5人殺害の被告 “友人”が見た心の深層

5人殺害の被告 “友人”が見た心の深層
「おまえがやったことは許されない!」

死刑が言い渡された直後、被告は検察側に飛びかかり暴れながらそう叫びました。

5人を殺害した被告があらわにした“異常性”。

しかし、“友人”と呼ばれた私たちが接見や手紙のやりとりを通じて見てきたのは、それとは異なる姿でした。
(鹿児島放送局記者 平田瑞季・西崎奈央)

法廷で見た“殺意”

「被告人を死刑に処する」

主文が言い渡された直後、信じられないことが起きました。

私は鹿児島地方裁判所で傍聴席の一番前、被告席のすぐ後ろに座っていました。

岩倉知広被告は突然立ち上がり、勢いよく検察側の机を乗り越え、そして検察官や遺族に向かって飛びかかったのです。

被害者たちも、このように殺されたのかー。

初めて目にした“殺意”に、恐怖で震えが止まりませんでした。

「もうやめて」という遺族の悲鳴が法廷に響き渡る中、取り押さえられ手錠をかけられた岩倉被告。

興奮しながら「おまえがやったことは許されない!」などと叫び続けていました。

日置市5人殺害事件

事件が発覚したのは2018年4月6日。

鹿児島県日置市の住宅で女性2人の遺体と意識不明の男性が見つかりました。

近くにいた岩倉被告が逮捕されたのは、その翌日。さらに近くの山林からも男女2人の遺体が見つかりました。
殺害されたのは、この住宅で2人で暮らしていた父親の正知さんと祖母の久子さん。

そして、2人の様子を見に訪れた伯父の妻の孝子さんとその姉の坂口訓子さん。

さらに、伯父に安否確認を頼まれた後藤広幸さん。

いずれも首を絞められたことによる窒息死でした。

裁判では何が争われたか

裁判は2020年11月18日から始まりました。
岩倉被告は、父親の正知さんへの殺意を否認。

「父が包丁を持ちだしたので、包丁を落とそうと取っ組み合いになった」などと述べました。

祖母の久子さんについては、殴って死なせたもので死因が違うと主張。

ほかの3人については起訴された内容を認めました。

そして、最大の争点となったのが「刑事責任能力の有無」でした。

弁護側は「被告は妄想性障害を患い、犯行当時は病状が深刻な状態にあった。祖母の久子さんや伯父を中心とする一派が迫害行為をしているとの妄想を前提とした反撃である」と主張。

妄想性障害の影響で善悪を判断し行動を制御する能力が著しく減退していたと述べました。

検察側は裁判が始まるまでに2度の精神鑑定を実施。

その結果、「精神障害があったが、犯行当時の症状は軽度で5人の殺害に対して完全な刑事責任能力があった」と主張しました。

法廷には離別した母親も

裁判では、生い立ちや事件に至るまでの様子も明らかにされました。

両親が離婚した年に高校を中退した岩倉被告。

さまざまな仕事に就きましたがいずれも長続きせず、自衛隊を辞めたあと、25歳ごろから盗聴や監視をされているなどと口にするようになりました。
暴力を振るわれ、首を絞められることもあったという母親も、映像や音声で法廷とつなぐビデオリンク方式で証人尋問に参加しました。

「被告は幼少のころは優しかったが、短気なところがあった。病院をすすめたが行かなかった」と振り返った母親。

「本人が精神的に参っているとき、もっと余裕をもって抱きしめてあげていれば…。私が我慢して一緒にいれば、こういうことにはならなかった。最悪でも殺されるのは私ひとりで済んだかもしれない」と話しました。

判決当日。

裁判長は「被告は妄想を抱いていたがあくまでその程度にとどまる。妄想に指示、支配されるような状況にはなかった」と述べました。

完全な刑事責任能力があったと認めて死刑を言い渡したのです。

裁判のあとに残った違和感

裁判のあと、私たちに残ったのは違和感でした。

岩倉被告が検察官たちに襲いかかったからだけではありません。

裁判長から「最後に述べておきたいことはありませんか」と問われた岩倉被告が、「妄想のひと言でかたづけられ、自分の発言をつぶされたのであれば納得がいきません」と述べていたことが気になっていたのです。

傍聴していたときから多くの疑問がありました。

結局、何が被告をここまで追い詰めたのか。

事件の背景や動機は何だったのか。

私たちは裁判と並行して、岩倉被告との接見や手紙のやりとりを続けていました。
そのときの印象と法廷で見せる姿のギャップも、裁判への違和感につながりました。

接見や手紙では、私たちを「友人」と呼び、似顔絵を描いて送るなど人懐っこい一面を見せていましたが、裁判に対しては「失望した」と話し、法廷で表情を変えることはありませんでした。

