多くの児童らが犠牲に 大川小の震災遺構公開始まる 宮城 石巻

東日本大震災で多くの児童らが犠牲となった宮城県石巻市の大川小学校が震災遺構として整備され、18日から公開が始まりました。

石巻市の大川小学校は、10年前の津波で児童と教職員合わせてて84人が犠牲となり、市は、慰霊と追悼、そして教訓を後世に伝えるため、校舎とその周辺を震災遺構として保存・整備しました。

18日は遺族や石巻市の関係者などが出席して式典が開かれ、黙とうをささげたあと献花をして手を合わせました。

公開された震災遺構のうち、弧を描いている2階建ての校舎は校庭側から全体を見ることができ、ねじ曲がった渡り廊下やむき出しの鉄筋など、津波の威力のすさまじさを伝えています。
また、パネルなどを展示した伝承館も設けられ、津波が襲った時間とみられる午後3時37分で止まった時計や、子どもたちが使っていた一輪車などが公開されています。

宮城県大崎市から初めて訪れた30代の女性は「悲しい場所がそのままの形で残っているのでとても痛ましく感じます。当時の体験を見聞きすることで大切な人を守っていけるよう行動していきたいです」と話していました。

石巻市の齋藤正美市長は、「大川小学校はさまざまな立場の方の思いが交錯する場所だ。今後も遺族や訪れた人たちの意見を踏まえながら、教訓がきちんと伝わる震災遺構にしていきたい」と述べました。

次女を亡くした「語り部」は

6年生だった次女を亡くし、校舎で語り部活動を行う佐藤敏郎さんは「10年前、がれきに囲まれていた校舎がこのように整備されるとは思いもしなかった。きょうは、亡くなった子どもたちや教職員も公開と知って集まっていたと思う。伝えきれていないものがあり、震災遺構としてアップデートが必要だと思うが、この場所に立った人たちがさまざまな観点から自分ごととして向き合って、命を守ることを最優先に考えてほしい」と話していました。

大川小 児童74人と教職員10人が犠牲に

宮城県石巻市の大川小学校は、海からおよそ4キロ離れた北上川沿いにあります。

東日本大震災の際、児童らは学校の指示で地震のおよそ50分後まで校庭に待機したあと、近くの橋のたもとに避難を始めますが、直後に津波に巻き込まれたとみられ、児童74人と教職員10人が犠牲になりました。

校舎をめぐっては保存するか、解体するか、遺族や住民を交えた議論が時間をかけて進められ、石巻市は平成28年3月、校舎とその周辺を慰霊と追悼、そして教訓を後世に伝えるため、震災遺構として保存することを決めます。

整備にあたっては、パネルなどを展示した伝承館や広場を設けたほか、「校舎を見るのがつらい」という遺族にも配慮し、道路に面した一部を板で囲いました。

一方、児童74人のうち23人の遺族が事実の究明を求めて起こした裁判は、宮城県と石巻市に14億円余りの賠償を命じるとともに、事前の防災対策の不備を指摘した判決がおととし10月、確定しました。

判決の確定などを受けて、宮城県教育委員会は去年11月から現地で県内の教職員を対象とした研修を始めました。

また、児童の遺族の一部は、事実を知って災害への備えにつなげてほしいと語り部活動を行っていて、おととしはおよそ1万5000人が訪れたということです。

多くの命が失われた大川小学校は、震災の発生から10年4か月を経て、防災や命の大切さを伝える重要な場として新たな歩みを進めます。