「平成の怪物」松坂大輔 現役引退を発表

「平成の怪物」と呼ばれた松坂大輔投手。

プロ野球・西武は、甲子園で活躍し日米通算170勝をあげた松坂投手が今シーズンかぎりで現役を引退すると発表しました。

「伝説の延長17回」「リベンジする」「自信から確信に変わりました」など数々の名勝負とことばを残し、球界を盛り上げました。

松坂投手は東京都出身の40歳。1998年に横浜高校のエースとして甲子園で春夏連覇を達成し「平成の怪物」と呼ばれました。

ドラフト1位で西武に入団し、1年目から3年連続の最多勝など数々のタイトルを獲得しました。
2007年からは大リーグ・レッドソックスなどでプレーし、ワールドシリーズで日本投手として初めて勝利投手となりました。

この間、日本代表のエースとして2回のオリンピックへの出場、そしてWBC=ワールド・ベースボール・クラシックでは1回目と2回目の日本の優勝に貢献し2大会連続でMVPに輝きました。

その後、日本球界に復帰しソフトバンクでは勝ち星をあげることはできませんでしたが、中日では2018年に日本でおよそ12年ぶりとなる勝利をあげるなど6勝をマークし「カムバック賞」を受賞しました。

松坂投手は昨シーズン古巣の西武に14年ぶりに復帰しましたが、首の痛みや右手にしびれが出たため、去年7月にけい椎への圧迫を軽くするための内視鏡手術を受けました。

その後は再起をかけて2軍で調整していましたが、公式戦での登板はありませんでした。

そして球団は7日、松坂投手が今シーズンかぎりで現役を引退すると発表しました。

松坂投手は日米通算で23年間プレーし、プロ野球で114勝、大リーグで56勝の合わせて170勝をあげました。

松坂投手の現役引退について、西武の渡辺久信ゼネラルマネージャーは球団を通じてコメントを発表し「『メットライフドームで勝利する』ということを目標に厳しいリハビリに耐えながらここまでやってきました。ファンに自身の姿を見せることができていない日が続き、体調面もなかなか向上せず、ずっと苦しい思いをしてきたと思います。大輔は現在、体調面、精神面でも決して万全とは言えない状況です。今は双方の回復に専念をさせていただきたく、ぜひ皆様には彼のことを引き続き、温かく見守っていただけますと幸いです」と述べています。

球団では今後、松坂投手の会見を予定していますが、時期は未定だということです。

<98年 横浜高校>PLとの“伝説の延長17回”

横浜高校のエースとして甲子園で春夏連覇を達成した松坂投手。

最大のライバルは大阪のPL学園でした。のちにプロに進み「松坂世代」では初めてプロ野球・楽天で監督を務めた平石洋介さんがキャプテンを務めていました。

横浜は春のセンバツ準決勝で苦戦しましたが3対2で競り勝ちました。松坂投手は夏の甲子園優勝に向けて「PL学園はどこかで当たって倒さなければいけない相手。センバツが終わった後も意識するチームはPL学園だけだ」と考えていました。

そして夏は準々決勝で対戦することになりました。

松坂投手は序盤から失点し苦しい展開となりましたが、野手陣が援護して5対5で延長に入りました。延長に入って横浜は2度、勝ち越しましたが、驚異的な粘りをみせるPL学園にすぐに追いつかれ、試合は17回までもつれました。

17回に横浜がツーランホームランでみたび勝ち越し、松坂投手がそのウラの反撃を抑えて横浜が9対7で競り勝ちました。

球史に残るこの試合で延長17回を1人で投げ抜いた松坂投手の球数は250球に達しました。

<98年 横浜高校>決勝でノーヒットノーラン達成 春夏連覇

松坂投手は翌日に行われた準決勝の明徳義塾高校戦では、先発のマウンドに立ちませんでした。チームは6点をリードされましたが8回にようやく反撃して4点をかえし、2点差まで詰め寄りました。

そして9回のマウンドには右腕のテーピングをはがした松坂投手が立ち、球場の雰囲気を一変させました。松坂投手が無失点で抑え、そのウラ、横浜が3点を奪って逆転サヨナラ勝ちし決勝に進みました。

