バッハ会長 人物像と“炎上”のワケに迫る

バッハ会長 人物像と“炎上”のワケに迫る
「日本人のリスクはゼロ」発言。開会式の長いスピーチ。

その言動が注目され、時には批判の的となるIOCのトーマス・バッハ会長。

実はフェンシングの金メダリストでもあることをご存じだろうか?

私たち取材班は、アスリート時代から直近までの足取りを追って証言を集め、専門家とともに発言を分析。その人物像と“炎上”のワケに迫った。
(五輪警戒取材班:神津全孝 戸叶直宏 細川高頌)

“国家元首レベル”の警護態勢

警戒取材班は、コロナ禍の中で行われる異例のオリンピックをめぐり、社会の動きを取材するのが役割だ。

要人の警戒取材も担当し、その最重要人物の1人が、IOCのトーマス・バッハ会長だ。

バッハ会長は、東京 港区にある老舗高級ホテルに滞在している。

ホテルの41階にIOCの「ガバナンスオフィス」を構え、低層階には法務部や財務部の執務室、会議室などがある。

さながらIOCの「臨時本部」となっているこのホテルも重要な取材対象だ。

敷地の中も外もSPや制服の警察官が行き交い、ものものしい雰囲気に包まれている。

特に開会式の当日は、少し移動するだけで警察官の鋭い視線が向けられた。

関係者によると、警察の警備面で、バッハ会長は今回来日した要人のうち、アメリカのジル・バイデン大統領夫人に次ぐナンバー2の重要人物と位置づけられているという。

ホテルは一般客も利用できるが、入館する際には空港と同じように荷物のX線検査が求められ、金属探知機のゲートをくぐることも義務づけられている。

まさに国家元首レベルの扱いだ。

“妥協許さない”金メダリスト

バッハ会長はドイツ出身の元アスリートだ。

モントリオールオリンピック、フェンシングフルーレ団体で金メダルを獲得している。
一挙手一投足が注目される彼は、どんな人物なのか。

私たち取材班は、彼のアスリート時代の姿から探ることにした。

そのころのフェンシング元日本代表3人が取材に応じてくれたが、バッハ会長は金メダルを獲得した西ドイツの団体戦メンバー4人のうち実力は4番手の位置づけで、目立つ存在ではなかったという。

取材に応じた1人、藤田裕司さんはモントリオール大会後に開かれた7か国の合同練習で、バッハ会長と交流した経験がある。
藤田さん
「バッハは選手としてはディフェンス力がきわめて高く、派手さはないが堅実なフェンサー。じわじわと迫ってくる『壁』と戦っている印象が今も脳裏に残っています」
最も強く印象に残っているのは、親睦を深めるために行われた各国対抗のフットサルでのエピソードだという。
藤田さん
「親善試合のつもりの日本チームは西ドイツチームに26対0で完敗。バッハ会長たちは最後まで全く手を抜いてくれませんでした。何事にも真剣に取り組み、妥協を許さない性格だと思います」
弁護士となってビジネス界で成功を収めたあとIOCに入り、地位を高めていったバッハ会長。

2013年に会長に就任し、財政基盤の改善を進めたことはよく知られている。

ドイツメディアの分析 “成り上がりの成功例”

それは反面、アメリカの有力紙「ワシントン・ポスト」が「ぼったくり男爵」と表現するように、過度に利益優先だとしてIOCの拝金主義の象徴とみなす強い批判にもつながっている。
マライ・メントライン プロデューサー
「スポーツ業界では、仲間に優しい真面目な仕事人間として評判は悪くないが、一般のドイツ人から見れば『上昇志向の強い成り上がり系の成功例』として認識され、お世辞にも広く好かれているとは言えない。ドイツメディアでは強権的なIOC運営が批判され、不正やスキャンダルがあるのではないかと取材する記者が各社にいる」

アスリート視点でIOCに強固な支持基盤

一方で、アスリートのために環境を整えた手腕は一定の評価を受けている。

IOC本部のあるローザンヌの研究者と、IOC委員の声だ。
ジャン・ルー・シャプレ名誉教授(長年IOCを研究)
「バッハはボイコットによって1980年のモスクワオリンピックに出場できなかった経験があり、アスリートの視点にたって物事を考えている。IOCにとって収益の確保は大きな課題だったが、2032年までアメリカの放送局と契約し、多額の放映料を得たのは大きな功績だ」
来日しているIOC委員
「フェンシング出身だが特定の競技に肩入れせず、アスリートの気持ちが分かっている。もちろん全員が彼に賛成しているわけではないが、組織内で波風がたつような状況ではない」
アスリートの目線をベースに、東京オリンピックの開催に前のめりの発言が目立ったバッハ会長。日本ではSNSなどでたびたび「炎上」を招いてきた。

