?

(ちば)
そうですね。だから、強い。強い人にならざるを得なかったでしょう。自分が産んだ子どもが4人いるわけですよ。自分がちょっとだらしなかったり、情けなかったり、くじけちゃったりしたら、もうこの子たちは、連れて帰れない。人生がここで終わってしまう。なんとか日本へ連れて帰りたいという気持ちが、すごく強かったんでしょうね。だから、ソ連兵も怖くなかったし、暴動も怖くなかったし、いろいろな食料をどっかから仕入れてきたり、お願いしてもらってきたり、何かと交換したっていうことをやってましたね。

楽しく読めて、怖さを伝えたかった

帰国後、ちばさんは17歳で漫画家としてデビュー。雑誌での連載を抱えるようになり、漫画家としての地位を確かなものにしていました。その頃、日本は、戦後復興を遂げ高度経済成長にわきあがっていました。ちばさんは違和感を覚えたといいます。


(ちば)
高度経済成長ですごく浮かれてね、楽しい楽しいっていう時代でしたから。戦争の現実を若い人たちがだんだんわからなくなってきた。特に子どもたちは戦争を知らないですし。そうじゃなくて、戦争ってこんな身近にあったんだよということは描かなくちゃいけないと思っていた。だけど、子どもたちに向けて戦闘機乗りとか戦闘員がいかにかっこよかったかっていう漫画がたくさん出始めたんです。戦記漫画ブームです。いろいろな特集がありましたよ。戦艦大和だとか、武蔵だとか。漫画にもそういうものがたくさん出てきたんで「戦争って、すごくかっこいい」とか「こういうのに乗ってみたい」とかって、子どもが憧れたら、ちょっと困るなと思ってたんです。


そんな思いから生まれたのが、昭和38年に発表した「紫電改のタカ」です。太平洋戦争中、新しい戦法を編み出す少年飛行兵の姿を描きました。主人公は戦争が終わったら教師になろうと思いを語りますが、特攻を命じられ出撃します。


(ちば)
少し、やっぱり、漫画だからおもしろい部分も入れなくちゃいけないと思ったんで、逆タカ戦法とか、なんとか戦法とかいろいろ織り交ぜながらも、「だけど、戦争の現実は…」って、非常に難しかった作品です。子どもに「暗くて、こんな重い話なんか読みたくないよ」と言われたら嫌なんで、なんとかみんなが「次はどうなるの?」っというふうになってほしい、読んでほしいと思うから、ちょっと期待を持たせるように描いたりするんですが、そうすると、「ちょっと自分も戦争をかっこよく描こうとしているな」ということに気が付いて、慌てて「いやいや、戦争の現実はこうなんだよ」って、いつも行ったり来たりしながら描きました。

(井上)
『紫電改のタカ』では、主人公が、倒した敵と話をしたり、敵にも味方にも心を寄せるっていうんですかね。そういう物語かなって思ったんですよ。

(ちば)
そういう手記も残っていますよね。ジャングルの中で戦いあった人を助けたりしたりなんかしてた。その時は、もう人間としてですね。鬼ではないんです。人間に戻っているんですね。だから、そういう手記や何か残ってると、「あー、人間っていいな」と思うところもあるけど、敵対関係になると、どうしても相手を殺(あや)めなくてはいけないというような立場になってしまう。そういうところがほんとに怖いなあと。もしかしたら、ちょっと重かったり、つらかったりするかもしれないけど、できるだけ楽しく笑いながら読んで、だけど、「あ、なんか、あー、人間ってこういうところは怖いなあ」とかね、そういうことが感じられるような漫画が描けたらいいかなって。

記憶の「ふた」が開いて震えながら描いた

ちばさんは『あしたのジョー』でも、みずからの戦争体験と向き合っていました。
ジョーと対戦した韓国人・金竜飛は、幼いころ、朝鮮戦争の混乱の中、食べ物を得ようとして殺してしまった兵士が自分の父親だったという過去を背負っていました。
そのシーンにちばさんは満州で見た光景を重ねていたといいます。


(ちば)
引き揚げの話は、記憶のうんと底に沈めて、ふたをしちゃってるんですよ。あんまり思い出したくない。私もずっとそうでした。母親に聞いても「そういう話もうやめて、思い出させないで」っていうので、あんまり聞くこともなかったし。だから漫画には、できるだけ明るくて元気で活発な男の子を描いて、みんなが楽しいのが漫画だと思ってたからそういう世界ばっかり描いていましたけれども、ちょっとね、『あしたのジョー』を描いたりなんかして、いろいろなリアルな人間の生き様とか、人間性とかを描き込むようになってくると、ふたをしていたはずなのに、いつのまにかそのふたがふうーと開いて、中の記憶がふぁーと出てきて、いつのまにかその世界を描いている。それを描いている時は気がつかなかったんだけど、無意識のうちに、私が引き揚げてくる途中の、それこそわだちの水たまりがあったり、いろいろなトラックが半分、土に埋もれてたりなんか、そういうような場面を記憶の中を思い出して描いていたんですね。

(井上)
でも、その、ずっとふたをしていた部分を開けるっていう作業はつらいことじゃなかったですか?

