WEB特集

スティーブ・ジョブズ in 京都

ことし10月5日で、亡くなってから10年になるスティーブ・ジョブズ。
マッキントッシュ・コンピューターからiPhoneまで、IT分野のフロントランナーとして世界を変えたジョブズは、禅や和食などの日本文化に深い関心を持っていた。
そして、時折、家族と古都の京都を訪れていた。
ジョブズに京都はどう映っていたのか。その素顔に接した人たちを取材した。
(国際放送局 World News部記者 佐伯健太郎)

“心を動かされた”龍安寺

ジョブズが京都に来ると、必ず指名していた運転手の大島浩さん。
いまは個人タクシーを営業しているが、当時は、法人ハイヤーの運転手だった。
ジョブズのお気に入りだった運転手の大島浩さん
ジョブズは京都を訪れると、老舗の俵屋旅館に1週間ほど滞在した。
「料理とスタッフのおもてなし。それに、玄関を入ったらもう別世界」と、とても気に入っていたという。
大島さんは、京都の案内役として、ジョブズが亡くなる前年の2010年まで、25年ほどの間に4回の旅行に付き合った。

ジョブズは大島さんを「ヒロ」と呼んでいた。
「アメリカに来たら遊びに来い」と、自宅の住所と電話番号も渡していた。
いつのまにか大島さんは、「ミスター・ジョブズ、そのうちアップルの製品に、『ヒロ』と名前をつけてください」と、冗談も言える間柄になっていた。
ジョブズの京都での観光は、日によって、南側をまわるとか東側をまわるとか、おおまかに決める程度で、きちんとしたスケジュールは立てなかった。
妻のローリーンからは、「夫が何を言っても対応してくださいね」と頼まれていた。
清水寺、金閣寺、銀閣寺、伏見稲荷にも行ったが、ジョブズが特に気に入っていたのは、禅寺の龍安寺だった。
龍安寺
石や砂で自然や宇宙を表現した枯山水の庭に特に関心を示し、ジョブズは大島さんと合わせて3回訪れた。

ジョブズの「自伝」には、次の言葉が残っている。
「仏教、とくに日本の禅宗はすばらしく美的だと僕は思う。なかでも、京都にあるたくさんの庭園がすばらしい。その文化が醸し出すものに深く心を動かされる。これは禅宗から来るものだ」
大島さんは、なんでも答えられるように、ジョブズにつかず離れず同行し、龍安寺を初めて案内したときは庭について説明した。
ジョブズの京都の案内役 大島浩さん
大島さん
「庭には15の石があるだけです。しかし、15の石はどこから眺めてもすべてを見つけることはできません」
それを確認するように、ジョブズは2、3か所、場所を変えて眺めてみたが、15の石をすべて見つけることはできなかった。

続けて大島さんは、「日本では15というのは大事な数字です。昔は、男子は15歳で元服しました。十五夜というのは満月のことで、完成された数字のことです。この庭では、15の石を探そうとしても、13か14しか見つからない。私たちがまだ完成される前の姿だということです」と説明した。

ジョブズは「うん、そうか」と大島さんの話に聞き入り、庭を静かに眺めて考え事にふけっているようだったという。
後年、息子や娘を連れて訪れたときにも、同じ説明を聞かせていた。
龍安寺
取材の際、大島さんに教えてもらった。
実は、15の石がすべて見える位置がある。
写真では切れているが、右端の柱あたりに立って石を数えてみると、すべて探すことができる。

さすが、世界のCEO!

ジョブズが亡くなる前年の2010年7月の最後の京都旅行のとき、車が南禅寺界隈の高級別荘街に入った。

ジョブズが「ここはどこ?」と聞くので、大島さんが「野村別邸です。ただし、一般の人は入れません」と答えた。
野村別邸 碧雲荘(普段は非公開)
野村別邸は、野村証券などの創業者で実業家の野村徳七が、大正から昭和にかけて作り上げた数寄屋造りと庭のある別荘だ。

ジョブズはその場で、「いや、ひょっとしたら入れるかもしれないから電話をしてみる」と言って、車内でアメリカにいる秘書に連絡を取った。

すると、その10分後に大島さんの携帯電話が鳴った。
それは野村証券の本社からで、「ジョブズ様のご予約は、あす午前10時に取れております」と言われた。大島さんはびっくりした。
翌日、野村別邸に行くと、責任者と通訳ガイドが待っていた。
1時間後、車に戻ってきたジョブズは、「ああいう庭がほしいなあ」と話していた。

ジョブズは京都について、大島さんにこう話していたという。
京都には本物がある。歴史が長く、目立たないものでも、ディテール(細部)に凝った本物がある。日本の建築、木工品、アートにしても、ディテールがものすごく凝っている。ディテールにこだわっているところがすごい

