自由で開かれたインド太平洋 誕生秘話

自由で開かれたインド太平洋 誕生秘話
「自由で開かれたインド太平洋」
最近のニュースでよく耳にするこのことば。実は日本が提唱した外交構想だ。
米中対立が先鋭化する中、地域を越え各国が共通で掲げる理念にもなりつつあるが、日本がこうしたビジョンの発信元となったことはかつてない。
しかし、ふだん外務省を取材する私も、この構想がどのように生まれ、広がっていったのか、詳しく知らないままでいた。
今回、この構想の立案に深く携わった外務省幹部が初めてインタビューに応じ、構想に込めた思いを明かしてくれた。
(山本雄太郎)

歴史的演説

2017年11月10日。
日本外交にとって歴史的とも言える演説が、ベトナム・ダナンで行われた。

アメリカ・トランプ大統領の演説だ。
「『自由で開かれたインド太平洋』というビジョンを、この場で共有できたことを光栄に思います」
日本が提唱する外交構想「自由で開かれたインド太平洋」をアメリカが採用したのだ。
主権国家が他国の政策を採用するのは極めて異例。ましてや、あのアメリカだ。
これ以降、この構想が世界に広がっていくことになる。

演説の前、日本政府はワシントンのさまざまなレベルに対し、懸命な働きかけを行っていた。

国家安全保障局の審議官だった山田重夫(現・外務省・外務審議官)は、ホワイトハウスへの働きかけを担い、国家安全保障会議のアジア上級部長、マット・ポッティンジャーにほぼ毎週電話し、日本発の構想の利点を説いた。

外務省総合外交政策局長の鈴木哲(現・インド大使)は、具体的な政策を書き込んだインド太平洋地域の地図を持参し、ワシントンで説明に回った。

同行者の中には「自由で開かれたインド太平洋」の発案者、市川恵一の姿もあった。
その市川が今回初めてインタビューに応じた。

危機感が背景に

「正直言えば、ここまで広がるとは想像していませんでした」
いまは外務省北米局長を務める市川は率直にそう語った。

日本発の外交構想「自由で開かれたインド太平洋」
文字通り、“インド洋”と“太平洋”という2つの大洋を「自由で」「開かれた」ものにしようというものだ。

もう少し詳しく言えば、2つの海洋にまたがる広大な地域、つまり、アジアから中東、アフリカに至る地域にルールに基づく国際秩序を構築し、この地域の安定と繁栄を促進しようという構想だ。
英語の「Free and Open Indo-Pacific」の頭文字をとって「FOIP(フォイップ)」とも呼ばれる。

1989年に外務省に入省した市川は、官房長官秘書官などを経て、2015年10月に総合外交政策局の総務課長に就任した。
外務省内で“総総長”と呼ばれるこのポストにはあらゆる情報が集約され、総理大臣官邸と外務省とのつなぎ役も務める。
就任してからわずか3か月の間に、市川は当時の安倍総理大臣の外国訪問に計6回も同行することになる。
このときに感じた、国際社会における日本の存在感への危機感が、新たな外交構想の策定に着手するきっかけになったという。

「日本経済は相対的に低下傾向にあり、ODA=政府開発援助も非常に限られた予算しかない。日本のプレゼンスを高めていくためには、一貫したメッセージが非常に大事なのではないかと思いました。国として目指すべきものをことばで表して具体的行動で示していく。そうすることで国際社会からより大きな信頼を得ることができるのではないかと」

年が明けて2016年。市川は、当時の上司だった総合外交政策局長の秋葉剛男(前・外務事務次官)に問題意識をぶつけた。
秋葉もすぐに呼応した。
「日本外交の大きな指針がなくなって久しい。ひとつ考えてみてくれ」
立案を指示したのだった。

“インド太平洋”が持つ可能性

新たな構想を練るとは言っても、日本はカネも資源も限られている。
あれもこれもはできない中、国力を注ぎ込む地域に優先順位をつける必要があった。

ひな形として市川の頭にあったのは、2007年8月、第1次政権を担っていた当時の安倍総理大臣が、訪問先のインドで行った「二つの海の交わり」という演説だ。
「インド洋」と「太平洋」という二つの海を一体として見ることの戦略的な重要性を説いた演説で、距離的には日本から遠い「インド洋」に触れたのが特色だ。
市川もかねてインド太平洋地域が持つ可能性に注目していた。

「太平洋から南シナ海、マラッカ海峡を経て、インド洋、果てはアフリカの東側まで。この地域で世界人口の6割、経済規模でも世界の半分以上を占めています。この地域が持つ成長力やポテンシャルを考えた時に、ここにプライオリティーを置いて日本外交の資源を注ぎ込むことは、日本のためになり、地域のためになると思ったわけです」
市川は、部下の大橋博起(現・外務大臣秘書官)とともに、インド太平洋地域の大きな地図を抱えて多くの政府関係者に面会し、アドバイスを求めた。役所の垣根を越えて、多くの賛同や案が寄せられたという。

