登山道が消える!? 北アルプス登山に危機

登山道が消える!? 北アルプス登山に危機
「営業すればするほど赤字が増えてしまう」
「これ以上営業を継続できない」

北アルプスで山小屋を営む経営者の悲痛な声です。NHKが行ったアンケート結果からは、コロナ禍で山小屋の経営悪化だけにとどまらない大きな課題も見えてきました。
(映像センター山岳取材班カメラマン 岡部馨 奥田悠/ニュースウオッチ9ディレクター 安食昌義)

山小屋の7割“継続厳しい”

標高3000メートル級の山々が連なる北アルプスには、豊かな自然を求めて年間およそ850万人が訪れます。

多くの山小屋では春から秋にかけて登山者を受け入れていますが、去年は新型コロナウイルスの感染拡大を受けて休業したり、営業期間を短縮したりするなどの対応を余儀なくされてきました。

コロナ禍2年目のことし、本格的な夏山シーズンが始まるのを前に北アルプスの山小屋はどのような状況になっているのか。NHKではアンケートを実施しました。

調査では「北アルプス山小屋協会」に所属する96の施設に対して、経営への影響などを尋ねて、86の施設から回答を得ました。
まず、コロナの影響が継続した場合の経営の見通しについて尋ねると、
▽「数年以内に事業の継続ができなくなる」
▽「ことしは事業の継続が厳しい」
が合わせてほぼ7割にのぼり、多くの山小屋が経営的に厳しい状況に追い込まれていることが分かりました。

さらに、アンケートの自由記述欄からは、経営の悪化が「登山環境」そのものに影響を与えかねない結果も見えてきました。
「登山道整備を行っていくために必要な経費を捻出できなくなっている」
「山小屋が自腹を切って登山道の整備を行う体制は限界を迎えている」
「経費削減せざるをえない中で登山道に対してもこれまでのように人・モノ・カネを投入することは困難」
「登山道整備要員を確保する事が非常に難しい状況」
「登山道の維持が限界だ」との回答が多く寄せられたのです。

山小屋は、登山者に温かい食事や安全な寝床を提供するのが主な仕事ですが、実は役割はそれだけではありません。

登山道の維持、トイレの整備、遭難者の救助、自然の保護、学術調査への協力など、多岐にわたって公益的な役割を果たしているのです。

北アルプス内の登山道管理の実情は

今回、山小屋にアンケートを行った北アルプスはそのほとんどが「中部山岳国立公園」に指定されています。現在全国に34か所ある国立公園は、「自然の保護と活用」を目的に環境省が指定し、管理を行っています。

ただ、中部山岳国立公園内では、登山環境の整備の多くを民間の事業者である山小屋が担っているのです。

国が管理しているはずの国立公園で、なぜ民間の山小屋が登山道整備をはじめとする公益的な役割を担っているのでしょうか。
そこには北アルプスにおける登山の歴史が関係しています。昭和9年(1934年)、「中部山岳国立公園」は日本初の国立公園に指定されました。

北アルプスではそれ以前から、多くの登山者を受け入れるため、各地に山小屋があり、小屋に通じる登山道の整備を行っていたことから、国立公園の指定後も誰が登山道を維持するのかあいまいなまま、現在に至っているのです。

北アルプスで登山道の維持 限界に

それではなぜ今、登山道の維持が難しくなっているのでしょうか。
アンケートで、登山道整備の費用について尋ねると、
▽「費用の多くを山小屋が負担して整備している」が43%、
▽「費用の一部を負担している」が36%、
合わせて8割近い山小屋が登山道整備の費用を負担していることが分かりました。
さらに、コロナ禍の周辺登山道の状況について尋ねると、
▽「登山道を整備したが維持が難しい」との回答が36%、
▽「登山道が荒れて手つかずになっている」という回答も5%近くありました。

山小屋は、これまではみずからの収益の一部を使って登山環境の維持に努めてきましたが、コロナ禍で経営に打撃を受けた今、その費用が大きな負担になってきているのです。

「余裕なく危機的な状況」山小屋の苦境

厳しい経営が続くコロナ2年目の夏山シーズン。それでも登山道の整備を続ける人たちがいると聞いて、先月、同行させてもらうことにしました。

訪れたのは北アルプスの北部にある富山県の黒部渓谷です。

整備に向かったのは、阿曽原温泉小屋を経営する佐々木泉さんたち3人。くわや鎌、チェーンソーやロープなど、必要な資材を担いで山へ入ります。

案内されて進んでいくと、現れたのは登山道を塞ぐ大木でした。
佐々木さんたちは、周囲の地形や倒れた木の状態を確認しながら、慎重に取り除いていきます。

その後も道に覆いかぶさる枝を払ったり、崩れた道をくわでならしたり、大変な重労働が続きました。
こうした登山道の整備は、斜面の状態によっては、倒木の下敷きになったり、落石が発生したりすることもある危険な作業で、誰にでもできる仕事ではありません。安全に進めるためには長年の知識や経験、そして体力が必要です。

