ビジネス特集

“使われなくなる日を願って” 小さな黒い箱に込められた思い

「いずれ使われなくなる日が来てほしい」。そんな思いを胸に、ある大阪の中小企業が作ったのは、一見、何の変哲もない発泡スチロールの箱。会社の技術を結集したというこの箱。いったい、何のために作られたのでしょうか。(大阪放送局記者 宗像玄徳)

名付けて“Sakai-BOX”

堺市 永藤英機市長 2月
出会いはことし2月でした。大阪・堺市の市長が会見に集まった私たち報道陣を前に、ある箱を手に取り紹介しました。

名前は、「Sakai-BOX」。

笑いの聖地・大阪らしからぬひねりのない名前のうえ、見た目は普通の発泡スチロールの箱。「ただの箱やん・・・」そう思ったのが正直な最初の感想です。

市長によると、この箱は、新型コロナウイルスのワクチンを運ぶために、堺市が大阪市内の企業と共同で開発したものだとのこと。会見に出席したほかの記者たちからは、「本当にワクチンを運べるのか?」「温度管理は大丈夫?」「なんでSakai-BOXなのか?」などと、厳しい質問が相次ぎました。
大きさは、縦22センチ・横33センチ・高さは19センチ。重さは400グラムほどと非常にコンパクト。片手でも抱えることができます。気になったのは全体が黒いこと。秘密の1つがこの色に隠されていたことを、私は後の取材で知ることになります。

ワクチン配送小分けに困った

堺市役所
時間は会見から2か月ほどさかのぼり、去年12月。

全国の自治体は、今後、国から供給される新型コロナワクチンをどのように受け取り、実際に接種場所まで運ぶのか、情報が限られる中、手探りで検討を急いでいました。

人口およそ80万人、大阪第2の都市の堺市も例外ではなく、ワクチン接種専門のチームを立ち上げ準備を始めました。堺市によると、当時、国が示していたワクチン接種の方針は、規模の大きい病院や大型施設などに市民を集めて効率よくワクチンを打っていく集団接種のみだったと言います。
堺市感染症対策課
しかし、人口が多く集団接種だけでは接種が進まないと判断した堺市は、独自に、市内に300か所以上ある診療所などの医療機関を接種場所として活用できないかと水面下で検討を進めていました。

ただ、その際に大きな課題となるのが、ワクチンをどのように300以上の医療機関に届けるかでした。ファイザー製のワクチンは、マイナス75度前後の超低温の冷凍庫「ディープフリーザー」で保管しなければならないとされています。そこから病院などの接種会場にワクチンを輸送しますが、この際にも厳格な温度管理が求められます。

しかしいったい何に入れて、どのように運べば良いのか、その当時は道具も方法も定かではなかったのです。市の担当者は、クーラーボックスを製造する会社などへの問い合わせを始めていましたが、暗中模索が続いていた年の瀬。担当者に1本の電話が入りました。

“発泡スチロール” 一筋 大阪の中小企業が開発

発泡スチロールメーカー 近藤大輔社長
電話の主は、大阪市内の発泡スチロールメーカーの社長、近藤大輔さんでした。

近藤さんの会社は昭和32年の創業。半世紀以上に渡り、様々な製品を作り続けてきました。連日のコロナ報道を見聞きする中で、堺市がワクチン輸送用の容器を探していると知り、すぐに堺市に電話を入れたのです。

「衝撃や振動に強く、温度管理もできる発泡スチロールなら、ワクチンの配送に役立てられるのでは?」

自分たちのものづくりの技術が、コロナ禍で役に立てられるのではと思い立ったと言います。市にとっても、渡りに船でした。

簡単に思えた開発 しかし課題は次々と

年明け早々に堺市との打ち合わせが行われました。市の要望は、「ワクチンの容器1本から最大で25本運べて、持ち運びがしやすい箱」。当初、国が高齢者の接種開始時期としていた3月末までの完成を目指すことにしました。

