“姿消す”コメの先物取引 ~背後に何が?

“姿消す”コメの先物取引 ~背後に何が?
投資の経験がある方なら「先物取引」ということばを聞いた方もいらっしゃるかと思います。原油や金、トウモロコシなど、さまざまな先物取引がありますが、日本にはコメの先物取引も存在します。江戸時代に誕生した歴史あるコメ先物。それが令和の時代に姿を消すことになりました。取引所や政府、農業団体、それに政治。背後には主食であるコメの価格をめぐる考え方のぶつかり合いがありました。私たちのゴハンにも影響する、裏の事情を深掘りします。(経済部記者 川瀬直子/大阪放送局記者 甲木智和)

世界初の先物取引は大阪から

大阪市中心部、中之島近くの川沿いに米粒の形をしたモニュメントがあります。
1730年、江戸幕府が公認した「堂島米市場」の跡地で、この市場は世界初の組織的な先物取引所として知られています。

そう、先物取引はシカゴでもニューヨークでもなく、日本の大阪が発祥の地だったのです。
各地から年貢米が集まった当時の「大坂」。
「日本の富の7割は大坂にあり」とまで言われ、コメの価格を安定させるために先物取引が誕生したといわれています。

戦時中の1939年に取引所が廃止され、2011年から試験的にコメの先物取引を再開させてきたのが、今の「大阪堂島商品取引所」です。

コメの先物取引とは

「試験的」と書きました。
これは2011年に再開したときに、所管官庁の農林水産省から2年の期限付きで、いわばテスト生として認められたという経緯があります。
どのように日々取引しているのか、取材に行くと、担当者がパソコン上で専用のシステムを見せてくれました。

2か月先、4か月先、最長で来年・2022年6月に引き渡すコメについて、売りたい人と買いたい人が希望する価格と数量を入れて合致すれば取引が成立する仕組みになっています。

現物のコメの価格も需要と供給のバランスで決まりますが、大きな市場はなく、JAグループなどがコメを買い取るときに生産者側に支払う概算金とよばれる価格が目安になっています。

利用する農家は

この先物取引を利用している生産者に話を聞きました。

新潟市で50ヘクタールのコメ作りを行う生産法人の代表、坪谷利之さん。
コメの一部を先物取り引きに出すことで、リスクの分散ができる点がいいといいます。
坪谷利之さん
「コメの値段は、収穫してみないとわからない不安定なものだったが、先物があることで、ある程度の予想が立てられて、経営がしやすくなる。まだこの便利さを知らない生産者も多い」

驚きの電話が…

大阪堂島商品取引所は2年ごとに試験的な取り引きの認可を受けて業務を続けてきましたが、ことしこそは1軍選手ならぬ、期限がない本格的な取り引きへの移行をしたいと申請を出していました。

7月27日午前、取引所関係者の電話が鳴りました。

農林水産省から「8月5日に意見聴取を行いたい」という内容でした。

これは認可できない場合に行われる手続きで、社内には一気に動揺が広がり、関係者は「青天のへきれきだ」とため息をもらしました。

コメの本格先物、夢ついえる

8月5日、農林水産省で担当官僚と大阪堂島商品取引所の中塚一宏社長が向き合いました。

農林水産省は、取り引きに参加する生産者や流通業者が増えていないことを指摘。

「コメの生産や流通に必要」という条件を満たしていないとの見解を示しました。
これに対し、取引所側は、「生産者の参加は増えていて、本格的な取り引きへ移行したら参加をしたいと話している人もいる」と反論。

さらに「主食のコメの価格は国が安定をはかるべきという考えと、市場を活用して決めるべきという考えがことあるごとにぶつかり、混乱をもたらしている」として国の農業政策を非難しました。
審査の結果、農林水産省は本格的な取り引きの申請は認可しないことを決め、翌6日に取引所側に通知しました。

やはり生産者や流通業者の参加が増えていないことが理由で、認可基準を満たしていないとしています。

交錯するさまざまな思い

コメ先物について、農業界ではさまざまな「思い」や「考え方」が交錯します。

主食用のコメの流通のおよそ5割を握るJAグループはもともとはコメの先物取引には反対の立場でした。

「コメの先物は投機的なマネーゲームだ」として需給と価格の安定にはつながらないという考えでした。
最近では表だって反対姿勢は示していませんが、慎重な姿勢はかわらず。