松坂投手は翌日に行われた京都成章高校との決勝でノーヒットノーランを達成。春夏連覇を成し遂げました。

今も語り継がれる甲子園での活躍が「平成の怪物」と松坂投手が呼ばれるようになったゆえんです。

<99年 西武>プロ1年目16勝 最多勝・新人王も

甲子園で春夏連覇を達成し「平成の怪物」と呼ばれた松坂投手は、1998年のドラフト会議で横浜、西武、日本ハムの3球団から1位指名された結果、西武への入団が決まりました。

翌年の春のキャンプ、オープン戦でも高い評価を受け、4月7日の日本ハム戦に先発でデビューしました。そして最速155キロの速球とキレのある変化球で8回を2失点、9つの三振を奪うピッチングでプロ初勝利をあげました。

4月21日のロッテ戦では黒木知宏投手との投げ合いで0対2で敗れ、試合後に「リベンジする」と発言。そのことばどおり次の4月27日の登板では同じロッテ、それも黒木投手との投げ合いで完封勝利を飾りました。

「リベンジ」ということばはこの年、巨人に入団した上原浩治投手の座右の銘「雑草魂」とともに新語・流行語大賞の年間大賞に選ばれました。

また、プロ入り後、いちばん対戦したいと話していたオリックスのイチロー選手との初めての対戦は5月でした。

最初の打席は速球で、2打席目、3打席目は変化球で3打席連続の三振を奪い衝撃を与えました。そして、試合後のヒーローインタビューであの名言が生まれました。

「自信から確信に変わりました」

このあとも勝利を重ねた松坂投手はプロ1年目で16勝をあげ、高校卒業のルーキーとして45年ぶりとなる最多勝を獲得。新人王にも輝きました。

<02年 西武>プロ4年目 初のリーグ優勝も日本一は届かず

松坂投手は2年目も14勝、3年目も15勝をあげて、高校卒業のルーキーでは史上初となるプロ入りから3年連続で最多勝に輝きました。沢村賞も獲得し名実ともに日本を代表するピッチャーに成長しました。

4年目の2002年はチームはプロ入り後初めてのリーグ優勝を果たしましたが、松坂投手は右ひじのけがなどで2回にわたって戦列を離れ、6勝にとどまりました。

初の日本シリーズの相手は、原辰徳監督が率い松井秀喜選手が打線の中心の巨人。その第1戦の先発を任されました。

この試合、清原和博選手にホームランを打たれるなど4失点で負け投手となりました。3連敗で迎えた第4戦ではリリーフで登板しましたが、勝ち越されてこの試合も負け投手になり日本一には届きませんでした。

<04年 西武>2回目の日本シリーズ 第6,7戦連投 日本一に

その次の年から2年連続で最優秀防御率のタイトルを獲得した松坂投手は2004年、この年から始まったパ・リーグのプレーオフでエースとしての力を発揮しました。

シーズン2位の西武は3位の日本ハムを抑えて、シーズン1位の当時のダイエーと対戦しました。第2戦で勝利投手となり、さらに最終第5戦でも中3日で先発して好投し、チームのリーグ優勝に貢献しました。

自身2回目となった日本シリーズでは中日と対戦し、第6戦で先発し初めての勝利投手となると、第7戦でもリリーフで連投し松坂投手は初めての日本一に輝きました。

<06年 西武>自身最多の17勝 プレーオフ第1戦で完封勝利

西武で最後のシーズンとなったのが2006年。自身最多の17勝をあげ、このシーズンも2位でパ・リーグのプレーオフへ進みました。

3位・ソフトバンクとの第1戦。相手の斉藤和巳投手とのエースどうしの白熱した投手戦となりました。西武打線が7回に1点を奪い、松坂投手は1点リードの9回もマウンドに上がりました。

その球威は最後まで全く衰えませんでした。

すごみすら感じさせるピッチングで完封勝利をあげました。このあとチームが2連敗したため次のステージに進めずシーズンが終了。結果的に松坂投手の西武での公式戦最後のマウンドになりました。

松坂投手はこのあと、大リーグへと戦いの舞台を移すことになりました。

<07年 大リーグ>ワールドシリーズ制覇

松坂投手はポスティングシステムと呼ばれる入札制度で大リーグ移籍を希望し、交渉権を獲得したのはレッドソックスでした。レッドソックスが提示した最高入札額はおよそ5111万ドル、当時の日本円でおよそ60億円に達しました。

