WEB特集

ベラルーシ五輪選手 “スピード亡命”の舞台裏

東京オリンピックに出場したベラルーシ陸上代表のクリスチナ・チマノウスカヤ選手の亡命劇。今月1日に羽田空港で帰国を拒否し、5日に亡命先のポーランドに到着するという異例のスピードで展開しました。
ベラルーシ人の知り合いから、いち早く選手の亡命の意向を知らされた私は、その一部始終を取材。
“スピード亡命”の舞台裏には、政権による迫害でベラルーシを逃れた人たちのネットワークが深く関わっていました。
(政経・国際番組部ディレクター 町田啓太)

“見知らぬ男”から保護を求めた チマノウスカヤ選手

8月1日午後7時20分すぎ、日本に住むベラルーシ人から電話が入りました。
「いますぐ空港に向かってください。ベラルーシの選手が連れ去られそうになっています」
私は、すぐに羽田空港へ向かいました。実はこの一年、政権に対する市民の抗議活動が続くベラルーシの取材を行っていました。
チマノウスカヤ選手(1日 羽田空港)
私が国際線ロビーに到着したのは7時50分ごろ。チマノウスカヤ選手は複数の警察官や空港にいた五輪のボランティアスタッフとともにいました。

しかし警察官は「彼女が保護を求めているようだが、本当に必要なのかわからない」と話していました。

聞くとチマノウスカヤ選手がチェックインカウンターに並んでいた時に、警戒に当たっていた警察官に声をかけ、助けてほしいと頼んできたそうです。

他の選手たちと様子が違っているわけでもなく、警察官は「どんな危険にさらされているのかわからない」とのことでした。
町田ディレクターとチマノウスカヤ選手
私がチマノウスカヤ選手に、英語でベラルーシの取材をしてきたジャーナリストであることを伝えると、すぐに彼女は事情を詳しく話し始めました。

真っ先に伝えたのは、“自分を空港まで連れてきた2人組の男はコーチを装っているが、自分のよく知らない人間である”こと、“彼らと一緒にいるのは身の危険を感じるため遠ざけてほしい”ということでした。
チマノウスカヤ選手のそばで様子をうかがう男(赤い丸)
私と彼女のやり取りをそばで見ていたその2人組の男の1人は、問題ないから早く搭乗手続きを取ろうと彼女に勧めていました。

私が警察官に彼女の伝えたことを話すと、警察官は彼女の周りを取り囲んで男たちと距離を作りました。男たちは出国ゲートの方へと姿を消しました。

男たちの姿が消えるとチマノウスカヤ選手は少し落ち着きを取り戻し、詳しい事情を語り始めました。
チマノウスカヤ選手
「出場経験のない1600mリレーに急きょ出場させられることになって、勝手に決められたことへの不満を30日にインスタグラムに投稿したら、明日の出場を取りやめて強制的に帰国させられることになった。もう選手村に戻っても安全ではないし、ベラルーシにも帰れない。だから亡命するつもりだ」
彼女の意志は固く、すでに夫(同じ1日にベラルーシからウクライナへ亡命)と相談し決断したとのこと。しかし、“どう亡命すればよいのかわからない”と悩んでいました。
チマノウスカヤ選手
「明日、自分のトレーナーの出身地であるオーストリア大使館に亡命の手続きのために行きたいと思っている。だけど、自分を大使館まで連れて行ってくれるトレーナーが選手村から出てこられるかわからない。一人でこれからどうすればよいのか…」
午後9時ごろ、警察官たちは詳しく事情を聴くため、彼女を連れて空港内の交番へと移動。私はそこで彼女と別れましたが、知り合いのベラルーシ人と連絡を取り合い、その後の彼女の情報をフォローし続けました。

午後9時すぎにはベラルーシ人の日本語通訳が交番に駆けつけ彼女の力になっていました。

そして、午前0時前には、ベラルーシの隣国・ポーランドが亡命を受け入れる準備を進めていること、日本にあるポーランド大使館が彼女を保護する体制を整えたことも分かりました。