「永平寺に行きたい」

同じ旅行のとき、ジョブズが急に、福井県にある曹洞宗大本山の永平寺に行きたいと言い出した。
所要時間を聞かれたので、大島さんが「車だと片道4、5時間かな」と答えると、ジョブズは「プライベートジェットだったら どれぐらいだ」と畳みかけて聞いてきたので、大島さんは苦笑いしながら、「いや~、飛行機は寺には止められない」と答えた。

結局、永平寺までは長時間かかるため、ジョブズは体への負担も考えてとりやめにした。
ただ、大島さんは、「あのとき、永平寺へ行ったらよかったんじゃないか」と後悔しているという。
実は、初めて会ったとき、ジョブズが「俺は禅宗だ」と言うので、「それは臨済禅か、曹洞禅か、黄檗禅か」とたずねると、「曹洞禅だ」と答えた。
龍安寺、野村別邸、そして、果たせなかった永平寺行き。
ジョブズの禅宗への深い思い入れを物語るエピソードだ。

“Mochi mochi”

ジョブズについて、大島さんが最も印象的だったのは、食べ物にまつわることだ。
ジョブズにとって、そばというと、俵屋旅館近くの老舗の「晦庵 河道屋」(みそかあん かわみちや)でなければダメだった。
だが、最後の旅行で、大島さんはジョブズに、ほかのそば屋を勧めて連れて行った。
そこは、京都らしい雰囲気の店なので、大島さんが「満足してくれたかな」と車内で待っていると、店から出て来るやいなや、「いつものそば屋へ行ってくれ!」と言われた。
「何が気に入らなかったの」と聞くと、ジョブズは「そば巻きののりが違う。のりの味が良くない。だから、もう一度あそこで食べ直したい」と言った。
ジョブズが好んだ天ざる・そば巻き
ジョブズは、そばと共に、おつまみのそば巻きも大好きで、「マキ、マキ」と呼んでいた。
ジョブズがのりのことにまでこだわっていたので、大島さんは「日本食のことはかなり詳しいんだな」と感心した。
こんな愉快なエピソードもある。
25年ほど前の最初の旅行のとき、大島さんが迎えに行くと、ジョブズが車に乗り込んでくるなり、「ヒロ、モチ屋へ連れて行ってくれ」と頼んできた。
「朝のジョギング中に見つけたので、そこへ連れて行ってほしい」と。

ジョブズが繰り返し、「モチ、モチ」と言うので、大島さんがふつうの「餅」かと思っていたら、中にあんこが入ったものだという。

数多くの和菓子店がある京都市内を、大島さんが車でうろうろして走っていると、ジョブズが南座近くで「あそこだ、あそこだ!」と叫ぶので車を寄せて止めた。
大島さんの予想に反し、そこは和菓子チェーン店「おはぎの丹波屋」だった。
ジョブズは大福を10個買い、プラスチックケースに入った大福を手にしてニコニコしながら戻ってくると、車内でパクついた。おいしそうに、あっという間に5つ食べた。5つ残っていたので、大島さんが1つぐらいは勧められるかと期待して「残ったのはどうするの?」と聞くと、ジョブズは「部屋に持ち帰って、僕がみんな食べる」と答えた。
大島さんはほかの和菓子店も案内した。
しかし、ジョブズが「そこにモチはあるか」と聞くので、「いや、上菓子の店だからモチは置いてないよ」と答えると、「それだったら、行かなくていい」と。
大福のときのようにはパクついてこなかった。

大福のあんこなのか、餅っぽい感触が好きだったのかは分からないが、大島さんは「とにかく、大福が大好きだったみたいです」と笑いながら話す。

「なんで、アップルストアがないんだ!」

大島さんの車に乗るとき、ジョブズはいつも助手席に座り、いろいろな表情を見せた。

車内のBGMは、ジョブズが好きだったビートルズの曲を流していた。
一度、ビートルズの曲のクラシック版をかけた。
だが、曲が流れ出した途端、ジョブズが言った。
「すぐ消してくれ! これはフェイクだ。本物のビートルズじゃない!」
車内からいろいろな物のデザインも見ていた。
車が信号待ちをしていたとき、前の車がコンパクトカーだった。
大島さんがその車のデザインを「あれ、いいですね」とほめると、ジョブズは「僕は嫌い」と応じた。
「なぜ?」と聞くと、即、「デザインが気に入らない!」と答えた。
一番おもしろかったというのが、このエピソード。
京都の中心部を歩いていたとき、ジョブズが聞いてきた。
(ジョブズ)「京都にアップルストアはどこにあるんだ

(大島さん)「京都にはないですよ

(ジョブズ)「なんでないんだ!」いきなり怒り出した。

(大島さん)「私に理由を聞かないでください。日本のアップルストアに聞いてくださいよ。それよりも、自分で建てたらいいでしょう
Apple京都(京都市下京区)
京都のアップルストアは2018年にオープンした。
大島さんが言った。「だいぶ時間かかりましたけどね」

