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“お兄さん”は僕のせいで行方不明に あるウイグル男性の後悔

ふるさとで暮らす父親とはある日、突然、連絡がとれなくなりました。親戚は次々と拘束されました。そして大好きな“お兄さん”は、自分のせいで行方不明になったのかもしれません。
ふるさとでいったい何が起きているのか。本当のことを知るため、男性はこれまでに起きたすべてのことを打ち明けることにしました。(国際部記者 栄久庵耕児)

次々に姿が消えた家族

いちばん最初は4年前(2017年)にお父さんが捕まえられました。そのあとは、おじいさんとおじいさんの息子たち、それにおばあさんも“施設”に連れて行かれました
男性は悔しさをかみしめるように話しました。高齢だった祖父は“施設”から帰ってきたあと体調を崩してしまったといいます。

そして、久しぶりにビデオ通話で見た父親は、自分の本当の父親かどうかを疑うほど痩せ、大事にたくわえていたひげもきれいに剃られていました。家族に会いたい。何が起きているのか知りたい。強くそう思っていますが、ふるさとに帰ることもできず、もどかしさを感じ続けています。

心から笑えた、ふるさと

ムハラム・ムハンマドアリさん(28)は中国西部の新疆ウイグル自治区に生まれました(※)。
父親はイスラム教の指導者で、敬けんなイスラム教の家庭に育ちました。毎月のように訪れた祖父母たちの家で過ごした時間。それは大勢の親戚と一緒に心から笑い合える幸せなひとときでした。
(※新疆ウイグル自治区:人口およそ2500万のほぼ半数が少数民族のウイグル族で、その多くがイスラム教を信仰)

中でも慕っていたのは4歳年上の叔父、アブドゥラフマン・ムハンマドさん。小さな頃から「お兄さん」と呼んできました。お兄さんはウイグル族の歴史やイスラム教のことをよく話してくれました。何でも知っているお兄さんはムハンマドアリさんにとって憧れの存在でした。

地元の中学を卒業後、親元を離れ中国沿岸部にある高校へ進学しましたが、休みのたびにふるさとへ帰りました。お兄さんたちと一緒に民族の歴史を語り合うのが楽しみだったからです。
“お兄さん”(左)とビデオ通話するムハンマドアリさん

突然始まった異変

そんなふるさとに異変が起き始めたのはムハンマドアリさんが大学に通っていた時のことです。

沿岸部の大学に進学したムハンマドアリさんは、これまで通り頻繁に地元に帰っていましたが、ある時、駅で突然、警察官に呼び止められました。そしてパソコンの中身をチェックされました。

父親と歩いていると警察に職務質問されるようにもなりました。

そして4年前(2017年)になると、街の様子が目に見えて変わっていきました。至る所に設置された監視カメラ。各地で開かれる中国共産党をたたえる集会。こうした中、友人や親戚は口々にあることを言うようになります。
ウイグル族が“学校”でトレーニングを受けさせられ、戻ってこない
新疆ウイグル自治区での監視カメラ
ムハンマドアリさんは文字どおりの意味ではないことはわかっても、何が起きているのか想像すらできませんでした。

消えた父親

同じ頃、ふるさとから離れて暮らすムハンマドアリさんに定期的にかかってきた父親からの電話が、突然、来なくなりました。母親に電話をすると何も教えてくれませんでしたが、お兄さんからメールが送られてきました。
お前のお父さんが行方不明になった
その意味をすぐに理解することができませんでした。ついこの間まで電話で話していた父親。お兄さんにどういうことなのか何度も聞きましたが、それ以上の情報は持っていませんでした。
ムハンマドアリさんの父親
何の情報も得られないまま半年ほどが過ぎたある日、父親から1通の手紙が届きます。そこには「騒乱挑発罪」という罪で実刑判決を受け、今は刑務所にいるとだけ書かれていました。

ふるさとを離れる決意

その後もお兄さんからは頻繁に連絡があり、叔父やいとこ、それに祖父母など合わせて9人が“トレーニング”を受けるため、次々と“学校”に連れて行かれたことを教えてくれました。

何か大変なことが起きている。なんとかして何が起きているのか確かめたい。ムハンマドアリさんは中国国内のインターネットの規制をかいくぐり、海外メディアの記事を見つけることができました。
大勢のウイグル族が宗教や民族を理由に当局の施設に不当に収容されている疑いがある

共産党をたたえる歌や政治学習を強制されていた
そこに書かれていたのはウイグル族に思想教育が行われている疑いがあることや、それを裏付けるような収容所に拘束されたという人たちの証言でした。ムハンマドアリさんはこのとき初めてふるさとで起きていること、自分のまわりで起きていたことを理解することができました。

