母が目の前で土石流に 遺体見つかっても…土砂運び続ける日々

母が目の前で土石流に 遺体見つかっても…土砂運び続ける日々
大きな音を立てて自宅に流れ込んでくる土砂。

「おふくろ!」

男性の目の前で土石流に巻き込まれた母親が遺体で見つかったのは、それからおよそ2週間後でした。

今もなお、行方不明者の捜索が続く熱海の土石流。

「他の人に同じような思いをしてほしくない」

オリンピックの盛り上がりをよそに、男性は連日、現場から土砂を運び出し続けています。

(土石流取材班 記者 北森ひかり)

自宅にはおふくろが…

7月3日午前11時前。

外から突然、悲鳴が聞こえてきました。

草柳孝幸さん(49)は異変を感じ、慌てて自宅のほうを見ます。

斜面の上からは大量の土砂。

軽トラックや住宅も一緒に押し流されてきます。

自宅には母親の笑子さん(82)が残っていたはず。
笑子さんは、耳が悪く、いつも音量をかなり大きくしてテレビを見ていました。

この異変に気付いていないかもしれない。

草柳さんは10メートル先の自宅へ走り、裏口から叫びます。

「おふくろ!おふくろ!」

自宅はすでに草柳さんの顔の高さまで土砂で埋まっています。

必死で叫びましたが、室内から返事はありません。

すると、また大きな音がします。

上のほうから再び土砂が流れてくるのが見えたため、草柳さんは避難しました。
自宅を再度、土石流が襲います。

自宅は跡形もなく流され、笑子さんはそのまま行方が分からなくなりました。
草柳孝幸さん
「土砂の流れがちょっとでもずれていたら、俺も死んでいただろう。あのとき5分でも10分でも早く動いていたら、助けられたのに。まさかこういう事態になるとは思っていなかったから」

甚大な被害 母親を捜すこともできない

静岡県熱海市で起きた大規模な土石流。

伊豆山地区では多くの住宅が巻き込まれ、多くの人が行方不明になりました。

しかし、捜索活動は困難を極めます。

市や警察も、安否が分からない人が、土石流に巻き込まれたのか、連絡が取れないだけなのか分からず、行方不明者の正確な人数を把握することさえできません。
現場周辺は二次災害の危険性があり、立ち入りが規制。

母親が巻き込まれた可能性が高いのに、現場に捜しにいくこともできない。

少しずつ差し替わる行方不明者の情報を、もどかしい気持ちで見ていることしかできない。
草柳さんは、笑子さんが当時着ていた服装、体型や髪型などの特徴を警察に伝えて、発見の知らせを待ちました。
草柳孝幸さん
「正直、家が流されるのを見ているから、生きているとは思えなかったけど、なんとか無事でいてほしい。自分が捜索に行けないのがもどかしい」

“じっとできない” ダンプカーで土砂を運び出し

その翌日の7月6日。

草柳さんはダンプカーを運転していました。

救出活動に加われない代わりに、現場の復旧作業にあたるためです。

ダンプカーの荷台に土砂を載せ、現場と土砂置き場を何十回も往復。

早朝5時半から日が沈むまで土砂を運び続けます。

もともと建設関係の仕事をしていた草柳さん。

会社からは仕事を休んでゆっくりするよう言われていましたが、じっとしているわけにはいきませんでした。

“おふくろに会いたい” 

その一心で、みずから作業に携わりたいと申し出ました。
草柳孝幸さん
「何もしないで避難所にいるといろいろ考えてしまうのもあって。もうこんなに日もたったから、ちゃんとした形では会えないかもしれない。それでも早く見つけてあげたい。会いたいよね。おふくろだけじゃなくてさ、ほかにも見つかってない人がたくさんいるから」
天候が安定しない中、警察や自衛隊などによる行方不明者の捜索は、たびたび中断しました。

「おふくろはここで自宅が流されていなくなっている。自宅のすぐ近くにいると思う。ここを探してくれないか」

消防に直接、早く見つけてほしいと訴えたこともありました。

重機を投入することが難しい現場では、バケツなどを使って手作業で土砂の運び出しが行われ、捜索活動は思うように進みません。
1日も早く捜索が進んでほしい。

草柳さんはそう願い続けました。

母親は自宅のすぐそばで…

7月16日。

笑子さんが見つかったと草柳さんに連絡がありました。
場所は、自宅のすぐ近く。

発生からすでに13日がたっていました。

DNA鑑定で身元が分かったといいます。

もうちゃんと母親の顔を見ることはかなわないかもしれない。そんな考えが頭をよぎります。

遺体安置所で笑子さんと対面。

「おふくろだ」

口元を見て、一目で笑子さんだと分かったといいます。

ようやく見つけることができた。

安堵するとともに「助けられなくてごめん」という後悔の思いが押し寄せてきました。
4人きょうだいの末っ子の草柳さん。

10代のころはやんちゃしたこともありました。

それでも笑子さんは怒りながら、受け止めてくれる大切な存在でした。
草柳孝幸さん
「笑子って名前だけど、名前のとおりで、よく笑う笑顔が似合う人。食堂で働いていたこともあって、料理上手だった。何でもおいしかったけど、俺がいちばん好きだったのはみそ汁。おふくろのみそ汁よりおいしいのはないね。大根、豆腐、ねぎ、わかめとか具だくさんで。仕事が遅くなって帰って食べていたのを思い出す」
土石流が起きる前日、7月2日の昼。

「雨がすごいな」と言うと、笑子さんは「気をつけなよ」と返してくれました。

それが、最後に聞いた笑子さんの声でした。

母親が見つかっても終わりじゃない

草柳さんは避難所を出て、新たに借りたアパートで生活を始めることにしています。

伊豆山は生まれ育った大切な場所ですが、自宅を再建するつもりはありません。

あの日の光景を思い出してしまう。

母親の命が奪われた場所で生活していくのは、心情的に難しい。

それでも草柳さんは、母親を見送った翌日から再び現場の復旧作業に入っています。
今回の土石流では、7月28日の時点で、22人が死亡し、5人が行方不明となっています。

オリンピックに注目が集まる中、行方不明者の捜索は今も続いています。

残された家族は、自分と同じようなやりきれない気持ちを抱えているはず。

立ち止まる時間はないと思っています。
草柳孝幸さん
「同じ立場だったから、痛いほど気持ちが分かる。ほかの人たちも1日でも早く見つかってほしいよ」
草柳さんは厳しい暑さの中、きょうも現場で土砂を運び続けています。
大阪拠点放送局 記者
北森ひかり
平成27年入局
去年まで静岡放送局で勤務。異動で現所属。熱海はかつて取材で何度も訪れていて、土石流発生当日から現地を取材。