オリンピック新競技 スケートボード 日本の“お家芸”となるか

オリンピック新競技 スケートボード 日本の“お家芸”となるか
「スケートボードに新しい歴史が刻まれた」
男子ストリートで金メダルを獲得し、一躍、日本中に名前を広めた堀米雄斗選手のことばだ。東京オリンピックで新競技として4種目が行われたスケートボード。日本が獲得したメダルは金メダル3個、銀メダル1個、銅メダル1個と、実に5つ。女子パークで最後まで攻めの姿勢を見せた15歳の岡本碧優選手をほかの選手が称賛するシーンは強い印象を与えたほか、ラフな語り口で注目されたプロスケートボーダーの解説もネット上で話題になるなど、反響を呼んだ。
「危ない」「うるさい」「怖い」
これまでスケートボードに抱かれたイメージは、この東京オリンピックで変わったはずだ。今後、スケートボードが一過性のブームでなく、日本の“お家芸”となれるのか。
(スポーツニュース部 記者 松山翔平)

スケートボードその歴史は

まずは日本でのスケートボードの歴史を振り返る。
スケートボードが生まれたとされるのは、1940年代のアメリカ・カリフォルニア。スケートボード関係者によると、日本で愛好者が増えていったのはその20年ほど後の1960年代からで、このときにはサーファーが中心だった。そのあと、若者向けの雑誌で取り上げられるなどして話題となり、およそ10年周期でブームが訪れているという。
若者の間で大きなブームとなったのが1980年代から90年代にかけてだ。街なかで滑るいわゆる「ストリート」のスケートボードが隆盛を極めた時代である。技が複雑になっていき、道具の種類も増えていった。
ヒップホップなど日本の音楽の流行ともマッチし、ファッションも含め、スケートボードは若者のカルチャーの走りになっていた。
海外のトップスケートボーダーが来日するようになり、競技大会が本格化したのもこの時期からである。この時代は現在のスケートボード界にも影響を与えている。
堀米選手や女子ストリートのエース、西村碧莉選手の父親たちが学生のころにスケートボードをやっていたのもこの時代。2人ともに父親の影響でスケートボードを始めていて、堀米選手は、現在も1990年代のスケートボーダーの映像を見て新技のヒントを得ていると明かしている。
1990年代は日本のスケートボードの大きな転換期だといえる。

「競技」としての新たなブーム

そしてそこからさらにおよそ30年がたった2021年。オリンピックでの初採用により、「競技」として、新たなブームの到来が告げられようとしている。
日本スケートボード協会によると、現在、国内の競技人口は10代・20代を中心におよそ3000人。国内の愛好者は、明確な基準がないが、推定で約40万人と言われている。

日本代表の西川隆監督
「競技人口は最近になって多くなっている。オリンピックの影響で一気に増えていく可能性がある」

課題は「迷惑行為」

しかし、普及に向けては課題もある。いわゆる「迷惑行為」だ。
スケートボード関係者によると、トラブルとしてよくあげられるのは、滑っているときの騒音、道にある段差や構造物に傷をつけたり壊したりすること、禁止の場所で滑ること、ゴミのポイ捨てなどもあるという。

横浜市のみなとみらい地区や横浜駅周辺では、スケートボードに関するトラブルや苦情が相次ぎ、去年は、スケートボードをするためにビルの敷地などに無断で立ち入ったとして4人が書類送検された。

これらは競技そのものの問題ではなく、モラルの問題ではあるが、ストリート発祥のスケートボードでは、切り離せない課題だ。あるスケートボード関係者は指摘する。

「『スケボーってそういうもんじゃん』という軽い気持ちがあるのかもしれない。しかし、これは個人のモラルの問題。スケートボードが注目される中で、一部のそのような行為が目立ってしまっている」

スケボー場を増やせるか

こうした行為を減らしていけるかが、今後、日本にスケートボードが根づいていくかの1つのポイントだろう。
そのために何が必要か。多くの関係者が「場所の整備」と話している。

スケートボード場の普及を目指す「日本スケートパーク協会」によると、ことし5月時点で、スケートボードが楽しめる場所の数は、全国400か所余りとなっているが、まだまだ足りないという声は多い。

日本スケートパーク協会 河崎覚代表理事
「迷惑行為があると、『スケートボード禁止』と締め出しをしてしまうことがほとんど。しかし、排除は反発しか生まないので、また別の場所に移ってさらなる迷惑行為に発展してしまう」
「小さな場所でいい。地域住民の理解を得ながら、公園の一角などにスケートボードが利用できる場所を整備することが望まれる。公道よりもスケートボードを楽しめる場所が増えていけば、迷惑行為は減らせるはずだ」

ストリートの堀米選手や西村選手、西矢選手など、今活躍する選手は、自宅から遠くない場所に練習場があった選手が多い。安心して滑れる場所が増えれば、多くの才能が見つかる可能性も広がっていくだろう。

トップレベルの練習場 国際大会も

そして、競技力を高めるためには、トップ選手の受け皿となるような専門のスケートボード場も必要だ。
例えば、世界ランキング3位の白井空良選手は、みずからが設計に携わったスケートボード場が去年神奈川県内にオープンした。高さのあるレールなどを備えた練習拠点を作ったことで、レベルアップを実感したという。
また、女子パークの四十住さくら選手は地元企業の協力を得て、自宅近くに練習場所を確保した。環境が整えば、国際大会などさまざまな競技会を開ける可能性も広がり、日本のレベルはさらに向上していくことが期待できる。

日本代表 西川監督
「トップレベルの国際大会はやはり日本でできるといい。その一方で楽しむだけの大会もあるといいし、いろいろな選択肢を作ってあげるのが大事だ。そうすれば世界に通用できる人が増えていくと思う」

“危ない”から“かっこいい”に

日本のトップ選手たちは、この東京オリンピックで、スケートボードのイメージを変えたいと口をそろえる。
女子ストリート8位 西村碧莉選手
「スケートボードが危ないとか悪い印象ではなくて、楽しそうとか、かっこいいとか、そういうイメージに変わってくれたらいいなと思っています」
男子ストリート 金メダル 堀米雄斗選手
「オリンピックを通じてスケボーの楽しさ、格好よさを伝えられたと思います。今まで知らなかった人がスケボーを知ってくれて、これから日本でもどんどんメジャーになっていくと思う」

オリンピックでの日本選手の活躍で、新たな時代に突入したスケートボード。
メダルラッシュで大きく盛り上がる今、「カルチャー」として発展してきた歴史を尊重しつつ、「スポーツ」としての環境を整備できるか。
それが“お家芸”となるかどうかの分岐点になるだろう。