一方で自分たちがウイグル族だというだけで思想教育を受けさせられているのかもしれないということに強い恐怖感を覚え、ふるさとにはもう戻れないと思うようになりました。
新疆ウイグル自治区でのムハンマドアリさん
ムハンマドアリさんは働いていた中国に拠点を置く企業をいったん辞め、日本にある関連企業への就職を希望し、3年前(2018年)の9月、日本に渡りました。

日本にいても募る不安

しかし、ムハンマドアリさんは家族を置いてきたことへの罪悪感を拭うことができませんでした。拘束されている父親や親戚を残して日本に来てしまった。そんな思いが頭から離れることはありませんでした。

だから、なんとか家族とつながっていたい。ムハンマドアリさんは中国当局に連絡をして、刑務所にいる父親とふるさとにいる家族がビデオで通話できるよう訴え、当局も認めました。

ただ、画面に映し出された父親を見てことばを失いました。
やせ細り、信仰心からたくわえていたひげを剃られた父親。「元気にやっている」と短く答えるだけでした。中国当局の監視の下では本心を聞くことはできませんでした。
刑務所にいる父親と家族がビデオ通話

お兄さんが唯一の頼り

一方、お兄さんからの連絡は途絶えることはありませんでした。家族が口を閉ざす中、お兄さんだけが頼りでした。ある時、お兄さんから送られてきたメールに3通の手紙の写真が添付されていました。

それは、施設に収容された祖父母や叔父が家族宛に書いたとされる手紙でした。その中には次のように書かれていました。
施設にいる祖母が書いたとされる手紙
以前、巡礼に行ったことが原因でトレーニングセンターに来ました

(施設の)先生は私の過去の行動が間違っていたことを気付かせてくれました

施設で受けた講義は過激な宗教のイデオロギーが悪質であると教えてくれました
どの手紙にも書かれていたのは、共産党への感謝のことば。信仰心のあつい祖父母たちが本心で書いたものではないということはすぐにわかりました。祖父母たちの顔が思い浮かび、胸の奥が強く締めつけられました。

一方、この手紙が施設の実態を示す貴重な資料だと考えたムハンマドアリさんは、今起きていることを理解してほしいという思いから、ウイグル族の情報を集めている人物に提供します。

自分のせいで、行方不明になったお兄さん

しかし、このことが思わぬ事態につながってしまいます。

提供した手紙は、名前などの個人情報を伏せずにインターネット上で公開されてしまったのです。ムハンマドアリさんがそのことを知って不安を募らせているとお兄さんからメッセージが届きます。
“お兄さん”から届いたメッセージ
警察から連絡があり、家族のことをインターネットで誰かに伝えたかどうか聞かれたよ。君しか知らないはずだけど
ムハンマドアリさんは自分のせいで手紙がインターネット上に公開されてしまったことを正直に言うことができませんでした。

このメールを最後にお兄さんからの連絡は来なくなりました。何度も何度も電話をかけましたが、つながることはありませんでした。

本当のことを知るため、すべてを打ち明ける

お兄さんと連絡が取れなくなってから2年。

日本で暮らすムハンマドアリさんは、今、自分の名前や顔を公表して、これまで家族や親戚に起きたことを証言しています。

実名で活動することで、2度とふるさとには帰れないかもしれない。ふるさとにいる家族や親戚が危険にさらされるかもしれない。それでも活動を続けるのは自分のせいで行方がわからなくなってしまったお兄さんに関する情報がどうしてもほしいからです。
証言するムハンマドアリさん
お兄さんと連絡が取れなくなってからずっと自分を責め続けています。自分がしたことを思うと悔しくてたまりません。でも後悔しているだけでは何も変わらない。

ただ、これまで寄せられた情報はありません。祖父母たちは施設から出てきたと聞きましたが、お兄さんがいなくなったことで、どんな状況にあるのか、手がかりがつかめない状態が続いています。
“お兄さん”(左)と ムハンマドアリさん
それでもムハンマドアリさんはお兄さんともう一度話すために、そして家族が再び笑顔で集まれる日が来るために諦めずに証言を続けたいとしています。

新疆ウイグル自治区をめぐって

ウイグル族の問題をめぐっては施設に収容されたという人たちが「愛国教育を強制された」「虐待された」などと告発するケースが相次いでいます。

アメリカ政府や国際的な人権団体は、2017年以降、100万人以上のイスラム系の住民が当局の収容施設に不当に拘束され、思想教育などを強要されていると批判を強めています。

これに対して中国政府は、収容施設とされる場所は宗教過激主義の束縛から脱け出すための教育訓練施設で、入所者の身体的な自由は制限していないと主張しています。

日本で暮らすウイグル族の中には、ムハンマドアリさんのようにふるさとにいる家族との連絡が途絶えている人が少なくありません。少しでも実態が明らかになるよう取材を続けていきたいと思います。
国際部記者
栄久庵 耕児
2009年入局
松山局・盛岡局
横浜局を経て現所属
中国の取材を担当

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