沖縄の人たちが語った「ことば」とは… 平和願った慰霊の一日

住民を巻き込んだ激しい地上戦で20万人を超える人が亡くなった、太平洋戦争末期の沖縄戦から76年。沖縄は23日「慰霊の日」を迎え、各地で平和への祈りがささげられています。

“決して忘れない” “伝え続ける”
犠牲になった肉親に朝早くから手を合わせる人や、平和への誓いを新たにする人…。きょう23日の沖縄の表情を見つめました。

「平和の礎」 早朝から祈り

沖縄戦の最後の激戦地、糸満市摩文仁の「平和の礎(いしじ)」ではことしも朝早くから祈りをささげる人たちの姿が見られました。

父と姉亡くした82歳男性「そばで艦砲射撃の破片で亡くなった」

沖縄戦で父親と2歳年上の姉を亡くした那覇市の82歳の男性は「姉は一緒に沖縄本島北部に逃げている時、すぐそばで艦砲射撃の破片にあたって亡くなったので当時のことはよく覚えています。きょうは『いつも見守ってくれてありがとう。みんな元気です』と伝えました。平和がいちばんで、戦争には反対です」と話していました。

父の名前が刻まれた82歳男性「毎年 父親に会いに来ています」

中城村の新垣勲さん(82)は沖縄戦で犠牲となった父親の名前が刻まれた平和の礎の前で手を合わせました。

新垣さんは「父親がどこで亡くなったかわからず遺骨も見つかっていません。毎年、父親に会うためここに来ています」と話していました。

新垣さんは母親と姉とともに3人で沖縄本島北部に疎開しましたが、母親は戦後マラリアで亡くなったということです。

新垣さんは「布団もないかやぶき屋根の建物の中で母親の熱を下げようと直接、頭に水をかけていました」と、時折ことばを詰まらせながら当時の様子を振り返っていました。

海軍兵だった兄亡くした女性「戦争は恐ろしいと伝えていく」

沖縄戦で海軍兵だった3歳年上の兄を亡くした沖縄県糸満市の新垣宏子さん(93)は、兄の遺影を持って平和の礎を訪れました。

新垣さんは「家族で唯一犠牲になった兄に毎年会いに来ています。優しい人でした」と涙を流しながら話していました。

そのうえで新垣さんは「沖縄県内でも慰霊の日を知らない人がいると聞くので、戦争は恐ろしいことだと後世にしっかりと伝えていかなければならないと思う」と話していました。

戦没者追悼式 “宣言”で規模を大幅縮小

糸満市摩文仁の平和祈念公園では正午前から沖縄県主催の戦没者追悼式が開かれました。

ことしは緊急事態宣言が出ていることから県外からの来賓や一般の県民の参列は見送り、例年は5000人規模だった参列者の数が去年よりさらに少ない36人に絞られ、正午に1分間の黙とうをささげました。

玉城知事「平和宣言」 “沖縄戦の実相・教訓 伝え続ける”

式で沖縄県の玉城知事は「平和宣言」を読み上げ「沖縄戦の実相と教訓を次世代に伝え続け、人類社会の平和と安寧を願い、国際平和の実現に貢献できる『安全・安心で幸福が実感できる島』を目指し全身全霊で取り組んでいく」と述べました。

また、来年で沖縄が本土復帰50年の大きな節目を迎えることについて「辺野古新基地建設が唯一の解決策という考えにとらわれることなく『新たな在沖米軍の整理・縮小のためのロードマップ』の作成と、目に見える形で沖縄の過重な基地負担の解消を図ることを要望する」と述べました。

中学生「平和の詩」 “平和な世の中をつくる”

式の中では沖縄県宮古島市の中学生、上原美春さんがことしの「平和の詩」に選ばれた「みるく世の謳」を朗読しました。

上原さんはめいが生まれて初めて命の芽吹きを目にして感じた平和への思いと、多くの命が犠牲になった76年前の戦争の悲惨さを対照的に描き平和な世の中をつくっていきたいと訴えました。

「ひめゆり学徒隊」慰霊祭“決して忘れない”

沖縄戦で負傷兵の看護に動員され多くの犠牲者が出た「ひめゆり学徒隊」の慰霊祭が沖縄県糸満市で開かれました。

那覇市にあった沖縄師範学校女子部と県立第一高等女学校の生徒と教師が動員されたひめゆり学徒隊では戦闘に巻き込まれて136人が亡くなり、動員されなかった生徒も合わせると2つの学校で227人が犠牲になりました。

糸満市の「ひめゆりの塔」で開かれた慰霊祭は新型コロナウイルスの影響で去年に続き大幅に規模が縮小され、元学徒などおよそ20人が参列しました。

ひめゆり同窓会の会長で沖縄戦当時、宮崎県に疎開していた玉城節子さん(92)は「皆さんのことを決して忘れることなく戦争のない時代を未来につないでいくことを誓います」と述べました。
このあと元学徒たちは卒業式で歌うはずだった「別れの曲(うた)」を涙ながらに歌いました。

ひめゆりの塔と同じ敷地内にある「ひめゆり平和祈念資料館」はことし4月にリニューアルオープンしましたが、新型コロナの影響で来館者が激減し厳しい運営が続いています。

ひめゆり平和祈念資料館の普天間朝佳館長は「とても寂しい慰霊祭になってしまったが、コロナが収まったらリニューアルした展示をぜひ見に来ていただき平和について学んでほしい」と話していました。

「白梅学徒隊」慰霊祭

沖縄戦に動員された「白梅学徒隊」の女子学徒などを追悼する慰霊祭が、新型コロナウイルスの感染拡大を防ぐため規模を大幅に縮小して行われました。

「白梅学徒隊」は沖縄戦で日本軍に看護要員として動員された沖縄県立第二高等女学校の生徒たちの学徒隊で、糸満市にある「白梅の塔」では学徒として動員された22人と動員はされなかったものの沖縄戦で亡くなった生徒などを加えた、合わせて149人を追悼する慰霊祭が開かれました。

感染対策で規模縮小 SNSで配信

90歳を超える戦争体験者が参列しましたが、ことしは感染を防ぐため規模が大幅に縮小され、参列できない人のためにインターネット上で式の様子が生配信されました。

また、SNSを通じて112人からメッセージと花が寄せられました。

参列した体験者たちは現場に来られなかった人の思いも込めながら平和への祈りをささげていました。

元学徒隊 中山きくさん「戦争に正義はないと伝え続ける」

元学徒隊の中山きくさんは「活動を支援する人たちがいろいろ準備をしてくれて感謝しかありません。私たちの体が動かなくなっても戦争に正義はないということは伝え続けなくてはなりません」と話していました。

高校生 慰霊祭をSNSで「戦争の記憶を継承したい」

那覇市にある沖縄尚学高校地域研究部の生徒たちは白梅学徒隊の体験を語り継ぐ活動を行っていて、毎年慰霊祭に参列していますが、ことしは自宅でインターネットを通じて慰霊祭の様子を見ました。
部長の登川拓磨さんは「SNSを通じて慰霊祭を見ることができたしメッセージも送れたのでよかったです。自分たちも次の世代に戦争の記憶を継承していきたいです」と話していました。

また、副部長の神里春七さんは「新型コロナウイルスの影響で体験者の話を直接、聞く機会がなかったのですが、初めて聞けてよかったです。声を聞くことで戦争を身近に感じることができると感じました」と話していました。