夢破れても「満足です」 そのわけは

夢破れても「満足です」 そのわけは
今の自分は「やりきっている」と言えるのだろうか。

東京オリンピックへの出場をかなえることができず、25年以上にわたる競技人生を終えることにしたひとりのスイマーを前にして、私は自分に問いかけていました。

たとえ夢をかなえることができなくても、夢に向かって「やりきった」と思えれば、その先の地平が見えるのかもしれない。

今は、そう思い始めています。
(名古屋放送局 記者 星和也)

1人のスイマーが口にした意外な言葉

「最後のレースはめちゃくちゃ楽しめました。自分が、なんで水泳を続けてきたのかがわかったレースでした。プールの壁にタッチしてレースが終わっても、すがすがしかったです」
こう話すのは、渡邊一輝さんです。

ことし4月に行われた東京オリンピックの代表選考を兼ねた競泳日本選手権に出場し、男子200メートル平泳ぎの準決勝1組目で、8人中6番目の順位で決勝に上がることはできませんでした。

渡邊さんは神奈川県出身の27歳。

渡邊さんと同じ年の私も、神奈川県で高校2年生まで10年ほど、競泳に打ち込んでいたことから、彼の存在はよく知っていました。

同学年には萩野公介選手や瀬戸大也選手がいますが、疑いなく彼もトップスイマーの1人だと思っています。

その彼が、代表選考のレースのあと引退したと聞き、理由を聞きたいと彼のもとを訪ねました。

まだ27歳、現役で活躍できるだろうし、してほしいという思いもありました。

ところが、最後のレースが終わった際の気持ちを聞いたときの渡邊さんの答えが、冒頭の言葉でした。

代表選考で敗れる一方で、目の前で開かれるオリンピック。

「悔しかった」「夢をつかめず残念だ」。そのような心境ではないかと思っていただけに彼の言葉は意外なものでした。

なぜそう思うのか渡邊さんに尋ねると、自分自身の競技人生を振り返りました。

夢中になれた泳ぐこと

渡邊さんが水泳を始めたのは生後間もないころ、元気がありあまってなかなか寝つかない渡邊さんに手を焼いた両親が連れて行ったのが、地元のスイミングクラブでした。
幼稚園の年長の時に選手コースに入り、プールに入ることが純粋に楽しく、毎日のように夢中で泳ぎました。

自然と結果も出るようになっていき、小学3年生で全国大会に初出場すると、次々と表彰台に上るようになりました。

「将来は、オリンピックでメダルを取りたい」

小学校の卒業文集には、こう書きました。

オリンピックは、スポーツ選手誰もが目指す最高の舞台。

それは、渡邊さんにとって、大きな夢でした。

自分より高い表彰台にいた、彼らたち

そんな渡邊さんより高い表彰台に立っていたのが、東京オリンピックに出場した萩野公介選手と瀬戸大也選手でした。

「表彰式が終わったら、昆布の入ったおにぎりを食べるんだ」

小学3年生で表彰台に立った時、萩野選手と初めて交わした会話です。

「すごく速い子がいる」と聞いていましたが、いざ言葉を交わしてみると、自分と同じ小学生なんだと、少し拍子抜けしました。
彼らに勝ちたいと練習に取り組み、背中を追いかけてきました。

それでも、なかなか追いつくことはできませんでした。
渡邊さん
「小学生の時は瀬戸くんより僕の方が速くて。萩野くんだけは、同世代の中ではずばぬけていました。僕は萩野くんに一度も勝てたことはありません」

夢が目標に、追いかけた夢

そんな渡邊さんが、大学2年生の時。

オリンピック強化指定選手に選ばれ、このとき初めて、オリンピックが単なる夢ではなく、実感できる目標になりました。

前の年にオリンピックの東京への招致が決まっていたことも、その目標を具体的にイメージすることを後押ししました。それからは嫌いだった練習も、楽しめるようになりました。