自衛隊出身で国家安全保障局の審議官、吉田圭秀(現・陸上幕僚長)は、インド洋と太平洋の結節点に位置する南シナ海は、東京、キャンベラ、ニューデリーとちょうど等距離にあると説明し、「だからインド洋と太平洋を一体で見るのは非常に合理的なんだ」と市川たちを後押しした。

また、経済産業省の通商政策課長、矢作友良(現・経産省産業技術環境局審議官)は、市川が新たな構想を検討していることを知らなかったが、市川の部屋を訪れた際、みずからが温めているアイデアを披露した。日本とASEANの企業でタイアップしながらインドに進出するとか、インドと関係の深い東アフリカを支援し、経済成長を促すなど、FOIPのヒントともなるもので、市川に大きな刺激を与えた。

3つの最終候補案

成長著しい「インド太平洋」。
多くの人から寄せられたアイデアを踏まえて、この地域で何を目指すのかを端的に言い表せるネーミングを考える必要があった。

「非常に悩ましい問題でした。この地域の多様性も大事でしょうし、包摂性も大事。もちろん法の支配という価値、原則もあるわけで、どう組み合わせようかと思った中で、やはり“自由で開かれている”というのが、最も根源的なんじゃないかと思いました」

市川は最終案を3つに絞り、秋葉にリストを示した。
秋葉が「これでいこう」と指さしたのは、市川がリストの一番上に書いた「自由で開かれたインド太平洋戦略」だった。

2016年8月25日。
ケニアに向かう政府専用機で、秋葉と市川から説明を受けた安倍総理は、開口一番「非常にいいじゃないか。これを進めよう」と述べたという。
その2日後、ケニアの首都ナイロビの国際会議場。
安倍は「アジアとアフリカをつなぐ海を、平和な、ルールの支配する海とするため、アフリカのみなさまと一緒に働きたい」と呼びかけた。
「自由で開かれたインド太平洋戦略」を打ち出した瞬間だった。

訪れた危機

トランプ政権で採用された日本発の外交構想は、着実に浸透していった。

象徴的だったのは、2018年5月30日。
当時のマティス国防長官が、ハワイで行われた「太平洋軍」の司令官の交代式で、名称を「インド太平洋軍」に変更すると明らかにし、インド洋の周辺国との関係を強化していく方針を示した。
「自由で開かれたインド太平洋」に呼応した動きであることは誰の目にも明らかだった。

「その日の早朝、珍しく、朝が苦手な秋葉さんが興奮して電話をしてきて、『おい、ニュース知っているか』と。それを聞いて、おお、そこまで変わるものか、と」

しかしそのFOIPが揺らいだ時があった。
トランプからバイデンへ、政権交代がきっかけだ。

バイデン大統領が、去年(2020年)11月、就任前に行った菅総理大臣との電話会談で口にしたのは「繁栄した安全な(Prosperous and secured)インド太平洋」という表現だった。
新政権が前政権の政策を毛嫌いするのはどの国でもあることで、日本政府内には、バイデン大統領が“トランプ印”のFOIPを敬遠したという観測が流れた。
市川は、このときもその意義を懇切丁寧に説明して回ったという。

「“繁栄した安全な”も、もちろん最終的な目標としては大事です。ただ、それをつくりあげるためには国際秩序を形づくる基本的な理念が必要で、“自由で開かれた”は、多様性があるインド太平洋地域で最も広く受け入れられることばです。『インド太平洋に手を差し伸べることは、アメリカのリーダーシップや経済の回復にもつながる。われわれと一緒にやっていかないか』と申し上げました」

「採用は難しいよ」と難色を示す高官もいたというが、去年12月には、森外務審議官(現・外務事務次官)と知日派の元国務次官補、カート・キャンベルとのテレビ会議もセットし、日本側の考えを伝達。キャンベルはその後アジア政策を統括する「インド太平洋調整官」に就任する。政権入りも見据えた対応だった。
大統領就任直後のことし1月の日米首脳電話会談、バイデンが使ったのは「自由で開かれたインド太平洋」だった。

市川は、アメリカがFOIPを支持することの重要性を、こう指摘している。

「戦後70年余り、この地域が比較的平和で繁栄してきた大きな背景に、アメリカの軍事力と経済力があるのは確かです。同時に、アメリカは、基本的に内向きな国でもあります。インド太平洋地域への関与を維持、確保していくのは非常に大事なことで、この地域に関心を持ってもらうよう、うまく導いていくのが日本の役割だと思っています」

戦略からビジョンに

FOIPは、これまでに一度だけ、呼称が変わったことがある。
2018年ごろ、「自由で開かれたインド太平洋戦略」から「戦略」の2文字が削られたのだ。

なぜ削ったのか。
ある外務省幹部は次のように解説する。

「『戦略』だと、どうしても軍事的な印象が出てしまい、ASEANのように中国との関係が近い国々は警戒してしまう。彼らに『日本か、中国か』と踏み絵を迫ってはいけない。『戦略』と呼ばないことで中国に遠慮している国々もFOIPに同調しやすくなる」

