「演奏できない」“ビルマの竪琴”に魅せられた若者の今

「演奏できない」“ビルマの竪琴”に魅せられた若者の今
ミャンマーの伝統楽器、サウン・ガウ。あの名作「ビルマの竪琴」で主人公が奏でた美しい音色で思い出すという人もいるのではないでしょうか。この楽器に魅せられ、苦学の末プロの演奏家になった若者がいます。しかし、軍のクーデター以降、思うままに演奏できない毎日を強いられています。クーデターが市民から何を奪ったのか、ある若者の記録です。(制作局第3制作ユニット ディレクター 小林美月)

クーデターで演奏できない

太平洋戦争末期のビルマ(現在のミャンマー)で戦闘を続ける日本軍部隊が敗戦を知り復員するまでを描いた映画「ビルマの竪琴」のラストシーン。

主人公は、一緒に日本に帰ろうと呼びかける仲間たちに対し、「仰げば尊し」を奏でます。戦死した日本兵の鎮魂のためにひとり現地にとどまることを選んだ自分の気持ちを音楽で伝えたのです。

このシーンで演奏されたのが、ミャンマーの伝統楽器、サウン・ガウです。その美しくもはかなげな音色が聴く人の心を打ちます。
その音にひかれ、苦学の末にたて琴奏者となる夢をかなえたミャンマーの若者がいます。最大都市ヤンゴンでプロの演奏家として生計を立てていたアウン・チョウさん(仮名 20代男性)です。
ことし2月の軍によるクーデターのあと、市民によるデモ活動と軍や警察による弾圧が激しさを増す中で、演奏家としての活動を断念せざるをえませんでした。
アウン・チョウさん
「私自身はデモに身を投じることはありませんでしたが、市民の思いは痛いほどよくわかりました。それと同時に、激しさを増す抗議活動の様子に、レッスンの再開がますます難しい状況にあるということを痛感しました」

苦学の末につかんだ夢

今は、両親のもとに身を寄せているアウン・チョウさん。故郷は、見渡すかぎりの田園風景が広がる、ミャンマー随一の穀倉地帯にある農村です。

家族が信仰する土着神・ウーシンジーはたて琴の名手とされていることもあり、その音色は、アウン・チョウさんの生活に根づいていました。
幼い頃から歌と音楽が好きで、本格的に音楽を学びたいという思いを強くしますが、学費の負担が大きいこともありためらっていました。背中を押してくれたのは両親でした。
アウン・チョウさん
「両親は長く続いた軍事政権のもと、貧しい生活の中で育ちました。望んだ教育が受けられなかったんです。だからこそ、私の夢を応援し、音楽大学に進学する資金を捻出してくれました」
進学した音楽大学で選んだのは、たて琴。プロとしてやっていけるのはほんの一握りという、伝統音楽の世界に飛び込みました。

楽譜がないため、すべてを耳で聞いて覚え暗記する厳しい練習の毎日。その合間には、不足しがちな学費を稼ぐための肉体労働も。

しかし、才能を見込んだ大学の教員の支援もあって無事卒業。ただひとり、プロのたて琴奏者としてのキャリアを歩み始めました。

順調に見えたスタートも

高級ホテルでの演奏の仕事が軌道にのると、伝統音楽だけでなく西洋のクラシック音楽や現代音楽もアレンジしてレパートリーに加えるなど工夫を重ね、人気を博していきました。

さらに、演奏を聴いた外国人から個人レッスンも依頼されるようになり、十分な収入を確保できるようになりました。

そんな矢先に発生した軍のクーデター。弾圧が激しさを増す中で、たて琴を奏でる余裕はなくなっていきます。
日に日に状況が悪化していく中、生徒だった外国人も慌ただしく国外へ脱出していきました。あいさつを交わす余裕もなかったといいます。
アウン・チョウさん
「私の教えていた生徒たちは、全員帰国しました。講師を始めるきっかけを作ってくれた女性は、スタジオの場所を借りてくれていましたが、彼女にスタジオの鍵を返すことすらできていません。それほど突然のことでした」
その後も銃声がやむことはありません。現地の人権団体は6月20日現在で、870人以上が亡くなり、5000人以上が拘束されているとしています。

将来を悲観するようになり、ふるさとに戻る決断をしました。
アウン・チョウさん
「今のミャンマーに海外から観光客が訪れることはないでしょう。お客さんがいなければ、たて琴を弾く機会もないのです。生徒たちも戻ってくることは難しいでしょう。先の見通しが全くつかなくなってしまった今、私はなんのために練習をするのかわからなくなってしまいました。ヤンゴンには生活の糧もないので、実家に戻るしか選択肢はありません」

変貌したふるさと

しかし、戻った故郷も一変していました。

毎日のように広場に人が集まってはお菓子を食べたり、酒を飲んだりと、団らんが絶えなかった村には、仕事を失って都会を追われた人々が流入し、面識のない人が増えたのです。

軍の兵士が昼も夜も村を見回るようになり、密告者が村人の行動を監視していると言われていました。
アウン・チョウさん
「隣の村では軍の批判をしたとされた人たちが密告され、捕まりました。皆、互いに疑心暗鬼で、気軽に隣人と話すこともできません」
笑いの絶えなかった家族にも重苦しい空気が漂っていました。両親は常に軍や密告者に見張られている心労から体調を崩し、寝込むようになってしまいました。

繰り返される悲劇

長く軍が政治の実権を握り続けてきたミャンマーでは、民主化をめぐり市民と軍が衝突する悲劇が繰り返されてきました。

音楽や表現の自由を失うまいと闘った多くの音楽家たちが犠牲を払ってきました。
市民楽団の歌手だったチョ・チョ・アイさんもその1人です。

反政府運動に身を投じ、数千人が死亡したとされる1988年に軍の弾圧を逃れて日本に亡命しました。

今、ミャンマーの音楽家たちが、音楽を奏でる自由を再び奪われていることに深い悲しみを感じています。
チョ・チョ・アイさん
「ミャンマーで所属していた楽団は、1988年の軍のクーデターによって団員がばらばらになり、活動停止に追い込まれました。しかし、10年前の民主化以降、才能のある若手をスカウトして団員数も増え、かつての活気を取り戻しつつあったんです。だからこそ、再び表現の自由が奪われ、音楽家が音楽をできないという今の状況はとても悔しいです」

再び舞台に立てる日は来るのか

働けない両親に代わり、一家の生計を担うことになったアウン・チョウさん。日が昇ってから日が暮れるまで、ひとりで田畑を耕す毎日です。
アウン・チョウさん
「一日中、農具を握っているため、手の皮が硬くなり、たて琴の弦をはじく感覚がつかみにくくなってしまいました。たて琴の繊細な音色を奏でるためにあった私の手は、すっかり農夫の手になってしまいました」
将来への希望も気力も失いかけているアウン・チョウさん。いま、たて琴の音色に耳を傾けてくれる人はいません。

再び、たて琴奏者として舞台に立てる日が来るのか。ミャンマーの若者に重い現実がのしかかっています。
NHKでは連日のニュースを始め、NHKスペシャル『緊迫ミャンマー 市民たちのデジタル・レジスタンス』などの特集番組で現地の実態を伝えてきました。私たちは映像や情報の収集を続け、これからもクーデター後のミャンマー情勢について発信していきます。ミャンマーで今、何が起きているのか、下記のリンク先までぜひお寄せください。
制作局第3制作ユニット ディレクター
小林美月
2020年入局
大学院時代、ミャンマーで2年間現地の研究活動
その人脈をもとに現地の情勢を見つめ続けている