近藤社長は、経験豊富な社員およそ10人を集め、さっそく開発に取りかかりました。はじめは「簡単に作れるのでは」と考えていたと言う近藤さんですが、早々に壁にぶち当たります。それは、圧倒的な情報不足でした。
誰も打ったことも、本物を見たこともない外国産のワクチン。バイアルと呼ばれる容器の形状がどのようなものなのか、正確に知るすべさえ当時はなかったのです。

近藤さんたちは情報収集のため、海外の資料も読みあさりました。アメリカのFDA=食品医薬品局の資料から容器の大きさの記載を見つけたころには、すでに2月に入っていました。
試作品
配送のための厳しい条件も、近藤さんたちの前に立ちはだかりました。

超低温の冷凍庫「ディープフリーザー」で保管されたワクチンを自治体から個々の接種場所まで運ぶ際には、2度から8度の冷蔵状態に保たねばなりません。真夏を想定し、外の気温が35度の中で、どんな条件下なら指定の温度で長時間保つことができるか。箱の厚さや中に入れる保冷剤の量などの調整をくり返しました。

さらに光を遮る必要もありました。それまで試作を繰り返してきた白の発泡スチロールの箱だと光を完全に遮れないことが分かったのです。

特殊な原料で条件クリア

厳しい条件をクリアするために、たどりついたのが特殊な黒い原料でした。

企業秘密だという特別なこの原料を使うことで、内部を光からほぼ完全に守ることができました。さらに断熱性も高まり、普通の保冷剤だけで半日以上8度以下に保つことができるようになりました。
ワクチンを入れる穴には、突起を付けました。わずか1ミリ程度の突起ですが、これがクッションの役割を果たし、配送時に振動でワクチンが大きく揺れたり、穴から抜けて倒れたりしなくなります。

箱には、ものづくりの街で集積されてきた技術やアイデア、そして顧客の要望を上回るものを作って見せるという職人たちの心意気も詰まっていました。

全国に広がるSakai-BOX

完成した箱は、最小で1本、最大で25本のワクチンを運ぶことができます。また箱は回収して、再利用することも可能です。堺市では多いときには週に2回、委託した業者が、「ディープフリーザー」から取り分けたワクチンを箱に詰め、病院や老人ホームなどおよそ400か所の接種会場に届けています。

接種会場では、前回渡した箱を回収するまさに出前スタイルの仕組みで、現在2000個の「Sakai-BOX」が市内で活躍しています。
ワクチン1本から輸送できるという使い勝手の良さ。その評判は、個別接種の広がりとともに、堺市以外にも広がっていきます。

これまでに北海道や福岡県など全国およそ150の自治体から注文を受け、およそ1万5000個が出荷されました。それぞれの場所に届けられたSakai-BOXは、その1つ1つが、いま新型コロナと戦う小さくとも大きな戦力となっています。

製品が使われなくなる日を願って

「Sakai-BOX」の値段は1つ1320円。私は、相当もうかっているのかと思っていましたが、近藤社長は箱をつくるための金型の製造や人件費を考えるともうけはほとんどないと、首を横に振っていました。

しかし、渋い顔ではありませんでした。なぜ製造を続けるのか。近藤社長の意外な答えに私は衝撃を受けました。口をついた言葉は、「本当の願いはこの箱が不要になる日が来ることなんです」というもの。

さらに近藤社長は続けました。
「コロナ禍を終息させるために、輸送用の箱という脇役でもワクチン接種に貢献したいと思って開発に取り組んできました。だからこそ、使われなくなった日にはじめて達成感を得ることができます。そんな日が早く来て欲しいです」
あなたが打つワクチン。もしかしたら、Sakai-BOXで運ばれてきたものかもしれません。
大阪放送局記者
宗像 玄徳
平成27年入局
高知局を経て現所属
大阪府南部の自治体などの取材を担当

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