福島訪問 隠された交流

その影響の大きさを象徴するような出来事があった。

7月28日、“復興五輪”の象徴の1つ、福島市の県営あづま球場で行われた野球のオープニングゲームでのことだ。

地元の中学生による始球式を見守ったあと、試合を観戦していたバッハ会長は、6回表が終了すると、席を立って球場の外に向かった。

あとを追うと、バッハ会長は球場から30メートルほど離れた仮設の建物で20歳前後に見える10人ほどの若者と会い、車座になって話を始めたのだ。

バッハ会長は身を乗り出して話を聞き、ジェスチャーを交えて話して時には笑いを誘っていた。

しかし、5分ほどたつと急にセキュリティのスタッフが窓を隠すように立ち、ここでは取材しないよう告げてきた。

それ以上、様子を見守ることはやめ、30分後に若者たちが、さらにその20分後にはバッハ会長が球場をあとにした。

被災地での若者とのふれあい。

この交流が福島を訪れた目的の1つであることは間違いないだろう。

普通であればアピールのため、取材を呼びかけるシーンかもしれない。

しかし人目を避けた場所で、バッハ会長は語り合っていた。

若者たちは東北の被災地出身ということがわかったが、バッハ会長に紹介した団体は、面会のいきさつや交流の内容について取材には一切応じなかった。

「復興五輪」の理念に基づくこうした取り組みさえ、公開されなくなっている。

バッハ会長への批判の余波の大きさに衝撃を受けた。

福島の元高校球児「緊張ほぐしてくれた」

バッハ会長は東京大会の開催決定後、たびたび日本を訪れ、多くの人たちと交流してきた。

実際に会って話した人たちからは好意的な評価が多く聞かれた。

3年前に福島で、バッハ会長の前で3分間のスピーチを任された大内良真さんは、原発事故で避難を経験したあとも野球に取り組み、伝統校の福島商業のエースを務めた。

大学でも野球を続けている。
大内良真さん(3年前にバッハ会長と交流)
「最初はめちゃくちゃ緊張していました。しかし、避難生活で太ってしまい、走り込みができなくなったことを話したら、『私の体型もそうだ。私たちは太って走れなくなったという意味で仲間だ』と言われ、一気に緊張がほぐれました。

『被災して避難生活になり、大変なこともあったけど、それがあったからいま、仲間と出会い、野球ができている。震災は悪いことばかりじゃない』と話すとバッハ会長は自分の目を見てしっかりと聞いてくれました。握手をしたとき、分厚い手の皮に繰り返しマメができた痕が残っていて、一流のアスリートの手に鳥肌が立ったのを覚えています」

被爆者との対談中止 その理由は

オリンピックの開会式まで1週間に迫った7月16日、広島市の原爆資料館を訪問したバッハ会長を被爆者代表として出迎えた、梶矢文昭さん。

実は、当初対談が予定されていたが、急遽中止になっていた。

梶矢さんはその理由が嬉しかったと言う。
梶矢文昭さん(被爆者代表として対応)
「バッハ会長が資料館を見学したのですが、予定の時間をオーバーしてしまったため、私との対談が中止になったんです。それは残念なんですが、それでいいと思うんです。政治家など多くの人が視察に来るんですが、中には儀礼的に短時間見て終わる人もいます。ドイツは同じように戦災にあっているから、戦争というものの残酷さというものを知っているのだと思います」
資料館の中での取材は認められなかったが、バッハ会長は、学徒動員で命を落とした中学生の遺品を見たときには涙ぐんでいたという。

今回私たちは国内外の多くの人にバッハ評を聞いた。

批判的な意見も少なくなかったが、直接接した人の多くが親しみやすさや実直な一面を語っていたことが印象的だった。

スピーチ分析で迫る“炎上”の原因

では、なぜ、バッハ会長の発言はたびたび批判の対象となるのか?今回、私たちは異なる分野の4人の専門家にバッハ会長の発言やスピーチの分析を依頼した。

その結果、13分に及んだ開会式でのスピーチにその理由が隠されているという指摘で一致した。

その理由とは。

1 共感の欠如

まず専門家が指摘したのは、ポジティブな言葉が繰り返されていたことだ。

「連帯」が14回、「感謝」が9回、「希望」が2回登場した。

しかし具体性を欠き、「共感を呼ばない」という。
コンサルティング会社 山口明雄代表(企業の危機管理対応が専門)
「新型コロナの感染拡大を不安に思っている日本人のネガティブな心情に寄り添う言葉が少なく、代わりにポジティブな言葉を使ってオリンピックを正当化しようとしている。