見えない何かに向かって泳ぐのではなく、一つ一つの練習、1本1本のレースが、目標に向かう大切なプロセスだと考えられるようになったからです。
努力の積み重ねが、最終目標のオリンピックにつながっていく。

ゴーグル越しに見ていたのは、もう、萩野選手や瀬戸選手の背中ではなく、その“先”でした。

決して諦めない

しかし、21歳で臨んだリオデジャネイロオリンピック代表選考会は、準決勝敗退。

平泳ぎ200メートルで代表入りを目指しましたが、決勝にさえ残れませんでした。

一方、萩野選手はリオデジャネイロのオリンピックで、400メートル個人メドレーで金メダル。

瀬戸選手は銅メダルを獲得。

それでも、渡邊さんは、夢であり目標のオリンピックに向けて、決して諦めませんでした。

もしかしたらこの努力が報われないのかもしれないと、時折、不安になることもありました。

ただ、渡邊さんの中では少しずつ、誰かに勝ったり負けたりすることよりも、夢に向かって進んでいる、その時間が、純粋に“楽しい”と感じられるようになっていました。
その時間がいつまでも続いてほしい。

だから、きのうよりきょうの自分が成長できているように、平泳ぎの1回のストロークで、これまでより少しでも前に進めるように。

そのための努力は惜しみませんでした。

これが“ラストレース”

そして迎えた、ことし4月の東京大会の代表選考会。

「これが自分にとって最後のレースになるだろうな」

予選を勝ち上がった時の渡邊さんのタイムは全体の16番目。

準決勝のスタート台に立った時、渡邊さんは、こう悟っていました。
号砲が鳴り、レースがスタート。

水中に飛び込み、なめらかに、かつ力強く水をかいて水面に向かって一気に浮かびあがりました。

そして、いつもどおりの大きなストロークで泳ぎ始めます。

これまで何千万回この動きを繰り返しただろう。

きょうはあと何回できるだろう。

前に進むたび、ターンをするたび、みずからの競泳人生に賭けた思いと力のすべてを出し切ろうと思いました。

プールの壁にタッチし、顔を水から出して掲示板を見ました。

2分12秒64

8人の中で6番目のタイムでした。

渡邊さんの、夢への旅路が終わった瞬間です。

「やりきった」と言えるから

渡邊さん
「『やりきった』。そう思えたから、すがすがしい気持ちが大きかったですね。あと、夢や目標があって、そこに向けて突き進んでいる時間って、本当に幸せで、貴重な時間だったと、競技を離れて数か月ですけど、すごく実感しています」
取材の最後に渡邊さんはこう振りかえりました。

なぜ、25年以上打ち込んできた水泳という競技から離れ、夢だったオリンピックへの出場がかなわなくても「すがすがしい」と言えるのか、私はなんとなくわかったような気がしました。

夢を追いかけ、目標に突き進んでいる、その瞬間は、誰だって輝いているのかもしれない。

ただ、夢に届かないままゴールした時、渡邊さんのように「やりきった」と自信を持って言えるだろうか。

今の自分は「やりきっている」のだろうか。

次のステージに

27歳になった渡邊さんは選手を引退したあと、今は都内の商社で働いています。

慣れないことばかりだと話しますが、将来に戸惑いを感じているようには見えませんでした。
夢や目標を失って、新たな一歩を踏み出すことに不安や怖さはないのか尋ねると、渡邊さんはこう明かしました。
渡邊さん
「東京オリンピックが最大の目標と決めていたので、行けたとしても行けなかったとしても、終わりにするって決めていたんです。そこまでにやれることを全部やりきったと思える結果だったので、次のステージに向かえているのだと思います」
「水泳の世界で一番になることを目指してきましたが、結局、一番にはなれないままやめちゃいました。だから、別の分野では一番を取りたいと思っています。今の仕事を極めるなんて言ったらかっこつけすぎですけど、活躍していきたいです」
名古屋放送局 記者
星和也
2017年入局
名古屋放送局に配属後
愛知県警担当を経て
災害や選挙取材などを担当