コメ先物取引 大阪 商品取引所の本格移行 国が許可せず廃止に

農林水産省は、大阪の商品取引所が本格的なコメの先物取引への移行を申請していたのに対し、認可しないことを決定しました。

取引所側は、今の試験的な取り引きは継続しない考えのため、コメの先物取引は廃止されることになります。

日本で唯一、コメの先物取引を試験的に行っている大阪堂島商品取引所は期限がない本格的な取り引きへの移行を国に申請していました。

これについて審査を行っていた農林水産省は認可をしないことを決め、6日に取引所側に通知しました。

理由について、農林水産省では「取り引きに参加する生産者や流通業者が増えておらず、認可の基準を満たしていない」としています。

取引所は5日、国の意見聴取の場で参加者は増えているなどと反論していましたが、今の試験的な取り引きは継続しない考えのため、コメの先物取引は、ほとんどが来年6月に廃止されます。

江戸時代に大阪で始まったコメの先物は、1939年にいったん廃止されたあと、2011年から再開してきましたが、これで国内から姿を消すことになります。

大阪堂島商品取引所では、コメの先物取引が取り引き量全体の9割を超えていて、今後、経営戦略の見直しを迫られることになります。

出来高は増加傾向に

農林水産省によりますと、大阪堂島商品取引所で行っているコメの先物取引の出来高は増加傾向にあります。

試験的な取り引きを最後に延長した、おととし8月から、ことし6月末までの2年近くの期間では、1日当たりの出来高の平均は2522件でした。

その前の期間、おととし8月までの2年間では、1日当たりの出来高の平均は898件で、およそ2.8倍に増えている計算になります。

一方、生産者や流通業者など取り引きへの参加者の数をみてみると、試験的な取り引きを始めた2011年から徐々に増えてはいますが、
▽おととし8月までの2年間では172
▽おととし8月からことし6月末までは175と、
最近は、ほぼ横ばいとなっていることがうかがえます。

大阪 堂島はコメ先物取引のルーツ

コメの先物取引は江戸時代、各地からの年貢米が集まった大阪で始まりました。

取り引きが行われたのは、1730年に当時の江戸幕府が公認した「堂島米市場」です。

世界初の組織的な先物取引所として知られ、大阪堂島商品取引所のルーツでもあります。

堂島米市場は1800年代に入って最盛期を迎えますが、戦時中の1939年に取引所が廃止されると、コメの先物取引も途絶えることになりました。

その後、コメの先物取引は2011年、72年ぶりに大阪と東京の2つの市場で試験的に再開し、現在は唯一、大阪堂島商品取引所で行われています。

ただ、この試験的な取り引きには2年間の期限があります。

大阪堂島商品取引所は、これまで4度にわたって試験的な取り引きの延長を農林水産省に申請し認可されてきましたが、取り引き量が増えていることなどを踏まえ、7月に期間の制限がない本格的な取り引きへの移行を申請していました。

大阪堂島商品取引所では金の先物取引など、取り扱う商品を増やす計画ですが、コメの先物取引は取り引き量全体の9割を超えていて、仮に取り引きがなくなれば収益の柱を失うことになります。

また、大阪でのコメの先物取引の歴史も、再び途絶えることになります。