また、オリンピックの開催自体に国内で賛否がわかれている中で、この時期に開催する意義を説明する言葉がどこにもない。受け取る側はバッハ会長の考えを一方的に伝えられているように感じて共感できない」
東北福祉大学 二階堂忠春特任准教授(実践心理学が専門)
「スピーチの名手が使う『ストーリーテリング』が全くない。スピーチの中に自分の体験やエピソードを入れて『物語』をつくり、それが聞いている人たちの共感を呼ぶ手法だが、バッハ会長のスピーチは抽象的なビジョンを並べるだけでそれがなく、言っていることは悪くないのに伝わってこない」
福岡大学 石井和仁教授(スピーチ・コミュニケーションが専門)
「14回使われた『連帯』という言葉は、それ自体は良い言葉なのだが、スピーチ全体が理想や観念的メッセージで終始しているため、これが続くと聞いている方も苦痛だし、説得力がなくなる。

また、イベント内でスピーチを求められた場合、自分のスピーチがどのような位置づけかを考慮することが求められる。開会式の主役は選手で、終盤に設定されたバッハ会長のスピーチに、ある程度の簡潔さを期待しているが、13分と長かった。内容も貧弱さが際立っていた」

2 過度なアスリートファースト

専門家は、9回使われた「アスリート」という言葉にも注目した。

特にスピーチの後半はアスリートに向けたメッセージの色合いが濃くなり、日本の一般の人たちに、放っておかれたような感覚を覚えさせたという。
ユタ大学 東照二教授(社会言語学が専門で数々のスピーチを分析)
「自身もアスリート出身という仲間意識からだと考えられるが、スピーチの後半は、『アスリートの仲間よ』という文言から始まり、ほぼアスリート向けの演説となっていた。

しかし、映像を見ていると当のアスリートも座ったり、横になったりして聞いていない人が多く、アスリートにさえ届いていない。自分の言いたいことを言うという自分本位さを感じる」
コンサルティング会社 山口明雄代表
「アスリートに向けたメッセージが多かった一方で、メッセージのベクトルは新型コロナの中で大きな影響を受けている日本人に向いていない。そのため、そもそも『日本人が聞いたときにどう受け取るか』という視線が欠如しており、その結果、日本人の反感を買っている」

感染爆発の中 どんなメッセージを残すのか

バッハ会長の発言がたびたび“炎上”を生んだ背景には、聞き手の共感を得ようとせず、自分が話したいことを話す「自分本位」な姿勢がある。

専門家の指摘は、このポイントで一致した。

いま多くの日本人が懸念しているのは、新型コロナの感染が急拡大する中でわたしたちの生活と安全がどう守られるのかということ。

しかし、オリンピックをめぐるバッハ会長の言葉はアスリート目線でのオリンピックの精神や大会開催の意義が中心となり、不安を抱える私たちの心に寄り添うものとは言えなかった。

今回の取材ではバッハ会長の実直な姿が、広島や福島などで交流した人たちの心に刻まれていることも分かった。

しかし、オリンピックを守るために、みずからの主張や意見を譲らない姿勢が強くにじんだことが、日本国内で反発を受けた理由の一端ではないかと感じた。

オリンピック憲章では、「根本原則」を次のように規定している。

「オリンピズムの目的は、人間の尊厳の保持に重きを置く平和な社会の推進を目指すために、人類の調和のとれた発展にスポーツを役立てることである」。

つまりスポーツは、「平和な社会の推進を目指す」ための手段だと位置づけられている。

大会は折り返し地点を過ぎた。

感染爆発とも言われるかつてない状況の中で、これからバッハ会長は、日本の国民と社会にどんなメッセージを残すのか。注目していきたい。
社会部記者
神津全孝
平成16年入局
甲府放送局、社会部、ロサンゼルス支局などを経て現在、社会部で事件遊軍担当
首都圏局記者
戸叶直宏
平成22年入局
福岡局、横浜局を経て、現在、首都圏局で事件遊軍担当
青森局記者
細川高頌
平成29年入局
青森局で警察担当を経て現在八戸支局
青年海外協力隊として赴任したトンガでラグビーを教わる