オリンピック 陸上 相澤晃 “円谷幸吉”の背中を追って

30日から始まった東京オリンピックの陸上、最初の決勝種目となる男子10000メートル決勝で福島県出身の相澤晃選手は17位でした。相澤選手はある選手の背中を追って国立競技場を疾走しました。

前回、1964年の東京オリンピックでマラソンの銅メダルを獲得し、大観衆をわかせた故・円谷幸吉さん。その円谷さんの背中を追って、相澤選手は国立競技場を疾走しました。

相澤選手の地元、福島県須賀川市は円谷さんの出身地で、今も円谷さんの功績を伝えるマラソン大会が開催されるなど、陸上が盛んに行われています。
そこで育った相澤選手は、中学生の時に円谷さんの名を冠した陸上クラブ「円谷ランナーズ」で陸上選手としての第一歩を踏み出し、全国クラスのランナーへ成長していきました。

相澤選手が大事にしていることばは、円谷さんの座右の銘「忍耐」。
このことばを胸に刻みながら走った去年12月の日本選手権で、相澤選手は10000メートルの日本記録を10秒以上も更新する27分18秒75の圧倒的なタイムで優勝しました。

「今回の大会には縁を感じている」

そう振り返る相澤選手と円谷さんにはいくつもの共通項があります。
実は、円谷は前回の東京オリンピックでマラソンだけでなく、相澤選手と同じ10000メートルにも出場して6位に入賞しています。
また、大会が1年延期されたことによって、相澤選手と円谷さんは24歳で大会を迎えることになりました。さらに、戦後日本を元気づけた円谷さんと、震災の後、福島の代表として走ってきた相澤選手は、「復興」という思いでも共通しています。

必然的に地元や周囲も円谷さんのような活躍を期待し、相澤選手も「円谷さんの6位入賞を目標に、元気や勇気を与えられる走りをしたい」と意気込んでこのレースに臨みました。そして迎えた、30日のレース。
相澤選手は「いろいろな人の思いを背負っている」と静かに手を合わせたあと、スタートしました。

アフリカ勢と一緒に集団を組み、終盤の7000メートルまで食らいつきますが、最後は世界との差を痛感。17位に終わって目標の入賞には届きませんでしたが、感じ取ったのは忍耐のその先でした。
「途中からきつい場面もあったが、しっかり7000メートルまで粘れたので、そういう意味では忍耐の走りができたと思う。ただ、我慢するだけだと、世界と戦うにはレースにならないので、しっかり攻めの走りをしていきたい」

円谷さんから57年の時を経て、国立競技場を力走した相澤選手。「地元に伝えたいことは」と聞かれ、次のように答えました。

「皆さんが期待してくれたような走りはできなかったんですけど、今の自分のベストは尽くせたので、いい走りが見せられたと思う。これからも応援していただけるようにまた頑張りたい」

偉大な先輩のその先を目指し、相澤選手はこれからも走り続けます。