「裁判は社会の共有財産に」

私たちは、岩倉被告の裁判に抱いた違和感を、多くの裁判を傍聴し、社会のありかたを見つめる作品を作ってきた映画監督の森達也さんにぶつけてみることしました。
森さんはまず「裁判が儀式化している」と指摘しました。
森達也さん
「凶悪事件に対して、多くの人は遺族の悲しみをくみ取って極刑で償わせるべきだといった思いが強くなる。特にいまの日本の裁判では、すごく批判されることもあるので、社会の望みに応えようとしてしまうが、本来であれば司法は、そうした社会の願望や思いとは別に、客観的に検証しながら罪と罰を決めていかなければいけない」
その上で森さんは、裁判は「社会の共有財産」になるような知見や教訓を得る場になるべきだと話しました。
森達也さん
「事件の骨格が分かったからといって必ずしも同じ事件を防げるわけではないが、少なくともこの要素があったから被告を追い詰めたとか、もしこうなってなかったら違う展開になっていたかもしれないと分かれば、そうした知見を積み重ねることで社会はちょっとずつ進歩するかもしれない。その機会を提供するために裁判の場っていうのはとても重要だと思います」

大きかった父親の存在

今回の事件から得られる知見や教訓はないか。

私たちは岩倉被告とのやりとりを振り返ることにしました。
起訴の直後から、手紙で事件の日の心情や動機をたずねてきましたが、「裁判に関わるため答えられない」という返事で、当初の内容のほとんどは事件とは関係ない雑談でした。

ただ、切手の絵柄を変えるといち早く気づいて心情の変化を推測するなど、私たちに対する関心も感じられるようになりました。

そして回数を重ねていくと、少しずつ家族との思い出がつづられるようになりました。

その中でも多く書かれていたのは、最初の日に窒息死させた父親の正知さんとの思い出でした。

岩倉被告の暴力が原因で母親が家を出たあと、父親は岩倉被告のことを心配して面倒を見続けていたといいます。

“「アパートに来てうちに来んか」と言っていました”

“父親とは色んな場所に行きました”“今までの時間を埋めるように”

事件の引き金となったのは

鍵になるのは父親の存在ではないかー。

私たちは考えをまとめて、鹿児島拘置支所にいる岩倉被告に直接聞いてみました。

やりとりを重ねたことで、ずいぶんと打ち解けた状態になっていた岩倉被告。

私たちを笑顔で迎え、時には笑い話もはさみながら話していましたが、父親への思いを聞くと表情が変わり涙を浮かべながら語り始めました。
岩倉知広被告
「父はアパートに食べ物を届けてくれたり自分を常に気にかけてくれたりした唯一の味方でした。父がいなかったら自分はどうなっていたかわかりません」

「祖母から小言を言われ暴力を振るってしまいました。振り返ると両手に包丁を持った父が立っていました。父はこれまで暴力をふるったこともなかったのに。父は『殺すぞ。お前が怖いんだ』と言いました。味方だった父のその姿を見て、頭がおかしくなってしまって。今思えば何かにとりつかれたようなまがまがしい感覚でした」

「揺すっても反応しない父の姿を見て、今まで我慢していたことなどが開放されたような気持ちでどうでもよくなってしまいました」

どうすれば事件は起きなかったのか

岩倉被告とのやりとりを重ねて明らかになってきたのは、父親の死亡が事件の引き金となったことでした。

「もしこうなってなかったら違う展開になっていたかもしれないと分かれば、社会はちょっとずつ進歩するかもしれない」

私たちは映画監督の森達也さんの言葉を思い返し、どうすれば事件は起きなかったのか、さらに考えました。

そして、判決からおよそ半年後、福岡高裁宮崎支部での控訴審を控える岩倉被告に直接問いただすため、移送先の宮崎刑務所へ向かいました。
久しぶりに会った岩倉被告は、これまでと変わらず気さくな様子でした。

変わったのは、お金がないので自分でちぎったという短くなった髪の毛。

私たちが「どうすれば事件は起きなかったのか」とたずねると、うつむいて絞り出すように話し出しました。
岩倉知広被告
「相談できる味方が欲しかった。親戚からの嫌がらせを父親以外の誰かや公的機関に相談できればよかった」

取材を終えて

「おまえが憎い。返してくれ。」

遺族は裁判で泣き叫んでいました。

岩倉被告の言葉から教訓を探ったところで、5人の被害者の命が戻ることはなく、岩倉被告がしたことは絶対に許されることではありません。

ただ、もし岩倉被告と同じように、孤独の中で被害妄想を膨らませ、怒りを増幅させている人がいるのなら―。

悲劇を繰り返さないためにも、今後行われる控訴審が実りあるものになることを期待します。
鹿児島放送局記者
平田瑞季
2018年入局
去年まで事件・事故を担当。
現在は奄美支局で世界遺産などの取材をしながら、今も岩倉被告とやりとりを続けている。
鹿児島放送局記者
西崎奈央
2019年入局
最近まで事件・事故を担当。
在留外国人の暮らしや外国人の労働問題について関心を持っている。