“夢の超特急”リニアの行方は

“夢の超特急”リニアの行方は
“夢の超特急” “国家的プロジェクト”…。大看板を背負うのは、JR東海が進めるリニア中央新幹線だ。

6月20日の静岡県知事選挙で県民が選んだのは、それに異を唱える現職の川勝平太(72)だった。

JR東海や国土交通省を舌鋒鋭く批判しながら、県民の民意を捉えた、川勝のしたたかな戦略は。そして “夢の超特急”の行方は。
(高橋路)

川勝「争点はリニア」

知事選の告示まで2か月を切ったことし4月13日、川勝は4期目を目指して立候補を表明した。真っ先に選挙の争点に掲げたのがリニアだった。

「静岡県最大の危機だ。命の水が失われるのか、岐路に立っている」

今のままでは県内のトンネル工事着工を認められないと強調。水資源や生態系への影響を懸念し、JR東海や国土交通省と厳しい姿勢で対峙してきたことへの評価を問うたのだ。

いまから思えば、川勝みずからが土俵を作った瞬間だった。

“命の水”めぐって…

JR東海が、2027年の品川-名古屋間の開業を目指すリニア中央新幹線。静岡県などを通って2つの大都市を最短40分で結ぶ。
経済活性化への期待は高く、早期開業を求める声は大きい。
一方、静岡県が懸念しているのが、流域の62万人の暮らしを支え、地元では「命の水」とも呼ばれる大井川の水への影響だ。リニアのトンネルが、南アルプスの地下深くで、この大井川の源流の下を貫くように計画されているからだ。

去年10月には、静岡県特産の茶の生産者など、流域のおよそ100人が原告となり、県内工事の差し止めを求める訴えを裁判所に起こしている。

リニア沿線で最難関の工事の1つとされているトンネルは、山の表面から最大で1400メートルもの深さの場所で掘り進められる。地中には、大井川の水源となる大量の地下水がため込まれているとみられる。
JR東海の試算では、何も対策をとらなかった場合、工事によってトンネル内に地下水が湧き出すことによって、大井川の水は最大で毎秒約2トン減る。

これは60万人分の生活用水に匹敵する量とされている。
そのため、JR東海は、水を通すための導水路をつくり、トンネル内に湧き出た地下水を集めて大井川に戻す対策をとることなどで、水量を維持する計画を示している。

しかし、トンネルの一部は山梨県側から掘り進める計画で、地質状況の把握などのために、本体のトンネルより先に掘られる「先進坑(せんしんこう)」が貫通するまでの間、山梨県内へ水が流出する。
静岡市の推計では、何も対策がとられなければ、その量は、最大で500万トン。
川勝は、この水も含めて全ての水を大井川に戻す方法を検討するよう主張し、議論は膠着している。

事態を打開しようと、国土交通省は、去年、河川工学などの専門家による有識者会議を設置。
協議を重ね、ことし4月に、トンネル内に湧き出す地下水を、導水路ですべて川に戻すなどの対策をとれば、一定期間、山梨県に流出した場合でも、中下流域の流量は維持されるとするとりまとめの案を示した。

これに対し川勝は案がまとまる前から「JR東海の主張を追認しただけで、押し切ろうという姿勢が見える。JR東海と国土交通省は一体だ」と強く批判。
「リニアは極めて赤信号に近い黄色信号」と繰り返した。

川勝のエゴか?

こうした川勝の対応は「エゴだ。パフォーマンスだ」とたびたび批判されてきた。

品川ー名古屋間およそ286キロのうち、静岡県を通るのはわずか10.7キロ。
去年1年間に静岡県庁に寄せられたリニアへの県の姿勢に関する苦情は686件にのぼった。
これは川勝ひとりのパフォーマンスに過ぎないのか?

