オリンピック 自転車女子オムニアム 梶原悠未が銀メダル

東京オリンピック、自転車の女子オムニアムで梶原悠未選手が銀メダルを獲得しました。オリンピックの自転車競技で日本の女子選手がメダルを獲得するのは初めてです。

自転車のトラック種目は静岡県伊豆市の「伊豆ベロドローム」で観客を入れて行われ、8日は女子オムニアムや男子のケイリンなどが行われました。

女子オムニアムは1日で7.5キロから20キロの4つの種目を行い、種目ごとの順位などに応じたポイントの合計を競うもので、日本からは去年の世界選手権で日本初の金メダルを獲得した梶原選手が出場しました。

トラックを30周し、7.5キロを走って順位を競う最初の種目のスクラッチレースでは、終盤に大量の落車が発生しましたが、梶原選手は巻き込まれずに2位でフィニッシュしました。

梶原選手は2種目目、同じく7.5キロを走り、各周回のトップの選手が得点を獲得していくテンポレースでは5位に、続く3種目目の2周ごとに最下位の選手が脱落するエリミネイションレースでは最後の2人まで残って2位に入り、この時点で合計108ポイントを獲得してトップと2ポイント差の2位につけました。

そして、最終種目、トラックを80周して10周ごとに上位4選手にポイントが入るポイントレースで、残り9周で落車しましたが、最後まで走りきって2ポイントを獲得しました。

この結果、梶原選手の4種目の合計はトップに14ポイント差の110ポイントとなり、銀メダルを獲得しました。
オリンピックの自転車競技で日本の女子選手がメダルを獲得するのは初めてです。

金メダルはアメリカのジェニファー・バレンテ選手、銅メダルはオランダのキルステン・ウィルト選手でした。

また、男子ケイリンでは、脇本雄太選手が準決勝で敗れましたが、7位から12位までを決める順位決定戦で1着でフィニッシュし、最終成績は7位でした。
また、新田祐大選手は準々決勝で6人中6着に終わり、準決勝進出はなりませんでした。

「声援が背中を押してくれた」

梶原選手は「メダルを獲得できたことはうれしい。ただ、優勝を目標に取り組んできたのですごくすごく悔しい」と話しました。

梶原選手は、2位で迎えた最後の種目ポイントレースで落車するアクシデントが響き、得点は2ポイントにとどまりましたが、3種目目までのリードを守り切り銀メダルとなりました。

これについて梶原選手は「最後は運が味方してくれた」と振り返り、「走っている時も声援が聞こえて、苦しい時に背中を押してくれた。ここまで本当にたくさんの人が支えてくれた。いちばん近くで母が毎日練習から生活まで全部サポートしてくれ一緒に頑張ってきたので、メダルを獲得できてよかった」と涙を流しながら話しました。

そのうえで、「日本人の女子選手がこの種目で世界に通用すると日本の皆さんに走りで届けることができたと思う。もっと競技人口が増えてレベルが上がって世界で強豪国と呼ばれるようにみんなで一生懸命頑張りたい」と話しました。

日本女子初 自転車競技メダルへの道のり

日本の女子選手としてこの競技で初めてとなるメダルを獲得した梶原悠未選手、24歳。世界トップレベルの身体能力だけでなく、ライバルや戦術、さらにはみずからの心の動きまで研究した結果が最高の形で実を結びました。

梶原選手は小学生のときは競泳に打ち込み全国大会にも出場するなど当時から身体能力の高さを見せ、高校入学とともに自転車競技を始めました。そして、競技を始めて2年もたたない高校2年生のときにジュニアの全日本選手権で優勝を果たすなど瞬く間に才能を開花させました。

身長は1メートル55センチ、パワフルにペダルをこぐ欧米の選手に比べるとひときわ小柄ですが、日本代表の中距離担当、グリフィンヘッドコーチは「悠未は世界トップレベルの驚くべき瞬発力と持久力を兼ね備えたすばらしい選手だ」と話し、その世界レベルの身体能力を高く評価しています。