佐々木さんによると、時にはテントで現地に寝泊まりしながら、作業することもあるということです。

去年、阿曽原温泉小屋はコロナの影響で休業を余儀なくされました。ことしは今月末から営業を再開する予定でいますが、感染対策として、宿泊の定員を半分以下に減らすため、今後も苦しい経営を強いられる見込みです。

このような状況は、北アルプスの山小屋全体に広がっていて、登山道の整備にまで手が回らなくなるおそれがあります。
佐々木さん
「今回のコロナ禍で山小屋にも経営的な余裕がなくなって来ている。危機的な状況だと思います」
さらに、最近は継続して山小屋で働きたいという人も減っていて、多くの山小屋で、登山道の整備を担う人材の確保が非常に難しくなっています。

経済的な負担や人材の不足。それでも登山道の整備をし続けるのには理由があると佐々木さんは言います。
佐々木さん
「山小屋の仕事というのは、すべては安心して山歩きを楽しんで、安全にうちに帰ってもらうために何ができるかなんです。ただ、これからは今までの経営スタイルを一から見直さないとやっていけなくなると思います」

環境省「公園の管理困難になることを危惧」

コロナ禍で生じた山小屋の経営悪化と、それに伴う登山道整備の問題。

国立公園の管理の在り方について、環境省はどのように考えているのでしょうか。
環境省国立公園課 熊倉基之課長
「山小屋は国立公園管理の担い手として非常に欠かせない存在ですので、山小屋の事業が廃止になってしまうと、環境省としても国立公園の管理上、大変困難になると危惧しています。山小屋の経営が成り立ち、自然の維持管理ができる仕組みがしっかりできるようにしていきたいと思っています」

“協力金”制度の導入も

国立公園の登山環境を守るため、課題となる費用をどのように工面するのか。現場では模索が始まっています。

山小屋の経営者と環境省の担当者が集まり、いわゆる「協力金」の制度についての議論を進めています。この秋からの導入を検討しています。

これまでは、山小屋の収益の一部を還元する形で費用を捻出してきましたが、山小屋を利用しない場合も含めて、登山道を利用するすべての人からお金を集め、整備の費用に充てたい考えです。
山田さん
「まずは山小屋の事業者が積極的に維持活動をしていることで、登山ができる環境があるということを知ってほしいです。今後は協力金もしくは寄付というような形で登山道の維持に、資金のご協力をお願いしたいと考えています」

技術継承も困難に 打開策は

一方、厳しい経営状況の中でも、道の整備など登山にまつわる環境を守るため、独自に取り組みを始めた山小屋もあります。

標高3000メートルのりょう線にある槍ヶ岳山荘は、他の多くの北アルプスの山小屋と同様、春から秋にかけて営業します。従業員の多くが季節雇用となるため、コロナ禍の影響もあり安定した雇用を維持するのが難しくなって、技術や知識の継承に支障が出ることが課題となっていました。

そこで去年から始めたのが「通年雇用」の制度です。山小屋が閉まる冬場には、従業員に地元の建築会社などへ出向してもらいます。その期間の給与は出向先が支払います。

山小屋にとって経済的に大きな負担とならないようにしながら、安定した雇用の確保につなげようとしています。

さらに、出向先でさまざまな技術を身につけてもらうことで、登山道の整備など、山小屋の仕事にも生かしてもらおうとしています。
穂苅さん
「冬に働いて技術を身につけてきてもらって、それをまた夏に山小屋で還元していただく。そのために会社としては従業員にとって働きやすい会社を作っていかなきゃいけないと思います」

専門家「責任を分担できる仕組み作りを」

専門家は、これまで山小屋に頼りがちだった国立公園内での登山環境の維持について、コロナ禍で課題が浮き彫りになったと指摘しています。
愛甲准教授
「国立公園は、日本の代表的な自然環境を守るということに大きな役割を果たしていますが、登山利用するうえでの“公益的な機能”を民間の山小屋の事業者が担っているのが日本の山岳地の特徴です。ただ単に一事業者の収入が減るという問題ではなく、登山できる環境に対して大きな影響があると考えています。行政、山小屋、そして登山者も含めて、皆でその責任を分担できるような仕組みを作っていかねばならないと思います」

いつまでも守っていくためには

「自然の保護と活用」を掲げている国立公園。

中でも北アルプスは、厳しくも美しい風景と貴重な自然が大きな魅力です。

その豊かな環境を守り、登山者が安全・安心に楽しむためには、人の手による適切な維持管理が欠かせません。

これまでその役割を中心となって担ってきたのは、実は、いまコロナ禍で苦しんでいる山小屋でした。

この貴重な自然を利用できる環境を、いつまでも守っていくためには国立公園の管理者である国、その中で事業を行っている山小屋、そして登山をするわれわれ一人ひとりが、一緒になって考えていく必要があると、取材を通じて感じました。
映像センターカメラマン
岡部馨
平成19年入局
大学時代は山岳部で山にこもる生活
北アルプスの登山道はほぼ踏破済み
映像センターカメラマン
奥田悠
平成22年入局
入局後本格的に登山を開始
尾瀬国立公園を8Kカメラで撮影するなど
各地の山や自然をテーマに取材
ニュースウオッチ9ディレクター
安食昌義
高校生のころから北アルプスに通う
おすすめの山は黒部五郎岳