五輪 スケートボード 四十住さくらが金 開心那が銀 女子パーク

東京オリンピックの新競技、スケートボードの女子パークで、19歳の四十住さくら選手が金メダルを獲得しました。また、12歳の開心那選手が銀メダルを獲得しました。開選手の12歳でのメダル獲得は、スケートボードの女子ストリートで金メダルを獲得した西矢椛選手の13歳を抜いて日本選手で史上最年少となりました。
また夏のオリンピックの同じ種目で日本選手が金メダルと銀メダルを同時に獲得したのは、1976年モントリオール大会の体操の男子種目別鉄棒で塚原光男さんが金メダルを、監物永三さんが銀メダルを獲得して以来、45年ぶりです。

スケートボードの女子パークは午前中に行われた予選で、世界ランキング1位で15歳の岡本碧優選手が予選トップ、世界6位で夏のオリンピックで日本選手で史上最年少出場を果たした12歳の開心那選手が予選3位、世界2位の四十住さくら選手が予選4位で決勝に進み、日本選手3人が午後の決勝に臨みました。

この種目は、すり鉢状のコースで1人45秒間を3回滑り、技の難度やスピードなどで最も高い得点を競います。

四十住選手は1回目で、高さのあるジャンプのほか、予選では出していなかった1回転半する大技の「540」を2回連続で決め、予選と決勝を通じてただひとり60点台となる60.09の高得点を出して金メダルを獲得しました。

また、開選手は2回目に、コースの縁を滑る「ノーズグラインド」やジャンプしながらボードを回転させてつかむ大技「キックフリップインディーグラブ」を決めて59.04をマークし、銀メダルを獲得しました。

開選手の12歳でのメダル獲得は、スケートボードの女子ストリートで金メダルを獲得した西矢選手の13歳を抜いて日本選手で史上最年少となりました。
一方、岡本選手は、高いジャンプからの「540」やスピード感のある滑りを見せましたが、終盤の大技「キックフリップ インディーグラブ」を決めることができず、2回目の53.58にとどまり4位でした。
銅メダルは3回目で56.47を上げたイギリスの13歳、スカイ・ブラウン選手でした。

四十住「後悔がないぐらい練習 それが結果に」

四十住さくら選手は「全力は出し切れなかったが結果が金メダルでよかった。オリンピックで初めての優勝ができてうれしい」と目を潤ませながら喜びを語りました。

そして「後悔がないぐらい練習してきたので、それが結果につながったと思う。家族に喜びを伝えたい」と話していました。また「練習をもうできないくらいやってきたので、めっちゃうれしいです」と喜びを表しました。
決勝の滑りについては「『540』の調子がよかったので、1回目に入れました。決められて最高です」と振り返りました。その一方で、「満足できる結果だけど、ノーミスではなかったので、そこは次へ向けて練習を頑張りたい」と話していました。

そして、「これからもけがなく楽しく、パリオリンピックに出られるように頑張りたい」と早くも今後を見据えていました。

このあと記者会見した四十住選手は「緊張せずにこの舞台を楽しんで自分のベストの滑りができたことが金メダルを獲得できた理由だと思う」と振り返りました。
また、この大会スケートボードで日本選手の活躍が光る理由について聞かれると、「東京オリンピックでスケートボードが行われると決まったときから選手たちが本気で練習してきたからだと思う」と話していました。

「さくらを満開にしたい」という夢かなう

19歳の四十住さくら選手。
新型コロナウイルスで大会が1年延期された期間の成長を生かし金メダルを獲得しました。

小学6年生のときに兄の影響でスケートボードを始め、16歳の時に頭角を現しました。コースの縁を使う「リップトリック」で100種類以上のレパートリーを持つなど、多彩な技を持ち味に3年前に初開催の世界選手権で優勝し、メダル候補となりました。

新型コロナの影響で大会の1年延期が決まったあと、「今のパフォーマンスを見せることができないのはすごく悔しい」と落ち込むときもあったといいます。
それでも、「大好き」と語るスケートボードで歩みを止めることはなく、逆に「練習期間が延びることで技の完成度を上げることができる」と気持ちを切り替え、技術の底上げを図りました。