第1次安倍政権で当時の麻生太郎外務大臣が提唱した「自由と繁栄の弧」はアジアから東ヨーロッパにかけた地域に民主主義などを定着させようという外交戦略だったが、中国を対象から除外したことで「中国包囲網」と捉えられ、広がりを欠いたという指摘がある。
一方、「自由で開かれたインド太平洋」は、法の支配などの理念に賛同するなら、どの国にも開かれており、中国も排除しないとしている。

中国をも包摂したこの立て付けが、ASEANはじめ中国との距離感に頭を悩ませている国々に、ある種の安心感を与えたのは間違いないだろう。
「戦略」と呼ばなくなったことで、開かれたイメージはさらに強まった。

さらに市川自身は、「戦略」と呼ばなくなった理由を少し別の視点でも捉えている。

「ASEANなどとのやりとりを通じて、各国がビジョンを共有しながら、その実現に向けてそれぞれが努力していく方がいいと考えるようになりました。みんながオーナーシップ(当事者意識)を持ってFOIPのビジョンを目指す。日本の『戦略』だと強調する必要はないと判断したということです」

理念に同意したASEANは、2019年、開放性や透明性、国際法を尊重するなどとしたASEAN独自のインド太平洋構想「アセアン・アウトルック」を打ち出した。

そしてFOIPは、インド太平洋と直接かかわりがない国が多いヨーロッパでも浸透し始めている。
イギリスやフランス、ドイツ、オランダは、インド太平洋地域の安全保障などに積極的に関与する姿勢を打ち出し、EU=ヨーロッパ連合も日本などとの関係強化を目指すインド太平洋戦略の策定作業を急いでいる。

FOIPに矛盾はないか

一方、政治体制、歴史、文化、宗教など、異なるバックグラウンドを持つ国がひしめきあうインド太平洋地域では、いまなお国家の統制が優先され、人権が侵害される例が多く見られる。

中国による、香港や新疆ウイグル自治区での人権抑圧、ミャンマーでの軍による市民への弾圧は、その顕著な例だ。

こうした事例に対し、日本の立ち位置は世界でも独特だ。
例えば、アメリカやイギリスなどG7各国は、中国やミャンマーへの制裁に踏み切ったが、日本は加わっていない。

自由や法の支配をうたうFOIPの理念と日本政府の行動は矛盾しないのか。そう聞いてみた。

市川は言下に否定した。
「矛盾する話にはならないと思いますね。例えば、国連などで中国を非難する決議を日本や欧米が出そうとすると、いまはそれを上回る数の中国擁護の動きが生じる。中国が多くの国に影響力を伸ばしている中で、外交的にどう考えるか。われわれと同じ考え方をもつ国を増やしていく地道な努力がむしろ大事なのであって、中国に制裁をすれば、たちどころに人権問題が解決するかといえば決してそうではない」

また、インド太平洋地域は、いまやアメリカと中国という2つのスーパーパワーが激突する主舞台。
対決色は強まるばかりであり、バイデン政権は、民主主義対権威主義の戦いだとして、日本をはじめ同盟国の結束を呼びかけている。

FOIPは中国をも包み込む構想のはずだが、実際は中国に対抗し、民主主義陣営を結束させるための概念として使われていくのではないか。

「バイデン政権が、民主主義のネットワークを広げていくと高らかにうたって、リーダーシップを発揮していくこと自体は非常にいいことです。ただ、『民主主義対権威主義』という一種、単純な二項対立で国際社会を規定するのは、この地域とコミュニケーションするうえで、決して有用なやり方ではないし、そういうことをアメリカに助言していくのも日本の大事な役割だと思っています」

FOIPの将来は

この5年間で、具体的な政策やプロジェクトが肉づけされ、各国の協力は、港湾や道路などのインフラ整備にとどまらず、宇宙・サイバー空間まで発展している。

長年、顔が見えないと国内外で指摘され続けてきた日本外交。
市川は、FOIPが与えた影響をどう見ているか。

「やはり顔が見える外交になったことじゃないでしょうか。信念のある人が魅力的であるように、国家も何を目指していくかが1番大事ですよね。この5年間、首脳会談や外相会談だけではなくて普段の外交活動でも、FOIPが普通に語られ、実現のために、どういう支援やプロジェクトをやろうかということが自然に語られる素地ができています。日本の旗印が浸透したということは言えると思います」

FOIPで日本外交が目指す将来とは。インタビューの最後に聞いてみた。

「国際社会は、最近は特にそうですが、基本的に遠心力が働いている場所だと思います。放っておくと、バラバラになりがちなんですね。やはりみんなが目指すべきビジョンを共有し、そのためにみんなで協力していく外交が大事になってくると思います。自由で開かれた国際秩序の実現のためにさまざまな外交努力をしていくことができれば、日本は15年後も20年後も、この地域でリーダーシップをふるっていくことができると思います」。
(文中敬称略)
政治部記者
山本 雄太郎
2007年入局。山口局から政治部。自民党担当などを経て、おととしから外務省担当。茂木外務大臣の番記者。