県民はリニアをどう考えているのか。

NHKは知事選挙を前に、18歳以上の県民1000人に対しインターネットを通じてアンケートを実施した。
リニアについて最も期待することを1つ聞いたところ、最多の41%の人が選んだ答えは「期待することはない」。
次いで多かった「移動時間の短縮(18%)」や「日本経済の活性化(16%)」を大きく上回った。
静岡県内にはリニアの駅の設置は計画されていない。取材でも「駅ができないのだからメリットがない」という意見をしばしば聞く。

一方、リニアについて最も心配なことを尋ねると、37%が「水資源への影響」と答え、次いで「南アルプスの生態系への影響(20%)」となり、あわせて6割近くが環境への影響を懸念していることがわかった。

アンケートでは、リニアへの期待よりも、むしろ環境を壊される懸念が高まっていることがうかがえる。

選挙期間中も「JRや国に対してはっきりモノをいえる川勝さんは頼もしい知事だ」という意見をよく聞いた。

リニア所管の国土交通副大臣で対抗

一方の自民党静岡県連。
県議会の最大会派だが、12年間、知事の座を川勝に明け渡してきた。国や自民党との歩調を乱す川勝に業を煮やし、対立し続けている。

自民党を「権力、組織力、資金力で武装した猛獣」呼ばわりする川勝。
劇場型の政治手法に仮想敵として組み込まれた自民党の地方議員からは「批判をネタに人気を稼ぐのが許せない」といった恨み節を、数え切れないほど聞いてきた。

川勝が知事になってから国とのパイプが細ったという指摘もある。
県選出の自民党国会議員は「我々とは一切の没交渉で何の相談もない」として、国との連携が取りにくくなったとこぼす。

県連は、今度こそ川勝を倒そうと、勝てる候補にこだわって擁立を模索した。しかし、県出身の官僚や浜松市長の鈴木康友など、次々に断られた。

そして、告示まで1か月半となった4月半ば。
急きょ浮上したのが県選出の自民党の参議院議員で国土交通副大臣だった岩井茂樹(53)だった。
あとがない県連は、自民党の国会・県議会・市町議会の議員全員から署名を集めて岩井を囲い込み、4月28日、岩井は立候補を表明。
自民党本部から推薦も取り付けた。
ただ一部の関係者の間では、名前が挙がった直後から岩井がリニアを所管する国土交通省の副大臣であることを懸念する声がささやかれていた。

「川勝から攻撃を受けないか心配だ」

それは、すぐに現実のものとなった。

土俵に誘い込まれた自民党

岩井が立候補を表明したその日のうちに、川勝は岩井を「リニアを推進する国土交通省の顔」と位置づけて先制攻撃。

自らを「巨人に立ち向かう弱者」と称し、県民に寄り添って権力に立ち向かうとする姿勢をアピールしたのだ。

これに対し、岩井は「大井川流域住民の理解と協力なくして着工はない」と、県の従来の立場をとることで、争点化を避ける作戦に出た。

むしろ、県政の刷新を前面に掲げ、産業振興や人口減少問題などに力を入れると訴えたのだ。
しかし、この作戦では、水問題への危機感が強い大井川流域で支持の浸透を図れないと、地元から、すぐに悲鳴があがった。

告示直前の5月下旬、私のもとに「近く、岩井がリニアのルート変更や工事中止に言及する」という情報が寄せられた。

静岡県を通らないルートに変更することを選択肢にするというのだ。
すでに複数の国会議員がJR東海に接触し、「岩井はこれからリニアのルート変更を訴えるが、それは地元の理解と協力を得られなかった場合の話だ」と根回しをしているという。

そして5月25日。
川勝との公開討論会で、岩井は初めて「ルート変更」を口にした。
「JR東海が流域にしっかりとした姿勢で向き合わないのであれば、いろんな選択肢、ルート変更や工事中止も考えながら、国やJRに対し強い姿勢で臨んでいく」
踏み込んだ岩井に対し、川勝はすぐさま応戦した。
「大変重要な発言をされた。今回、菅首相の推薦や県内すべての議員からの推薦を得た上で、ルート変更や工事の中止を考えていると。本来はJR東海しか計画の変更を決められないが、これは自民党の責任で発言しているのか。もしそうであれば、大変頼もしい」

