祈り 救済 継承 広島「原爆の日」それぞれの思い

広島に原爆が投下されて6日で76年となりました。
新型コロナウイルスの感染拡大で、去年に引き続き規模が縮小された平和祈念式典。
いわゆる「黒い雨」をめぐる裁判で国が上告を見送り、ようやく被爆者と認められた原告2人も参列しました。

犠牲者を追悼する祈りに包まれた、被爆地・広島。
ことしの「原爆の日」を振り返ります。

感染対策で平和公園は閉鎖

午前8時から始まる平和記念式典には例年、多くの人が出席しますが、ことしも去年と同様、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため、広島市は午前5時から午前9時まで会場となる公園南側一帯を閉鎖しました。
閉鎖が始まった午前5時になると広島市の職員がロープをはって公園への入場を規制し、中に立ち入らないよう呼びかけていました。
一方、午前5時から午前7時の間は公園内にある原爆慰霊碑への参拝に限って入場が認められ、訪れた人が祈りをささげていました。

記念式典には例年、およそ1万の参列者席が設けられますが、ことしも一般の参列者席をなくし、被爆者や遺族などに優先的に確保した880席まで減らしました。

平和公園を訪れた男性は「入場が制限されているとは知らなかった。多くの人が犠牲となって今の暮らしがあることを思いながら慰霊碑で祈りたい」と話していました。

「黒い雨」裁判の原告団は

広島に原爆が投下された直後のいわゆる「黒い雨」を浴びて健康被害を受けたと住民などが訴えた裁判では、政府が最高裁判所への上告を見送り、原告全員を被爆者と認めた広島高等裁判所の判決が確定しました。

裁判で原告団長を務めた高野正明さんは式典に参列したあと、「黒い雨を浴びて亡くなった人がたくさんいる。命あるかぎり実相を伝えていきたい」と話していました。

また、原告の高東征二さんは「手帳を取得できたという意味で去年とは違う式典だった」としたうえで、式典前に菅総理大臣とことばを交わし、まだ手帳の交付を受けていない人に対して速やかに手続きを進めてほしいと要望したことを明らかにしました。

「黒い雨」健康被害訴える女性は

「黒い雨」を浴びたとして健康被害を訴えている女性は、ことしの8月6日を特別な思いで迎えました。

広島市佐伯区に住む小川泰子さんは、原爆が投下された午前8時15分、自宅で静かに手を合わせ祈りをささげました。

小川さんは4歳の時に爆心地から9キロほど離れた旧八幡村で黒い雨を浴びたあと、足などに腫瘍ができ全身のけん怠感が続いたといいます。

肝硬変などを患っていますが、小川さんが住んでいる地域は被爆者健康手帳が交付される被爆地域ではなく、黒い雨が激しく降り被爆者に準じた支援が受けられる区域にも指定されていません。

小川さんは20年ほど前から、黒い雨が降った区域の拡大を求めてきましたが、体調が悪化したため今回の裁判には参加しませんでした。
小川さんは「きょうは黒い雨の被害を訴えて亡くなっていった人たちに祈りをささげた。救済が間に合わず無念で涙が出た」と話しました。

そして、国が、裁判に参加していない人についても救済を早急に検討を進めるとしていることについて「これまでずっと認められてこなかったので手帳を手にするまでは信じられない。私ももう長く生きられないので早く救済してほしい」と話していました。

「歩けるかぎりは参列し続けたい」被爆者の男性

広島県福山市では被爆2世を中心とした団体「福山市原爆被害者友の会」が、慰霊式を行いました。

式には2人の被爆者のほか、遺族や原爆について学んでいる中学生と高校生合わせておよそ50人が参列し、この1年間で死亡が確認された30人を書き加えた1456人分の死没者名簿を慰霊碑に納めたあと、参列者全員で黙とうをささげました。
このあと、参列した人たちは菊の花を慰霊碑に手向け、犠牲者の冥福を祈りました。

福山市によりますと、ことし3月末時点で被爆者健康手帳を持つ市内の被爆者は809人で、5年間で400人余り減り、被爆者の高齢化が進んでいるということです。

被爆者の96歳の男性は「つえがないと歩行が困難だが、体は丈夫なので、歩けるかぎりは慰霊式に参列し続けたい」と話していました。

父親が被爆した「福山市原爆被害者友の会」の藤井悟会長(74)は「被爆者が少なくなっている中、今後は式典の中で被爆者に体験を語ってもらうなどして戦争を風化させないようにしていきたい」と話していました。

祖母の思いを継いで SNSでライブ配信

核兵器の廃絶を訴え続けてきた祖母の思いを引き継ごうとする人もいます。

被爆3世の富永幸葵さん(24)は、平和記念式典が開かれている平和公園の様子を多くの人に知ってもらおうと、SNSで発信しました。

富永さんの祖母、岡田恵美子さんは8歳で被爆し、ことし4月に亡くなるまで核兵器の廃絶を訴え続けてきました。

祖母を亡くしてから初めてとなる原爆の日、富永さんは、新型コロナウイルスの影響で閉鎖された平和記念式典の会場から少し離れた場所で、式典を見守りました。
富永さんが平和公園の様子をSNSでライブ配信すると、見ていたおよそ50人から「私も午前8時15分に黙とうをしました」とか「原爆のことを発信したいが何ができるか」などのメッセージが寄せられ、富永さんは「何にでも平和は関係することだから、絵でも歌でも自分の得意なことを平和につなげて、隣の人や家族に伝えることから始めてほしい」と呼びかけていました。

ダンサーとして活動する富永さんは「おばあちゃんがいない中で8月6日を迎えて、自分なりに動いてみたいと思いました。これからも自分にできる方法で、SNSやダンスを通して、原爆や平和のことが同世代に伝わるように活動していきたい」と話していました。

子どもたちへ語り継ぐ取り組みも

広島市東区の矢賀小学校では6日、登校したおよそ350人の児童たちが各教室に分かれて、原爆が投下された午前8時15分に合わせて黙とうし犠牲者に祈りをささげました。

続いて、被爆者に代わって被爆の体験を語り継ぐ活動をしているこの学校の教員だった中本実鈴さんが、飛行機の爆音が聞こえ空を見上げると太陽が爆発したかのような強烈な光が広がりすさまじい熱さが襲ってきたことや、ひどいやけどで何日も意識を失い苦しんだことなど、被爆者の体験を紙芝居で語ると、児童たちは真剣な表情で聞き入っていました。
6年生の女子児童は「ひとりの力は小さいですが皆で力を合わせて平和な世界をつくりたいです。下級生にも詳しく原爆について教えるなど自分ができるかぎりのことをしていきたいです」と話していました。

広島市によりますと、市内の公立小学校の9割以上が原爆の日を登校日にしていて、子どもたちに原爆の被害や平和について考える特別授業を行っているということです。