大リーグ1年目の2007年は、キャンプから日米の取材陣とファンが松坂投手の一挙手一投足に注目する中、順調に調整を進め、オープン戦でも結果を残しました。

そして周囲の期待に応えて15勝をマーク。その年のワールドシリーズでは日本のピッチャーとして初めて勝利投手になるなど、チームのワールドシリーズ制覇に貢献しました。

2年目には18勝をあげチームの先発投手の柱となりましたが、その後は勝ち星が伸びず2011年には右ひじを痛めてじん帯を修復する手術を受けました。

2012年には手術から復帰したものの1勝7敗と振るわず、このシーズンかぎりでレッドソックスを退団しフリーエージェントとなりました。

2013年にはインディアンズとマイナー契約を結びましたが大リーグでの登板はなく、シーズン途中にメッツに移籍しました。メッツでは2013年に3勝、2014年は先発に加えて中継ぎにも回るなど34試合に登板し3勝3敗1セーブでした。

大リーグ8年間の通算成績は56勝43敗1セーブでした。

<15年 日本のプロ野球復帰>ソフトバンク入団も…

2015年シーズン。
松坂投手は大リーグから9年ぶりにソフトバンクで日本のプロ野球に復帰しました。ソフトバンク入団1年目は右肩の不調を訴えて8月に手術を行い、1軍での登板はありませんでした。

2年目は右肩のリハビリを続けながら2軍での登板を重ね、ようやく10月に1軍のレギュラーシーズン最後の試合の楽天戦で登板しましたが、1回を投げ打者一巡の猛攻を受けて5失点という内容に終わりました。

シーズン後には「実戦経験を積みたい」とプエルトリコでのウインターリーグに参加しました。

そして3年目は春のキャンプでも順調な調整を続け、3月の広島とのオープン戦では7回を無安打無失点に抑える好投で復調をアピールしていました。しかし、その後またも右肩の炎症でリハビリ生活となり、結局1軍の登板はソフトバンクの3年間で1試合しかありませんでした。

<18年 入団テストで中日へ>存在感がチームの刺激に

ソフトバンクを退団した松坂投手は、中日の入団テストを受けて入団が決定。「ほっとしている。ここ数年、全然投げていないので大きな声では言えないが、チームの力になれるよう投げたい」と決意を語りました。

中日に入団して最初の春のキャンプ、キャンプ地の沖縄県北谷町には球団関係者が驚くほどの報道陣とファンが詰めかけ、その一挙手一投足に熱い視線が注がれました。

松坂投手はベテランらしく若手にアドバイスする姿が見られ、またファンサービスでも時間の許すかぎりサインを書き続けていました。

松坂投手の存在感は、チームに大きな刺激をもたらしました。

横浜高校の後輩、福田永将選手は「ファンやメディアが来て注目されるだけでなく、若手はいろいろなことを教えてもらっている」とその影響の大きさを話しました。

また同じく横浜高校の後輩、柳裕也投手も「僕は運がいいと思う。技術的なことだけではなく体のケアについても教えてもらっている」と大先輩を頼りにしている様子でした。

<18年 中日>オールスター選出 シーズン6勝で「カムバック賞」

キャンプ、そしてオープン戦と調整を重ねた松坂投手は2018年4月5日の巨人戦で先発のマウンドに立ちました。5回3失点で白星には届きませんでしたが着実に一歩を進めました。
そして、3試合目の先発となった4月30日のDeNA戦で6回1失点と好投し、およそ12年ぶりの日本球界での白星をつかみました。

その後は背中のねんざなどもあり間隔を空けながらの登板となりましたが、松坂投手が投げる試合は多くのファンが詰めかけました。

前半戦で3勝をあげ、オールスターゲームのファン投票では39万票余りを集めて12年ぶりに選ばれると第1戦の先発を務めました。

後半戦でも3勝をマークし、シーズンを通して6勝をあげた松坂投手は「カムバック賞」を受賞するなど復活のシーズンとなりました。

それでも本人はシーズン後「もっとやれたはずだという気持ちのほうが強いですかね。『復活』ということばを使うのはちょっと大げさかなという感じはしますね」と話し、決意を新たにしていました。

そうして臨んだ2019年、2年目のシーズンの春のキャンプで思わぬ事態が発生しました。ファンに腕を引っ張られ、右肩を痛めてしまったのです。リハビリにはおよそ3か月を要しました。