保護の裏側で奔走 ベラルーシを逃れた人たちのネットワーク

ルカシェンコ大統領
“スピード亡命”には、ベラルーシを逃れた人たちのネットワークが大きく関わっていました。

ベラルーシは30年前、旧ソビエトの崩壊に伴い独立。27年間にわたって国を率いるルカシェンコ大統領はメディアへの統制を強め、反政権派を徹底的に弾圧。欧米からは「ヨーロッパ最後の独裁者」と批判されています。
去年8月の大統領選では、“選挙で不正があった”という疑惑が持ち上がり、大規模な市民の抗議活動が起き、これに対しても治安部隊が暴力的に市民を弾圧。

ルカシェンコ政権は対立候補やその支持者を次々と逮捕しました。多くの人たちが身の安全を求めてベラルーシを逃れ、各地でネットワークを作っていたのです。

ネットワークが動き出したきっかけは1日の午後7時ごろ。チマノウスカヤ選手が空港に向かう直前にBSSF=ベラルーシ・スポーツ連帯基金(ベラルーシのアスリートたちの人権を守る活動をしているリトアニアに拠点を置く団体。メンバーの多くがベラルーシから逃れた人たち)に電話で助けを求めたことでした。
BSSFが発信したテレグラム
午後7時21分。BSSFは彼女が助けを求めていることをテレグラムというSNSで発信。

「ベラルーシ選手団の代表者がこの選手を送還し、緊急に航空券が発行され、現在、荷物を持って空港に向かっています」と投稿しました。

さらに同じ頃、BSSFはNAU=国家反危機マネージメント(ポーランドに亡命しているベラルーシ元外交官・パヴェル・ラトゥーシュカ氏が率いる反政権組織)に状況を知らせました。

NAUはすぐに亡命先探しに動きます。ポーランドの政府関係者に連絡を取り、午後11時すぎには、亡命の内諾と在日ポーランド大使館の保護が決まりました。

NAUは亡命先探しと並行して、日本のベラルーシ人コミュニティに支援を求めます。

連絡を受けたベラルーシ人通訳が交番へ駆けつけチマノウスカヤ選手の精神面のサポートを行い、別の日本在住のベラルーシ人は警察への詳細な説明を電話で行いました。

亡命先を決めたのはベラルーシの元外交官

NAU代表 パヴェル・ラトゥーシュカ氏
チマノウスカヤ選手の亡命先を探したNAUの代表、パヴェル・ラトゥーシュカ氏です。

ラトゥーシュカ氏はベラルーシの駐フランス、駐ポーランド大使や文化相を務めましたが、政権から「逮捕する」という脅迫を受け、去年9月、ポーランドに亡命しました。

ラトゥーシュカ氏は大使時代の人脈を生かして、まず彼女が希望したオーストリア、そしてドイツ外務省に連絡。さらに自身が亡命しているポーランドの政府関係者にも連絡を取りました。

電話を入れた相手は旧知の仲であったポーランドの外務次官です。チマノウスカヤ選手の保護を求めたところ、その電話で“すぐ対応を取る”と約束してくれたと言います。
ラトゥーシュカ氏
「外務次官はすぐに肯定的な反応を示してくれ、その後、夜も翌朝も連絡を取り合っていました。彼は、この状況について、おそらく、首相に報告したと思います。そして政府から相応の指示が出されました。あらゆる官庁が素早く動いてくれたというのは想定外で、喜ばしいことでした」