完成度を高めたのが1年余りの練習を経て去年春に初めて成功した「540」。
ジャンプをしながら1回転半する大技です。
もともとジャンプを苦手としていましたが、国際大会が相次いで中止となったため、「集中して練習できた」と成功率を高めていきました。

さらに去年11月には、地元の和歌山県に自分専用の練習場が完成。
これまでは自宅近くに練習場がなく、往復3時間をかけて神戸市まで通っていましたがコロナ禍で1か月間閉鎖し、練習できない時期がありました。
自由な練習環境と移動の感染リスクを減らしたいと考えていたときに、支援の手を差し伸べてくれたのが、自宅からわずか5分の場所にある酒造会社でした。
もともと大きな精米機を置いていたため、スケートボートの練習には十分な広さがある倉庫を「地元の星のためなら」と無償で貸し出してくれたのです。

この練習場で、長いときには1日10時間滑り続け、得意の「リップトリック」と新たに習得した「540」の完成度に磨きをかけてきた四十住選手。
自分の名前にかけて「さくらを満開にしたい」という夢をかなえ、スケートボード「パーク」の初代女王に輝きました。

開心那「緊張もせずに本当に楽しんでいました」

日本選手で史上最年少のメダリストとなった12歳の開選手は「プレッシャーは全然感じないので、緊張もせずに、本当に楽しんでいました。自分のかっこいい滑りをみんなに見せることができて2位を取れて本当にうれしいです」と笑顔で喜びを語りました。
そして「メダルは重いです」と笑顔で話し、日本選手で史上最年少のメダリストとなったことについては「それは何も思わないです」と答えていました。
決勝の2回目の滑りについては、「少しラインを変えて、レベルの高い技を入れた。誰も使っていないレールで技をやったり、難しい場所で『ノーズグラインド』を決めたり、かっこいい技ができました」と振り返っていました。そして、「今後は世界で活躍するスケーターになって、自分のモデルのボードを出したいです」と話していました。

またこのあとの記者会見で開選手は「緊張せずに楽しんで滑ることができた。銀メダルはいつも関わってくれる人たちや家族に掛けてあげたい」と話していました。

まだ12歳 でも繰り出す技は“玄人好み”

開心那選手は12歳の中学1年生。
自分らしさを追い求めて“玄人好み”の技を磨き、夏のオリンピックで日本選手として最年少での出場を果たしました。
「『すごいなー』とは思うけど、最年少っていうのは気にしてないかな」と自分を見失わず、オリンピックの大舞台に臨みました。
開選手がスケートボードを始めたのは5歳のとき。
両親と一緒に練習場を訪れたことがきっかけでした。そしておととしの2019年、小学5年生のときには日本選手権で優勝し、世界最高峰の大会「Xゲーム」でも準優勝。レベルの高い日本の女子パークの中で一気に注目選手となりました。

開選手の持ち味は車輪をつなぐ金属部分をコースの縁に滑らせる「グラインド」を使った技です。パークでは、ジャンプする「エア」が見せ場とされ、日本でも海外でも、「エア」の大技を身につけることを目指す選手が多くいます。その中で「グラインド」を駆使する選手はいわば“玄人好み”。
開選手は「自分の好みの技で勝負したい。自分の滑りでスケボーのかっこよさや楽しさを伝えたい」と自分のスタイルを磨き続けてきました。

開選手が抱く将来の夢は「世界一かっこいいスケーターになる」こと。
オリンピックの舞台で銀メダルを獲得し、その夢にさらに近づきました。

3位 宮崎県生まれのブラウン「まだ実感わかず夢のよう」

イギリス人の父と日本人の母を持ち、スケートボードの女子パークで銅メダルを獲得したイギリス代表のスカイ・ブラウン選手は「まだ実感がわかず、夢のように感じている。東京に来て、この舞台に立てたことがとても幸せだ。メダルは家族と友達に見せたい」と話していました。

4位入賞 岡本碧優「最後にねらった技決められず悔しい」

4位に入賞した15歳の岡本碧優選手は「最後にねらった技を決められず悔しい」と涙ながらに話していました。

初めてのオリンピックの印象について尋ねられると「ほかの世界大会と同じ感じで臨めた」と最後は笑顔を見せていました。