5月下旬に2軍で実戦復帰し1軍での登板は7月16日でした。2回目の登板となった7月27日のDeNA戦では1回に8点を奪われ、1アウトしかとることができずプロ入り後、最短でマウンドを降りました。

その後、2軍で再調整を続けましたが、1軍での登板はなく、中日での2年間では13試合に登板して6勝5敗の成績で退団しました。

<19年 西武復帰>「最後はここなのかな…」

松坂投手は現役続行を目指す中、14年ぶりに古巣・西武への復帰が決まりました。2019年の12月に行われた入団会見では「すぐに声をかけてくれたのが西武だったので迷うことはなかった。家に帰ってきた感覚で、西武に決まった時は本当にうれしかった」と話しました。

そのうえで「このタイミングでまた西武のユニフォームを着られることになり最後はここなのかなと思っている。球が遅くなり、やりたくなかったボールを動かすピッチングをしているが、それが自分の生きていく道。チームのリーグ3連覇、日本一のために少しでも力になれるようやっていきたい」と意気込みを示しました。

そして若いピッチャーが多いチームについて質問されると「自分が聞かれれば教えることもできるが、それはメインだと思っていないし今の僕に人のことを考えられる余裕はない。できることを必死にやるしかない」と話しました。

また、日米通算200勝まであと30勝としていることについて「終わりがだんだん近づく中で達成したいという気持ちが強くなっているのも確か。最後まで諦めず200という数字を目指してやっていきたい」と話していました。

しかし西武でもけがに苦しみ、2020年は7月にけい椎の内視鏡手術を受けた影響などで2軍を含めて公式戦のマウンドに上がることができませんでしたが、今シーズンの契約を結んだ際には「契約をしていただき感謝している。来季はメットライフドームでの勝利を目標に、サポートしていただいている球団、応援してくれているファンの方々に少しでも恩返しができるようにやっていきたい」と球団を通じてコメントを出しました。

ことし春のキャンプは2軍の選手が主体のB班でスタートし再起に向けて調整していましたが、公式戦のマウンドに上がることはできず23年間の選手生活に別れを告げることになりました。

日本代表のエースとしても

松坂投手は、国際化が進む野球界で日本代表のエースとしても世界と渡り合いました。

初めてプロ選手の参加が認められた2000年のシドニーオリンピック、日本はプロ・アマ合同チームで臨みました。プロ2年目の松坂投手は当時ダイエーの松中信彦選手やオリックスの田口壮選手などのプロ選手のほか、高校時代からのライバルで当時、社会人・三菱重工長崎に所属していた杉内俊哉投手、中央大学の学生だった阿部慎之助選手などと一緒に戦いました。

しかし準決勝でキューバに敗れ、韓国と対戦した3位決定戦でも敗れて4位となり、公開競技の時代を通じて初めてメダルを逃しました。

悲願の金メダル獲得を目指した続く2004年のアテネ大会は、初めてメンバー全員がプロの選手で固められました。

野手では宮本慎也選手、小笠原道大選手、福留孝介選手などが、投手陣では上原浩治投手、岩隈久志投手、和田毅投手などがメンバーに入りました。

その豪華な面々の中でもエースは松坂投手でした。しかし大会では準決勝のオーストラリア戦で松坂投手が1失点の好投も0対1で敗れ、結局、銅メダルに終わりました。

WBC 2大会連続のMVPに

オリンピックでは世界一に輝くことができなかった松坂投手。その力を世界に示したのは2006年から始まった野球の国別対抗戦、WBC=ワールド・ベースボール・クラシックでした。王貞治監督のもと、日本代表にはオリンピックには出場しなかったイチロー選手などが加わりました。

松坂投手はエースとして、1次リーグの台湾戦、2次リーグのメキシコ戦、そして決勝のキューバ戦の3試合に先発。いずれも勝利投手となり日本を第1回の世界一に導いて大会のMVPに輝きました。

第2回大会は原辰徳監督のもと再びイチロー選手とともにチームの中心になりました。松坂投手はダルビッシュ有投手や岩隈投手、田中将大投手といった若手の投手陣を引っ張りました。