裏側にはベラルーシ現政権に対する危機感

ラトゥーシュカ氏は、チマノウスカヤ選手の亡命を急いだのは、国内に戻るとベラルーシ現政権による迫害のおそれがあったからだと言います。
ラトゥーシュカ氏
「私たちが入手した(コーチがチマノウスカヤ選手を脅している)音声から、彼女がベラルーシに帰れば非常に悪い結果になるだろうということが分かりました。代表チームとスポーツ連盟からの除籍、国際大会への参加の不許可、そして、行政的・刑事的な罪に問われる可能性もありました。こんなことはありえないと思われるかもしれませんが、残念ながら、これがヨーロッパ最後の独裁者が統治しているベラルーシの現状です」
ポーランドは人道支援の立場からベラルーシから逃れた人たちを積極的に受け入れています。

ポーランドメディアによると、外務省はこの1年(去年6月から今年7月まで)で18万人近くのベラルーシ人にビザを発給したとのことで、ラトゥーシュカ氏はこのビザのほとんどが迫害から逃れるために取得したものだと言います。

しかし国を逃れた人たちには依然、政権側からの脅迫が続いていて、ラトゥーシュカ氏はそうした人たちの安全を確保することへ強い使命感を抱いていると言います。
ラトゥーシュカ氏
「私に対しては刑事事件が4件、立件されています。最後に立件されたものは、銃殺刑に相当するものです。私は毎日、(ベラルーシ治安当局から)殺害の脅しを受けています。『私を車のトランクに入れてベラルーシに運び、裁判にかける』と。(街中で暗殺される)テロの脅威もありますし、ベラルーシに連行される危険性もあります。普通の人なら誰でもそうであるように、私も不安を感じていますが、それが私の戦いを止めることはありません。なぜなら、あまりにも多くの人が刑務所に入れられており、あまりにも大勢の人が苦しんでいるからです。私がこうして自由の身でいられるのは、運が良かったからです。ですから私は戦い続けたいと思っています」

“新しい国で新たな人生を築かねばならない”

チマノウスカヤ選手は5日に亡命先のポーランドに到着。ウクライナを経由してベラルーシから亡命していた夫のアルセニー・ズダニビッチさんとも合流。ポーランド政府はアルセニーさんにも人道ビザを発給しました。

チマノウスカヤ選手は五輪が閉幕した8日、インタビューに応じてくれました。ポーランドに来て安心して過ごせるようになったといいます。
チマノウスカヤ選手
「もしベラルーシに戻っていたら、私のアスリートとしてのキャリアはその場で終わっていたでしょう。ベラルーシの国営メディアは、私が『精神的な問題を抱えていた』『国民を裏切った』などと伝えていたそうです。精神科の病院か刑務所に行かされて、もちろん私はすべての肩書を失っていたと思います。現時点では、もちろん、生活が急に変わってしまったことが一番の心配事です。ある意味、『何も残らなかった』とも言えます。そして今は、夫とともに新しい国で新たな人生を築き上げていかなければならない時なのです」
ベラルーシにいる親や祖父母に、いつの日か会いたいと言います。
チマノウスカヤ選手
「1日には親や祖父母のところに脅迫の電話がかかってきて、命の危険を感じていました。その後もずっと連絡を取り合い、今のところは無事のようです。私と夫は両親がいずれポーランドに来ることができるように計画をしています。いつの日かその姿を見ることができたらと願っています」
そして、最後に、「私が走り続けることでベラルーシの人々、自由なく弾圧を受けている人々を応援したい。次の五輪にも出場したい」と、穏やかな笑顔で語ってくれました。
チマノウスカヤ選手は7月30日にインスタグラムで出場種目を勝手に決められたとして不満を漏らすまで一度も自分が亡命することになるとは思わなかったといいます。

異例の早期ビザ発給の舞台裏で奔走した亡命者たちは、「明日のわが身に何があるかわからない」という危機を感じているからこそ、これほどまでに素早く、大きな動きになったのだと思いました。

今後もベラルーシ情勢について、取材し発信を続けていきたいと思います。
政経・国際番組部
ディレクター
町田啓太
2013年入局
世界各地で起きている
差別や暴力の問題を取材

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