リニアは政府が低金利で資金を供給する「財政投融資」で建設を全面的に後押ししている事業だ。この状況を見透かし、岩井を追い込むかのような川勝の発言。
岩井は、川勝の作った土俵に誘い込まれた。

3日後、JR東海の社長・金子慎は「ルート変更について、これは大変難しい、考えられないというふうに申し上げていて、それは変わらない」との見解を示した。
岩井はその後、「私は大井川の水を命がけで守る。リニアを政治利用する川勝とは違う」などと訴えたが、川勝との差を明確にできなかった。

川勝の土俵の上で、なすすべがなかった。

対照的な選挙戦

岩井は、自民党の組織力を活かした選挙戦を展開。選挙カーで県内をくまなく回って新型コロナウイルス対策などの演説を繰り返した。
応援には地元選出の上川陽子法務大臣のほか、茂木敏充外務大臣、加藤勝信官房長官、岸田文雄前政務調査会長、石破茂元幹事長、稲田朋美元防衛大臣など多くの国会議員が続々と駆けつけ、マイクを握った。

一方、川勝はかつて茶畑の開墾に使われた大井川にかかる観光名所の「蓬莱橋(ほうらいばし)」を訪れるなど、水を守る姿勢をアピールしつづけた。
華やかな弁士をたてることは、ほとんどしなかったが、あちこちで老若男女から「平太さ~ん!」と声をかけられる姿からは、県民からの人気を感じた。

流れ決めた“リニア”

民意を得たのは、「命の水を守る」と訴えた川勝だった。岩井に30万票以上の大差をつける95万票余りを獲得した。
当選後、川勝は「水を守れるかということを託されていると思って、しっかり解決して道筋をつけたい」と述べた。

そして「猛獣は自滅した」と自民党をあおった。

「リニアの早期開業は自民党の公約だ。本当ならば、なぜリニアが必要なのか、堂々と論陣を張ってこなくてはならない。それをルート変更だとか工事の中止といって、選挙中、大物国会議員が応援に来ていた。自民党がルート変更を容認しているとしか思えない、大きな転換点だ。言ったからには、JR東海に意思決定を突きつけるのが大事だ」

出口調査で、リニアをめぐる川勝知事の対応の評価を尋ねたところ、74%の人が「大いに評価する」・「ある程度評価する」と答えた。そして、評価した人の70%台後半が、川勝に投票していた。
自民党支持層の50%近くも川勝に流れていた。

命や暮らしに関わる水。
誰もがないがしろにできないテーマ設定で、川勝はしたたかに票を集めたのだ。

“夢の超特急”の行方は

一方で、事前に行った県民1000人へのインターネットアンケートでは、「リニア工事と大井川の水問題がどう決着することを望むか」ということも尋ねた。
「水量減が生活に影響なければ容認(25%)」が最も多く、次いで、川勝が訴える「流出する水の全量戻しをJRが確約(20%)」となった。
より現実的な解決を期待している県民も少なくなさそうだ。

川勝はリニアをどう決着させようと考えているのか。

ぶつけてみた。

「新型コロナで新幹線の乗客は減り、オンラインの時代到来で移動の必要性も低くなった。川勝のせいではなく、リニアそのものの足元が崩れてきている。このまま進めていいのか、一度立ち止まって考えるべきだ。意思決定できる人の説得を試みたい」

すでに2027年の開業は難しくなっている。
静岡県民の民意と、JR東海、それに国土交通省との間で、川勝は、どのような着地点を探るのか。

“夢の超特急”の行き先は、まだ見えない。
(文中敬称略)
静岡局記者
高橋 路
2016年入局。静岡局に赴任して6年目。現在は、県政キャップ。富士山を眺めるのが好き。