祝祭感なき祭典の幕開け ~コロナ禍の東京オリンピック~

祝祭感なき祭典の幕開け ~コロナ禍の東京オリンピック~
「延期」「中止」「逆風」「無観客」。
東京オリンピックをあらわすために並ぶネガティブな言葉の数々。史上初の1年延期を経て23日、開幕した東京オリンピックは、かつての“熱狂”や“祭典”のイメージとはほど遠い。
そんな異様な雰囲気の中で、競技はスタートし、主役であるアスリートたちはすでに動き始めている。かつてない空気感の中で迎える大会では、喝采は得られないかもしれない。57年ぶりに東京で開催されるオリンピックは、アスリートにとって、私たちにとって、いったい何をもたらし、未来に何を遺すのだろうか。

(スポーツニュース部 記者 今井美佐子 国武希美 田谷亮平 今野朋寿)

異例の大会を象徴する開会式

23日に開催された東京オリンピックの開会式。満員の歓声が響くはずだった国立競技場の観客席には1人の観客の姿もなかった。

史上初めての延期、そしてほとんどの会場を無観客にしての開催。

開会式は、かつての大会では満員の観客の歓声と熱狂に包まれた、まさに“祭典”の始まりを告げる象徴的な式典だった。
しかし、観客のいない東京大会の開会式は異例続きの、この大会をあらためて感じさせるような光景だった。

無観客で幕を開けた競技

午前中なのに息苦しいほどの熱気が顔を覆う。

開会式の2日前、東京オリンピックの33競技の先陣を切ってソフトボールの開幕戦、日本対オーストラリアの試合が行われた。

復興五輪を象徴するため、開幕戦の会場に選ばれたのは福島市の県営あづま球場。しかしスタンドには、関係者以外の姿はなく、選手たちのかけ声と蝉の鳴き声が響く。

試合は、エース・上野由岐子の好投とホームラン3本を含む打線がかみ合った日本が快勝した。上野は試合後、無観客について語った。
ソフトボール 上野由岐子投手
「すごく残念な気持ちが大きい。2018年世界選手権の決勝では、スタンドからのコールでどれだけ背中を押してもらったか。その声援に応えられなかった悔しさは忘れていない。だからリベンジすると望んだ大会でもあるので、大声援がないのは正直さびしい。ただ、選手としてやるべきことは変わらない。がむしゃらに必死にやっている姿を福島の地に残したい」

復興五輪 地元の人々は

会場内ですれ違うのは、警備員、ボランティア、同業のメディア関係者。その会場で目を引いたのは、外周に並べられたアサガオの列だ。
おもてなしの気持ちを込めて地元の小学生が育てたという。

「コロナに負けるな 全員がんばれ オリンピック」
「あきらめない いっぱいゆうきをだしてがんばるぞー」

会場を訪れることができない子どもたちが鉢に添えたメッセージが、静かにアスリートたちを迎えていた。
試合のあとの帰り際、真っ黒に日焼けした医療ボランティアの男性に出会った。福島県会津若松市から参加している男性に無観客をどう受け止めているのか尋ねてみた。
医療ボランティアの男性
「やっぱりお客さんに入ってほしかったですよ。でも、複雑ですよね、私たちは忙しくないのがいちばんいいわけだから」
真夏の太陽の下、気温30度を超えたこの日、取材中のカメラマンが体調不良を訴えたという。観客がいれば同じような体調不良者はもっといただろうし、コロナの対応に追われる地元医療に負担をかけたかもしれない。
医療ボランティアの男性
「私は8歳の時に東京オリンピックをテレビで見たんです。その時の記憶は今でも脳裏に焼き付いている。学生や子どもたちには、会場で見て、そういう経験をしてほしかったというのが正直なところです」
開幕戦を視察した大会組織委員会の橋本会長は、その日の夕方、復興をテーマに記者会見を開いた。
大会組織委員会 橋本聖子会長
「やはり見ていただきたかったなという思いは正直ある。特に子どもたちは成長の段階で感性が大人以上にあると思うので、オリンピックを直接見ることがいかに将来の形成に重要かと思っている」
名残惜しそうな表情を見せたが、次の瞬間、表情を引き締めてこう続けた。
大会組織委員会 橋本聖子会長
「有観客にすることによって、このあと大変な状況になれば、地元の皆さんに申し訳ない。だから無観客を決めたことは、当然それでよかったと思っている。のちのち、そういう形でやった東京大会だったからよかった、と思っていただけるような取り組みが重要だ」
開幕の地となった福島には、戸惑いながらも価値あるものにしようと奮闘している人たちの姿があった。

オリンピックの顔 出場選手は何を思うのか

大会の主役である選手たちの思いはどこにあるのか。

2大会連続で個人総合の金メダルを獲得した体操界のレジェンド、内村航平。「東京オリンピックは、人生最大の目標」と語っていた内村は、肩の痛みなどの影響から今大会では種目別の鉄棒1本に切り替えて、出場を決めた東京オリンピックにかける人一倍の思いを隠すことなく明らかにしてきた。

しかし新型コロナの影響で、東京オリンピックを取り巻く環境は激変し、人々の“オリンピック”に対する見方も、かつての大会とは変わっていった。
去年11月、内村は体操の国際大会で世界に訴えた。
「“できない”ではなく、“どうやったらできるか”をみなさんで考えてほしい」
人生をかけてオリンピックを戦ってきたアスリートが批判を覚悟のうえで、心からの訴えを口にした。それに対し容赦ない批判の声が浴びせられた。
「スポーツなんてやっている場合じゃない」
「スポーツ選手のエゴだ」

