東京オリンピック 大阪からの複雑な思い

東京オリンピック 大阪からの複雑な思い
7月23日に開会式が開かれる東京オリンピック。

新型コロナウイルスの感染の急拡大に歯止めがかからない状況に対して、多くの人たちが複雑な思いを抱える中での開催となります。

開催都市・東京から西に400キロ離れた大阪でも、ひとりひとりがこのオリンピックに様々な思いを持っています。

大阪から見た東京オリンピック、その“本音”を聞きました。

(大阪拠点放送局 取材班)

通天閣を“金色”にしたかったが…

「日本選手が金メダルを取ったら金色にするはずだったんです」

そう語るのは大阪のシンボル通天閣の運営会社の社長、高井隆光さんです。

オリンピック期間中はタワーを5色にライトアップし、日本選手が金メダルを獲得すれば金色にするプランを練っていたのです。
メダルラッシュとなれば、毎日のように金色に染まる通天閣が見られたはず…

しかし、新型コロナの感染が収まらない中でのオリンピックに、社長はやむなく中止を決めました。
通天閣の運営会社 高井隆光社長
「大阪から日本全体で盛り上げているよというようなところを表す象徴にしたかったんですけれども、開催という意見と反対という意見がある中、どっちの意見も正しいというか私たちも答えが出せない状況で。今、ライトアップするっていうのは控えておこうということで今回は中止にしました」

「勝者なき東京五輪」になるんじゃないか

緊急事態宣言で、6月下旬まで展望台の営業を休止していた通天閣。

足元の街・新世界では営業時間や酒類の提供時間の短縮要請により、シャッターを下ろしたままの店が少なくありません。

そうした中で始まるオリンピックについて、高井さんは「勝者なき五輪」という言葉で表現します。

今、高井社長が通天閣のビリケンさんに祈っているのは、飲食店や観光業の1日も早い復活です。
高井隆光社長
「観光業は耐え忍んで不安な日々を過ごしている。その中でスポーツの祭典であるオリンピックをやっていかねばならないというのは逆の方向というか。本当は応援して盛り上げたいが、盛り上がって人が動くと感染が拡大する可能性がある。そうすると我々の我慢が無駄になることにつながってしまう。無観客開催で経費的にも厳しく、感染拡大のリスクもある中『勝者なき東京五輪』になるんじゃないかと思います」

大阪の医療現場「メダルの数より感染者数」

第4波で破綻の危機に直面した、大阪の医療現場。

医師も複雑な思いを抱いて、オリンピックを見つめています。

大阪・東大阪市にある府立中河内救命救急センター。

山村仁所長は、去年2月から新型コロナの患者の治療の最前線に立ち続けています。
府立中河内救命救急センター 山村仁所長
「コロナがある程度落ち着いてきたら楽しめるかなと思うが、今の状況だと日本のメダルの数より、コロナの陽性患者数や重症の患者数、それに死者数の方が気になってしまう」

あの危機的状況を繰り返してはならない

背景にあるのは大阪の医療が破綻の危機に直面した第4波の経験です。

この病院ではこれまでにおよそ180人の新型コロナの重症患者を治療してきました。
しかし第4波の大阪では重症病床の運用率が100%を超え、この病院にも連日、患者の搬送依頼が相次ぎました。

確保したコロナ用の病床は常に満床の状態。

少しでも回復した人を別の病院に移して、病床を空けようとしましたが、受け入れを断らざるを得ない状況に陥りました。

「救急搬送の受け入れ要請を断らない」という山村さんの基本姿勢にも反する状況となった第4波。

中には適切なタイミングで必要な治療を受けられず、自宅療養やほかの病院などからセンターに搬送されてきたときには、すでに心肺停止だったケースもあったといいます。

第5波がオリンピックと重なることを危惧

そうした第4波のような事態を二度と起こしてはならないと、強く感じている山村さん。

今回のオリンピックの開催は、大きな感染拡大につながる可能性があると危惧しています。

感染力が強いインドで確認された変異ウイルス「デルタ株」が若い世代に広がり、感染者が増えているとみられる現在の状況。

山村さんは、今後、重症患者が増えることを懸念しています。
中河内救命救急センター 山村仁 所長
「第5波がオリンピックと重なった場合に、もちろん救急も発生するだろうし、コロナで病床がひっ迫すれば、一般診療ができなくなる可能性も考えられるので、また医療に負担がかかってくる可能性がある。スポーツなので、もちろん選手が頑張れば感動したり心に刻まれたりすることがたくさんあると思うが、静かに楽しんでほしい」

翻弄される選手たちが「私と重なる」

大会の開催に様々な声がある今回のオリンピック。

そうした中で、翻弄される選手たちが、自身の経験と重なるという人がいます。

大阪の聖火リレーの最終ランナーを務めた島津眞理さんです。
島津さんは元競泳バタフライのトップ選手。

1980年、当時17歳だった島津さんはモスクワオリンピック代表の有力候補でした。

しかし、最終選考会の直前、東西冷戦を背景に日本は参加をボイコット。

オリンピック出場の夢はかないませんでした。

夢を絶たれた島津さんは18歳で競技を引退。

大好きだった水泳からも距離をおきました。
島津眞理さん
「ボイコットした時は悲しかったし、つらい思いをしました。それまでいろいろ犠牲にしてきてなんだったんだろうという感じです。あの時はみんな泣いていました。当時は水泳から離れたいという思いでした。自分も泳ぎたくなかったし、水泳も見たくありませんでした」
国民から厳しい視線も向けられている今回の東京オリンピック。

島津さんは、選手たちの気持ちを気遣います。
島津眞理さん
「きっと選手たちはどこを目標にすればいいかわからず、モチベーションを高め、維持していくことはすごく大変だったと思います。何も決まらない中、自分はどうしたらいいんだと思いながら練習し、気持ちが揺れ動いたら競技への影響もあると思います」

ひたむきに練習する子どもたちを見て…

島津さんは、オリンピック出場がかなわなかったあと、その後開かれたオリンピックも見られなくなったといいます。

その島津さんが、もう一度オリンピックに向き合うきっかけをくれたのは子どもたちでした。

社会貢献をしたいと4年前から障害がある子どもたちに水泳を教えている島津さん。
ひたむきに練習する子どもたちと接する中で、夢をあきらめないことの大切さに気づかされたといいます。

夢を絶たれたモスクワオリンピックから41年。島津さんは聖火ランナーに応募し、大阪の最終ランナーを務めました。
島津眞理さん
「私がつなげた火が一つ一つつながれて、国立競技場にまもなくつくんだと思うと感慨深い」

こういうオリンピックは二度とない

開会式をはじめ、ほとんどの試合が無観客という、異例の形で行われることになった東京オリンピック。

島津さんは、その舞台に立つ選手たちに、声援を送ります。
島津眞理さん
「『これはこれ』と思って。こういうオリンピックは二度とないから、逆にこんなオリンピックに出られたんやという気持ちでやってもらいたいと思います。逆境の中、みんな頑張ってきたのでその選手たちがいろんな記録を出していくことを、私自身楽しみにしているし、私だけではなくたくさんの人が励みになり元気づけられると思います。努力は無駄にならないよっていうことを、子どもたちにも感じてもらいたいです」
大阪拠点放送局 記者
清水大夢
大阪拠点放送局 記者
井上紗綾
大阪拠点放送局 カメラマン
藤田大樹