最後の寿司

ジョブズは、日本のことがとても好きだった。
最後の京都旅行のとき、ジョブズは大島さんに、前年の12月に肝臓移植の手術をしたあと、体の調子が良くなったと明かしたうえで、「だから、もう一度日本に行きたい。京都に行きたいと思って来たんだ」と、とても喜んでいたという。
その旅行の最終日。
ジョブズは、大島さんにすし屋を予約してもらい、妻ローリーンと娘エリンの3人で名店「すし岩」を訪れた。
店主の大西俊也さんが英語を話すので、外国人もよく訪れる店だ。
あの歌手のマドンナも訪れたことがある。

大西さんは連絡を受けただけで、誰が来るのかは分からなかった。
店に入ってきた男性はかなりやせていたため、大西さんはすぐジョブズとは分からず、あとからびっくりした。
ジョブズが座った席は、すし屋ではいつもそうしていたように、カウンターの一番奥。
妻と娘はコースを注文したが、ジョブズは「僕はすしが好きだから、すしだけをにぎってほしい。あなたが勧める旬のおいしいものをにぎってくれたらいいよ」と注文した。

大西さんは、まず、関西らしい白身のヒラメをにぎり、イカ、エビとにぎっていった。

ジョブズは家族に気をつかうとてもいい父親で、大西さんに「京都の隠れたいい情報はないか」などと聞きながら、楽しく会話をしていた。
このとき青森県大間のマグロが入っていたので、大西さんがトロを出したところ、ジョブズが急に話さなくなった。

2、3分黙っていたので、大西さんが「どうかしましたか?」と声をかけると、「このあと、何をにぎってくれるの」と聞くので、「いま、ちょっと考えているんです」と答えた。
すると、ジョブズは、「僕は、あとはトロだけでいいから、ストップと言うまで、ずっとにぎってくれ」と注文してきた。大西さんは、ジョブズがストップをかけるまで、トロを立て続けに合わせて6貫にぎった。それは、トロの中でも、特に脂がのった、スジがなく、食べやすいと人気のある「カマ」という希少な首の部位だった。
出すたびに素早く口にするジョブズの食べっぷりは、大西さんに強烈な印象を残した。
上機嫌だったジョブズは、大西さんのサインの依頼にも、「娘さんのお名前はなんていうの?」と気軽に応じた。
ただ、ジョブズが店を出るとき、大西さんが「次回もお願いします」と名刺を渡したときの答えはショッキングだった。
最後の京都旅行と同時期のジョブズ(2010年7月)
ジョブズは、「実は、京都にはもう来られないかもしれない。僕はすごく大きな病気をしていて、体調もあまりすぐれない。だから、もしかしたら、京都に来るのは、これが最後になるかもしれない」。
その言葉どおり、これが最後の京都旅行となってしまったが、店から出たジョブズは大島さんの車に乗り込むと、「人生で初めてこんなおいしい寿司を食べた!」と絶叫した。

車を走らせ始めた大島さんが、「3時間も何を食べていたの?」とたずねると、ジョブズは「トロを6つ」と答えた。
大島さんが「それだけ?」と聞くと、ジョブズは「そう」。

「どんなよいことにも…」

「すし岩」には、このときのジョブズのサインが壁にかかっている。
“All good things.”
直訳すれば「すべての良いこと」だが、
これは “All good things must come to an end.”
「どんなよいことにも終わりがある」ということわざの一部でもある。
「良いことはいつまでも続かない」という意味だ。

大西さんは、「ジョブズさんは自分の死期を悟っていたのか、全てを書かずに、この言葉だけを残したことが印象に残りました」と話す。

禅に親しんでいたジョブズは、「幸せの時間は短く、すぐに過ぎる。人の世は無常だ」と言いたかったのかもしれない。
その6年後、このサインを見て、「なんで、ここにこんなものがあるんだ!」と、とても驚いた人物がいる。
ジョン・スカリー。
ジョブズの誘いで1983年にペプシコからアップルのCEOに就任し、2年後、経営方針の違いから、ジョブズを追放した人物だ。
ジョブズ と ジョン・スカリー(1984年1月)
ジョブズがサインに応じることは滅多になく、アップルの社員さえ目にすることはまれだという。

大西さんがサインについての経緯を説明すると、スカリーはとても感激し、その場でこう言って号泣したそうだ。
スカリー
「いまでは僕もジョブズもビジネスの第一線をリタイヤして、彼の好きな店で、彼の好きなすしを食べながら、いい話ができて、いい時間を送れたかもしれない。でも、彼は天国へ行ってしまって、もういないんだ」
国際放送局
World News部記者
佐伯 健太郎
1987年入局
秋田放送局、マニラ支局
八戸支局、水戸放送局
などを経て現職

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