“望まれない”逆風の中で

そんな声が徐々に聞かれ始める中で、内村の心の中にもオリンピックの開催の可否について変化が起きていた。
「僕たち選手に変える力はない」
自分と向き合うなかで、たどり着いた思いがある。
「体操が好き。オリンピックを目指す立場としては大会があるかないかは、かなり大事な問題だが、そもそも僕は好きで体操を始めて、ここまでやってきた。体操選手として、今、目の前の練習と試合に全力でやるだけ」
新型コロナに苦しむ人や、大会の中止を求める人たちが大勢いることは知っている。不安も理解できる。

それでもー

暗い世の中に光を与えてほしいと思う声もきっとある。
さまざまな思いの中で内村がたどりついた原点は“自分ができること”。
目の前の演技にベストを尽くす。そう決めてからは、もっと体操が好きになった。

6月、4大会連続のオリンピック出場を決めた内村は、金メダル獲得ではない、心の底からのオリンピックの目標を語った。
「笑っていたい。シンプルに。演技を終えて着地をした時、笑っていたいです」
希代のアスリートが、会心の演技のあと見せる笑顔は、コロナで疲弊する社会にさす、一筋の光になる。そんな希望を感じる、すがすがしい言葉だった。

オリンピックにかける思いは選手だけでなく

大会に特別な思いを込めるのは選手だけではない。
中村輝晃クラーク(32)は開会式の入場行進で各国や地域の選手たちを先導する「プラカードベアラ-」を務めた。
アメリカンフットボールの社会人リーグで活躍するトップアスリートでもある中村は、ある思いを胸に開会式に臨んでいた。
料理人の父の仕事の都合でフランスで生まれた中村。両親ともに日本人だが、現地の学校に通ってその文化に溶け込んで育った。
しかし、11歳のときに日本に帰国すると、読み書きが十分にできず、授業についていけず苦しんだ。

そんな中村の運命を変えたのが、高校生の時に出会ったアメリカンフットボールだった。大学の強豪、日大に進学すると中心選手として活躍して、社会人でも競技を続けて日本一にも輝いた。
みずからの経験からスポーツに恩返ししたいと考えたのだ。
プラカードベアラー 中村輝晃クラークさん
「今、仕事ができているのも、多くの人との出会いも、すべてスポーツがもたらしてくれた。厳しい状況とは理解しているが、少しでもお手伝いがしたかった。主役である選手たちが楽しく笑顔で入場してくれたのでほっとしている。選手が開催を楽しみにしていたという表情をしていたのが印象的だった。選手たちには自分の持っている力を存分に出して悔いが残らないように全力で戦ってほしい」
開会式で4つの選手団の先導を終えた中村は、グラウンドに向かって一礼した。
選手が最後まで無事戦い切ることができるようにという願いと、スポーツへの感謝が込められていた。

オリンピックへの希望語る主催者

57年ぶりに東京に聖火の火がともり、開幕した東京オリンピック。
大会を主催するIOC会長のトーマス・バッハは、去年11月に来日した時より体が一回り小さくなっているように見えた。いつもの陽気なジョークは影を潜め、ピリピリした雰囲気が漂っていた。

日本国内の感染再拡大や中止を求める世論、みずからに向けられる批判的なまなざしなど、取り巻く厳しい環境は十分感じていた。

そして、一貫して大会開催に向けた自信を示してきたバッハが、初めて大会が本当に開催できるのか疑念があったことも明かした。

それでもなお、オリンピックへの希望を語った。
IOC トーマス・バッハ会長
「今、世界は希望を求めている。だからこそ、今、開催することが世界へのポジティブなメッセージとなる。新型コロナという大変な状況を世界中が経験した中でも大会を開催することで日本の偉業を示すことができる。大会は希望と結束の象徴になる」

“東京”は一筋の光になるか

バッハが語る「希望」は、今の世界にはまだ見えない。コロナ禍のオリンピックは複雑な思いを持って、その開会式を目にした人もいるだろう。
開会式は、入場行進するアスリートたちのマスク越しでもわかる笑顔で幕を開けた。

1年延期を経てようやくたどりついた開会式は、やはりアスリートにとって特別な舞台だということを感じさせた。

オリンピックが、自粛と我慢を強いられ、分断が進む、この社会にさす一筋の光となるのか、17日間を見届けていきたい。
スポーツニュース部記者
今井美佐子
平成13年入局。東京大会組織委員会取材キャップ。スポーツクライミングや車いすテニスも担当。五輪取材は北京、バンクーバー、リオに続き4回目
スポーツニュース部記者
国武希美
平成22年入局。IOCを担当。コロナの前は年間半分、パリを拠点にヨーロッパのスポーツを取材。東京オリンピックの開会式、ピクトグラムのパフォーマンスにハマる
スポーツニュース部記者
田谷亮平
平成22年入局、釧路局と札幌局でウィンタースポーツの取材を経験して4年前から東京に赴任。主にJOCと体操、フィギュアスケートを担当。身長180センチ77キロ、O型
スポーツニュース部記者
今野朋寿
平成23年入局。岡山局、大阪局を経て去年から現所属でフィギュアスケートやゴルフを担当。一児の父として子育てにも奮闘中