そして、この大会でも松坂投手は3勝をマークし日本の大会連覇に大きく貢献するとともに2大会連続のMVPに選ばれました。まさに名実ともに日本のエースの活躍でした。

「松坂世代」同学年の選手をけん引

松坂投手と同学年に当たる1980年4月2日からの1年間に生まれた選手からは多くのプロ野球選手が誕生しました。

この学年は横浜高校のエースとして甲子園で春夏連覇を達成した松坂投手の活躍が鮮烈だったことから「松坂世代」と呼ばれるようになりました。

高校時代には「打倒、松坂投手」を掲げた選手たち。

その1人が鹿児島実業出身でのちにダイエーからソフトバンク、そして巨人でピッチャーとして活躍した杉内俊哉さんです。杉内さんは高校3年の夏の甲子園1回戦でノーヒットノーランを達成し、2回戦で松坂投手の横浜と対戦しました。この試合では松坂投手にホームランを打たれるなどして敗れました。その後、勝ち進んだ松坂投手が決勝でノーヒットノーランを達成しています。

杉内さんはプロ入り後も、西武に入団した松坂投手とライバル関係が続きました。その杉内さんも平成30年のシーズンかぎりで引退するなど「松坂世代」で現役を続ける選手が年々少なくなりました。昨シーズンは阪神で藤川球児さん、ともに楽天で久保裕也さんと渡辺直人さんの3人が現役を引退をしました。

藤川さんは会見で松坂投手に向けて「僕は自分自身に勝ったので『絶対、へこたれるな』と言いたい。松坂はけがで苦しい中、戦っている最中なので精いっぱい応援してあげてほしい」とエールを送っていました。

今シーズンも現役を続けているのは、松坂投手とソフトバンクの和田毅投手だけになっています。

球界からは功績たたえる声

松坂投手を知る球界の関係者たちはそれぞれ思い出を振り返り、コメントを出しています。
渡辺元智さん(横浜高校時代の指導者)
「きのう電話をもらって、なんと言っていいかわからないが、1人の野球少年がぼろぼろになるまで頑張ったところは評価したい。そこに真骨頂があるような気がする。これだけコロナでみんなが苦労している。そういう人たちにも耐えながら頑張る勇気を与えたと思う。人それぞれ、長い人生、壁に遭遇することもあるが、ずっと自分の夢を追い求めていた。栄光を背負ったまま終わるという考えもあるが、最後までやったのは価値がある。私にとっても宝物だ」
王貞治さん(ソフトバンク球団会長)
「甲子園と西武で活躍し、そしてアメリカでも活躍していました。常にずぬけたピッチングをしていました。第1回WBCでも、日本のために頑張ってくれてMVPになり、本当に記憶に残るすごいピッチャーでした。第二の人生でも大いに活躍してください」
イチローさん(日米で数々の名勝負)
「大輔は初対戦の3三振から22年間、僕にとってともに競い高めあえたと思える唯一の投手だった。ありがとう、お疲れさまでした」
上原浩治さん(松坂投手と同じ年のドラフトで巨人に入団)
「大輔…ついに来たか…誰もがいずれ引退はするけど、やっぱり寂しいなぁ。解説者、メディアの立場から、現役の大輔のピッチングを見たかった。周りからの目、手術など、想像が出来ないくらい大変だったと思うね。高卒、大卒で立場が違うって思いながら、いろいろ比べられたなぁおつかれ!」
菊池雄星投手(マリナーズ)
「自分が野球を始めた頃から松坂さんはずっと日本のトップの大スターで、大リーグの活躍もずっと見ていた。すごくさみしい気持ちと、たくさんの夢をいただいたと思っている」
澤村拓一投手(レッドソックス)
「幼い頃に野球を始めた時からスーパースターで、今でもスーパースター。憧れ続けてきた存在である松坂さんが辞めるというのはいちファンとしては寂しい気持ちだし、松坂さんが所属していたチームでプレーできているという喜びをかみしめながら僕自身も頑張っていけたらなと思う」
ジェイソン・バリテック コーチ(レッドソックス時代にバッテリー)
「大輔とはすばらしい思い出がある。彼はチームの勝利にとても大きな役割を果たし、2007年にはわれわれは優勝することができた。すばらしいキャリアを送ったと思うし、彼とともにレッドソックスでチームメートとして一緒にプレーすることができて本当に光栄に思う」