(ちば)
やっぱり、描きながら手が震えてたりなんかすることがありましたね。だけど、今、テレビの画面だとかネットで見たりなんかすると、ゲーム感覚でね、真っ暗い中で、ぼーっと何か飛んでいって光ったりして、ぼーっと飛んでいって、光ってる所にいろいろな人がいるんだよっていうことは、わかってほしいなということを思って、もうふたをしたままじゃいけないと。戦争の現実ってこういうことなんだよっていうことは、私は漫画、絵を描いたりして表現する人間ですから、生き残った人間としては、生き残れないであそこで朽ちてしまった人の代わりに描かなくちゃいけないんじゃないかなという、なんかそういうことも感じるようになってきたんです。

人間は弱いが助け合う力を持っている

ちばさんは、82歳となった今も『ひねもすのたり日記』を連載しています。
満州での体験や現在の日常を、温かみのあるタッチで描いています。


(ちば)
漫画のストーリー、短いお話、長いお話、いろいろありますけど、その中で自分が何か伝えたいことがあるんですよね。「人間ってすごく頑張れるよ、土壇場になってもこんなに頑張れるんだよ、人間って強いよ」っていうメッセージを送りたいときに、一生懸命そういう話を作るんですけど、やっぱりそのときに人間の本質みたいなことはどうなんだろう。これ、人間の本質を突いてるだろうかということを、ふっと無意識のうちに考えてるのかなと思います。

(井上)
ちばさんが考える本質って、どういうものなんですか?

(ちば)
人間というのは、本当にすぐ折れたり、弱かったり、だめな部分もあるし、一方で、しぶとくて、本当に誰か人のためだったら、何とか力を発揮できたりする。例えば、災害が起きたりなんかすると、みんなで応援に行ったりするじゃないですか。行けない人は手紙を書いたり、私の場合は、絵を描いてね、「みんな、けっぱれよ」とか、その土地のことばで励ましたりなんかします。そういうことをしようとする思いを、本質的に、人間というのはみんな持ってると思うんですよね。

(井上)
本質っていうことは、つながる力、つながり合う力っていうことですか?

(ちば)
ああ、そうですね。助け合う力、とかね。
みんなそれは持ってるんですけど、自分がいじめを受けたり、なんかつらい目に遭ったりするとゆがんでしまって、それこそ、その人を憎んだり、ねたんだりなんかしてしまいますけど、それはそれで人間なんだからしょうがないんです。だけど、お互いに相手のことを思って、助けてあげたいというのを根本的に持ってるのが人間なんだっていうことを、時々、私は感じるんで、そういうことをみんなにも気がついてほしいと思います。偉そうですけど。

私は発展途上。もっと上手になりたい

(井上)
ちばさんが考える漫画の力ってどんなものですか?

(ちば)
絵を描いてなんか表現するっていうことを覚えてると、自分も楽しいし、人を楽しませることもできるんですよね。例えば、海外へ行って、何か注文するのに、ことばができないけども、コーヒーカップ1杯、湯気をちょっと描いたら「このあったかいコーヒー飲みたいんだな」って、すぐ伝わるじゃないですか。そうやって絵が描ければ、いろいろな表現できるし、難しい文章を伝えなくちゃいけないときでも、ちょっと絵をパッと入れて、おひさま描いたり、お月さま描いたり、それがちょっとニコッと笑ってたりなんかする絵をちょっと入れることによって、その難しい文章がすごくわかりやすくなったりする。
つまり、絵が描けるってことは一つのことばを持つのと一緒なんです。
だから、漫画っていうのは、世界中でことばが通じない所でも、全くことばが違う、生活習慣も違うし、宗教も違うし、いろいろな環境が違うのに、だけど、そのキャラクターに思い入れがあって、日本の漫画を喜んでくれて、楽しんでくれて、もちろん、翻訳されてるんですけど、そうやってことばが違っててもつながる、伝えることができる媒体なんだなということを思います。
私はいま、こうやって何とかたどたどしくてもお話ができるようになりましたけど、しゃべることが苦手で、何ていうんですかね、自分のことをうまく表現することができなかったんです。いまでいうと、ちょっと引きこもりのところもあったし。自分の気持ちをいままでことばでは表現できなかった、文字にも表現できなかったんだけど、だけど、漫画を描くことによって、そのキャラクターを通じて、自分の気持ちや人間のおかしさとか、人間のばかなところだとかをうまく表現できるようになってきたんですね。
まだ、私は発展途上だと思ってますから、もっと上手になりたいなと思うんですけど、そういう、絵を描くことによって、私は本当にいろいろなことができないだめ人間だったのに、いろいろなことを表現できるような人間に少しずつ変わりつつあるなと実感しているんです。私から漫画を取ったら、ただの干からびたじいさんになっちゃうんですけど、漫画を描くことによって自分の気持ちとか、人にもしかしたら元気を与えることもできたり、人間って何だろうって考えてもらうようなきっかけ、あるいは戦争ってどういうことなんだっていうことも気が付いてもらうようなこともできるようにだんだんなってきた。もっともっとそういう表現をする力を磨きたいと思うし、それから、絵を描きたい、漫画家になりたいとかっていう若者たち、学生たちに、漫画ってこんな力も持っているんだよってことも伝えていけたらいいなあというふうに私は思ってます。