JAグループが参加をしないことで、取引の数量が大きくは増えず、結果として、農林水産省が指摘した参加者の問題につながっていると見られます。

一方、あるJA関係者はこの2年でトーンは変わりつつあったと話します。

深刻なコメ余りのなかで、先物があれば今後の市場を読む1つの指標になり、農家が自発的に生産量を調整する助けになるので、「絶対反対ではない」という意見が出てきたというのです。

ただ、こうしたトーンの変化は表面化することはなく、大きな動きにはつながりませんでした。
一方、農政に強い影響力を持つ自民党の農林部会。

8月4日に開かれた部会では、先物取引の大部分が新潟県産コシヒカリに偏っていて、全国的に広がっていない上、価格がゆがみやすいことなどをあげ、「生産者に不安を与えるものであってはならない」と慎重に判断するよう農林水産省に求めたのです。
会議の終了後、自民党の幹部は「コメは他の農産物とは違う。農家みんなで協力して需給バランスが大きく崩れることを抑止しようと、価格が下落しそうだったら、みんなで努力してなんとかしようというものだ」と記者団に語りました。
農林水産省はどう考えていたのでしょうか。

戦後、長いあいだ国がコメの価格を決めてきたことで、農業の硬直性につながったとの反省もあり、「消費者重視」「価格は市場で決まるべき」との理念を持ってコメ政策を進めてきたと、ある幹部は話していました。

関係者によると、6月には内々、先物の本格的な取り引きへの移行を認める方向で動き出したものの、自民党への調整や説得がうまくできず、「役所が勝手に話を進めている」などの反発を招いたようすが浮かび上がってきました。

株主からは厳しい批判も

今回の対応について、取引所の株主からは厳しい批判が出ています。

大阪堂島商品取引所に出資し、グループ全体で3分の1以上の株式を保有するSBIホールディングスの北尾吉孝社長は、今月3日、記者団に対し、「堂島はコメの先物取引の発祥の地で、大阪はこれを失ってはいけない。これを否定することは、『無知蒙昧(むちもうまい)』の、経済を知らない、世界を相手にしない人たちだ」と述べ、国などの対応を強く批判。

また、決定にあたっては透明性のある手続きを踏むべきだという考えも示していました。

この取引所はコメの先物取引が取り引き量全体の9割を超えているだけに、収益の柱を失うことになります。

今後は金の先物取引など取り扱う商品を増やす計画ですが、経営戦略の見直しを迫られることになります。

専門家はどう見る?

農林水産省のOBで、農政に詳しいキヤノングローバル戦略研究所の山下一仁研究主幹は価格形成の主導権を誰が握るのか、その意見の隔たりこそが今回の問題の本質だと話します。
山下一仁研究主幹
「JAの稼ぎは現物のコメの販売手数料なので、現物の価格をできるだけ高い水準で維持したいと考えている。JAとしては自分たちのあずかり知らぬ先物で価格形成されてしまうと困ってしまうわけだ。一方、消費者としては市場の原理と離れたところでコメの価格が決まってしまうのは不利益になる」

「価格」は消費者からのメッセージ

今回のコメの先物取り引きをめぐる動きを取材して、私たちの日々の生活に欠かせない農産物の価格はどう決まるべきなのか、いろいろ考えさせられました。

「食」は国の基幹部分であり、さまざまな政策で農業を保護することは世界各国が行っています。

ただ、大型の貿易協定が次々と締結され、保護のハードルを下げて、農産物の競争力が問われる時代に入っているなか、コメだけをいつまでも特別扱いするのは限界があります。

生産者が消費者の意向を読みながら自らの判断でコメづくりを行う。
その際に消費者の気持ちを代弁するものとして価格は重要なメッセージになります。

公正な市場の力が大切なことは立場は違えど多くの関係者が認めています。

日本のコメの価格はどうやって決まっていくべきなのか。

消費者にとっても生産者にとってもわかりやすい価格形成の仕組みづくりが早急に求められているように思います。
経済部記者
川瀬直子
2011年入局
新潟局、札幌局を経て現所属
農林水産行政を担当
大阪放送局記者
甲木智和
2007年入局。
経済部で金融業界などを取材し、現在、大阪局で経済担当