強さ支えた「研究心」

一方で、梶原選手の強さを支えたのがその「研究心」です。去年、筑波大学を卒業し、大学院に進学しましたが、卒業論文のテーマがオムニアムの種目の1つ「エリミネイションレース」でした。

オムニアムは1日で4つの種目を行い、合計ポイントで順位を競いますが、3種目目に行われる「エリミネイションレース」は2周ごとに最下位の選手が脱落していく種目です。梶原選手は戦略性の高いこの種目が勝負の鍵になると考えて大学で研究を続けました。

必ずしも常にトップをねらう必要はない中、最下位を回避しながらレースを進めていくための戦術の組み立て、レース中や最終種目に向けた体力の温存などみずからの経験を含めて研究を続けました。生活のすべてをオムニアムにささげてきた梶原選手は、去年3月の世界選手権で日本人女子選手として初めて優勝を果たし、一躍金メダル候補に名乗りを上げました。

この1年で見せた精神面の成長

しかしその直後、東京オリンピックの延期が決定します。世界の選手から追いかけられる存在となった一方で、新型コロナで国際大会での実戦の機会がなくなった1年という期間。梶原選手はあくまで前向きに捉えていました。
「強くなる時間が1年増えたと思えばいい。金メダルを確実にするメンタルを鍛える」と今度は精神面の成長を目指しました。

毎日、練習や朝晩の食事を支える母親、有里さんや、グリフィンヘッドコーチとの対話を重ねてみずからの気付きや不安などをノートに書き出すように。

「寝ても覚めても金メダルを取ることを考えている」と金メダルへのモチベーションを保ち続けました。

男子選手を世界トップレベルの女子選手と見立てて練習を重ね、男子と混合で走るレースにも積極的に出場して実戦感覚も維持しました。そしてコロナ禍のなか、オリンピックに向けた最後の国際大会となったことし5月のネーションズカップ。

オリンピックの前哨戦でひとまわり大きくなった姿を見せ金メダルを獲得し「強くなった1年だった」という手応えをつかんで本番の舞台を迎えました。

そして8日、序盤の2種目を終え2位で迎えたエリミネイションレース。ライバルたちが次々と脱落する中、研究を重ねてきたこの種目で絶妙の駆け引きを見せて2位に入り大きくメダルを引き寄せました。

金メダル候補という大きなプレッシャーの中、1年間の成長を思う存分発揮し見事に日本の女子選手として自転車競技で初のメダルを手にしました。

母 有里さん「誇らしい」

梶原選手の母、有里さんは競技会場で観戦し、「娘がレース直後に私のところに来て“金メダルを取れなくて銀メダルでごめんね”と言っていました。私は“悔しいけど頑張ったね”と声をかけました。娘とはここまで一緒に戦ってきたので、悔しい気持ちもありますが、日本人がオムニアムで戦えることを証明してくれて誇らしいです」と涙を流しながら話していました。

観戦認められた会場 拍手で応援

自転車のトラック種目の競技会場「伊豆ベロドローム」では、入場者数の上限を収容人数の半分に制限したうえで観客を入れて連日競技が行われ、8日は、女子オムニアムの梶原悠未選手が今大会、日本選手として初めて観客の前でメダルを獲得しました。

会場では検温や手指の消毒などが呼びかけられ、大声を出しての応援は禁止されたため、訪れた人たちは拍手で応援しました。

観戦が正式に認められた競技会場で日本選手がメダルを獲得するのはこれが初めてで、梶原選手がメダルを決めた瞬間や表彰式で銀メダルを手にしたときには、観客からひときわ大きな拍手が沸き上がっていました。

静岡市に住む53歳の男性はみずからも競輪選手として活動していて、「すごく感動しましたし、少し涙が出ました。落車しても最後まで諦めず銀メダルが取れたところを生で見ることができて、『これがオリンピックなんだな』ということを感じることができました。みんなルールを守っておとなしく観戦していたと思う」と話していました。

東京 江戸川区から来た28歳の会社員の男性は「メダル獲得の瞬間に立ち会うことができて、たまらない思いです。生で観戦したほうがより感動できると思いますし、いろいろあったが開催できてこうして見に来られてよかったです」と話していました。