オリンピック バスケットボール男子 日本は予選リーグで敗退

東京オリンピック、バスケットボール男子で、日本は予選リーグ最終戦でアルゼンチンに77対97で敗れて3連敗となり、決勝トーナメント進出はなりませんでした。

予選リーグ、グループCの日本はここまで2連敗で、1日、さいたまスーパーアリーナで行われた最終戦で世界ランキング4位のアルゼンチンと対戦しました。

日本は前半、アルゼンチンに立て続けにスリーポイントシュートを決められて主導権を握られ、頼みのエース、八村塁選手も2得点にとどまり、38対46とリードされて折り返しました。

後半は開始直後に馬場雄大選手などが速攻を決めて4点差まで詰め寄りましたが、ここからリズムに乗りきれず、その後はディフェンスも甘くなって点差を広げられました。

このまま日本は77対97で敗れて予選リーグ3連敗となり、オリンピックで45年ぶりの勝利と決勝トーナメント進出はなりませんでした。

八村「まだまだチームとして強くなっていく」

八村塁選手は「東京での開催で自分たちも張り切っていたが、実力の差が出た。チームの精いっぱいは出せたと思う」と振り返りました。
そのうえで、「自分たちは若いチームなので、こうした大会を経験できたことは大きい。まだまだチームとして強くなっていくと思う。悔しい結果だったが、次のワールドカップ、そしてオリンピックに向けて頑張っていきたい」と雪辱を誓っていました。

渡邊「世界との差を埋めるため 悔しさ忘れない」

渡邊雄太選手は「悔しいのひと言。八村選手のマークが厳しくなることは分かっていたが、対応できず、力のなさを感じた。勝ち負けがすべてではないが、勝たないと楽しくない」と目に涙を浮かべて話しました。
そして、キャプテンとして臨んだオリンピックを振り返り、「成長できた部分、まだ成長しないといけない部分と、いろんなことが見えた3試合だった。世界との差を埋めるために、この悔しさを忘れず、代表の12人だけでなく若い選手たちも世界と戦うことを意識して臨んでいく必要があると思う」と話していました。

馬場「自分にできること考えた」

チームトップの18得点をあげた馬場雄大選手は「八村選手にマークが集まるのは分かっていたので、自分にできることを考えていた。自分たちができることはコートに置いてきた」と試合を振り返り、「この大会で自分たちの世界での立ち位置が分かった。国内の選手の実力も上がっていて『あと少し』だと感じている。世界とどんどん戦って勝つことを当たり前にしていかないといけない」と前を向いていました。

「アカツキファイブ」 世界の高い壁 あと一歩届かず

国内リーグの底上げと2人のNBA選手の誕生で“史上最強”とも呼ばれるチームとなった日本代表。それでもオリンピック45年ぶりの勝利には届きませんでした。

バスケットボール男子の日本代表が前回、オリンピックに出場したのは1976年のモントリオール大会。その後、海外選手の大型化が進み、日本はオリンピックから長く遠ざかりました。

国内の選手強化やファン獲得も進まず、2005年には企業チーム中心の当時の日本リーグに対抗してプロ化を掲げたbjリーグが創設され、2つのリーグが存在することに。

これを問題視した国際バスケットボール連盟は2014年、日本に資格停止の制裁を科し、一時は国際試合に出場すらできなくなりました。

日本代表の低迷とリーグ分裂を経て訪れた“暗黒の時代”。
ただ、これが転機となりました。

日本バスケットボール協会は川淵三郎氏を会長に迎え組織を抜本的に改革。
統一リーグとなるBリーグが誕生し、制裁の解除につなげました。
その後、Bリーグは全国に拡大。

海外のトップ選手も加入したレベルの高いリーグでもまれた富樫勇樹選手や田中大貴選手などが代表の中心メンバーとなり、国際大会で実績を重ねて開催国枠でのオリンピック出場をつかみ取りました。

さらに追い風となったのがNBA選手の誕生でした。

高校卒業後にアメリカに渡り、田臥勇太選手以来、日本選手で14年ぶりのNBAプレーヤーとなった渡邊雄太選手。
その翌年、初めてドラフト1巡目で指名を受けた八村塁選手。

ともに身長は2メートルを超え、体格でも海外選手にひけをとらない2人が世界最高峰の舞台で腕を磨き続け、日本代表に大きな推進力を与える存在となったのです。

こうした歩みが実を結び、“史上最強”とも呼ばれるまで成長した日本代表。

その1つの集大成となった東京オリンピックでしたが、世界の高い壁に跳ね返され、45年ぶりの勝利にはあと一歩、届きませんでした。

日本代表の愛称は「アカツキファイブ」。

選手たちがこの悔しさを糧に、日本バスケットボール界に“夜明け”を告げる日が来ることを信じて待ちたいと思います。