「50」か「0」か ~観客上限決着の舞台裏~

「50」か「0」か ~観客上限決着の舞台裏~
開催、中止、再延期。東京オリンピックをめぐっては開幕まで1か月に迫ってもなお、さまざまな意見がある。史上初めての延期が決まったあと、東京大会は新型コロナウイルスの感染状況に翻弄され数多くの課題に直面してきた。その中で最大の焦点となったのは「観客」の扱いだった。さまざまな思惑が複雑に絡み合い、判断が遅れに遅れた末、開幕1か月前になってようやく結論が出された観客の扱い。これは大会組織委員会を担当記者として、その舞台裏を取材してきた記録だ。
(スポーツニュース部記者 松山翔平 猿渡連太郎)

ようやく決まった観客

開幕まで1か月を前にした6月21日、組織委員会やIOCなど5者による会談で、オリンピックの観客は「収容定員の50%か1万人を原則とする」形で決着した。

ただ、今後の感染状況や医療のひっ迫状況によっては、無観客での開催もありうるという、いわば玉虫色の結論で開催直前、いや大会に入ってからも、無観客になりうる可能性を秘めたまま、東京大会は開幕を迎えることになりそうな見通しだ。

議論の山場は春

最も難航した「観客」の扱いの議論が本格化したのが、延期決定から半年以上過ぎた去年11月だった。
幹部
「議論の山場は春」
政府と東京都、そして組織委員会による新型コロナ対策を協議する会議で、ことしの春までに最終決定をすることが決まった。

組織委員会の幹部は「(最終決定は)直前というわけにはいかず、一定の準備の時間が必要だ」と明かした。当時、その発言を疑う余地はなかった。

春までには決まる、そう思っていた。

浮上する無観客

大会関係者
「観客なしということを考えないとなぁ」
感染状況が悪化しオリンピックに対する風当たりも徐々に強まる中で、初めて大会関係者から「無観客」ということばが飛び出したのは去年の年末だった。
6万8000人を収容する、あの新しい国立競技場に観客が入らない、そんなことがあるのだろうか?

その時はまだ、現実感がなかった。しかし、年が明けて2回目の緊急事態宣言が出されるといよいよその流れは鮮明になる。
1月。当時の森会長は初めて公の場で「無観客ということも当然想定している」と明らかに。IOCのバッハ会長もそれを認める発言をして、東京大会の「無観客での開催」が現実味を帯び始めた。

のちに、組織委員会の幹部が「あのときに決めておけば」と振り返る、このタイミングで無観客開催に踏み切らなかったことで、観客をめぐる議論は迷走を始める。

春の嵐…

2月、組織委員会に激震が走る。大会の招致から先頭に立ってきた森会長がみずからの発言の責任を取って辞任し新たに橋本会長が就任した。
みずからアスリートとしてオリンピアンとして、オリンピックになみなみならぬ思い入れを持つ橋本会長。就任直後から常に選手をいちばんに考えた発言をしてきた。

「アスリートファースト」

橋本会長が何度も繰り返す、その思いの強さが、観客をめぐる議論にも大きな影響を及ぼすことになっていく。
当初、観客の扱いに結論を出すはずだった「春」。3月に入ると聖火リレーも始まり、組織委員会の内部では、オリンピックに向けた機運が盛り上がることにわずかな希望を持っていた。

しかし、海外での変異株の広がりもあり、大会への賛否は分かれたままで中止を求める声も日に日に強まっていった。
そうした声に押されるかのように、聖火リレーが始まる5日前、海外からの観客受け入れ断念が決まり、4月に国内の観客の上限を決めることに。

その裏には「国内の観客は入れられる」というねらいが透けていた。

混迷する“観客”の扱い

当時、多くの取材先が口にしていたのが「50%」という数字だった。会場の収容人数の半分、つまり国立競技場なら3万4000人が入るという計算だ。

ただそのトーンも感染者の増加とともに徐々に変わっていった。

東京などにまん延防止等重点措置が適用された直後のことだ。
幹部
「『4月に観客の上限を決める』と決めた時とは明らかに違う。いろいろと考えなければいけない」
その後、与党幹部の中止を示唆した発言をきっかけに、この動きに拍車がかかる。取材に当たる私たちにも緊張が走った。

“中止も考えなければいけない…”

それまで開催に向けて一貫して自信を示していた幹部も明らかに態度が違っていた。
記者「代表選手を決める予選ができなくなってくると中止も現実的か?」

(5秒くらい間があっただろうか)
幹部「そうだなあ…」
それ以上のことばは返ってこなかった。

後にも先にもこの幹部が中止の可能性を示唆したのは、この時だけだった。

浮上する“無観客”論

大会の中止だけは避けたいと、再び浮上したのが「無観客」という選択肢だった。

都内などに3回目の緊急事態宣言が出された4月下旬、組織委員会内部では「無観客開催を明言すべきだ」という意見が出ていた。
幹部
「早く無観客を打ち出したほうがいい」
最初に無観客が取り沙汰された時、決めておけばとこぼした幹部は、そう繰り返した。

国内の観客の扱いを決めるとした4月の5者会談を前に、流れは急速に無観客開催へと傾いているようだった。
橋本会長
「無観客も覚悟する」
5者会談を終え橋本会長も初めて公の場で言及した。もはやこの流れは止められないと感じた瞬間だった。

観客の鍵を握るのは…

“無観客開催”の結論はいつ出るのか?私たちの取材の焦点が、そこに絞られつつあった5月中旬。
幹部「観客入れられるなぁ」

記者「はい?」

幹部「無観客で発表しようと思っていたけど、5000人でもいいかなと」
突然の方向転換だった。それでも必死に平静を装ってその理由を尋ねると。
幹部「プロ野球やサッカーは宣言出ていても観客入れてできているから」
政府の緊急事態宣言延長のあと緩和されたイベントの開催制限。
一時、無観客で開催されていたプロ野球とJリーグも、観客を入れて開催するようになっていた。

さらに決定的に流れを変えたのが接種が始まった「ワクチン」だった。
IOCは東京大会に参加する世界中の選手団にワクチンを提供すると発表。国内でも高齢者向けの接種が進み、職域接種なども始まる見通しとなると「中止か無観客か」という悲観論が、急激に変わっていった。

その中心にいたのも橋本会長だった。
幹部
「組織委員会の中でも無観客論が多数になった時期があったが、その時でさえ、会長は選手のためになんとか観客を入れてあげたいって、かたくなだった」
観客の存在が選手に与える影響をいちばん知っていた橋本会長の思いが、土壇場で踏みとどまる決め手となったというのだ。

最後の攻防 専門家の警鐘

3回目の緊急事態宣言が出されて1か月余り。

新規の感染者数が落ち着くとともに、制限をしながらも観客を入れてできるだろうという楽観論が広がる中、突如、観客をめぐる議論は迷走を始める。そのきっかけは専門家からの警鐘だった。
尾身会長
「今のパンデミックの状況でオリンピック開催は、普通はない」
組織委員会などに提言すると打ち出した尾身会長。組織委員会関係者も敏感に反応した。
関係者
「専門家の意見を無視したら、世論は持たない」
“尾身提言”には一体どんな文言が書かれるのか。それが結論に向けたラストピースとなるのではないか。
公表された提言は「無観客開催が最もリスクが少なく、望ましい」と、無観客を強く打ち出すものだった。その一方で、観客を入れる場合でもより厳しい基準に基づいて行うべきだという内容だった。

最終盤で再び突きつけられた「無観客」という選択肢。

しかし、組織委員会幹部の反応は意外だった。
幹部
「尾身先生は感染状況については厳しい見方をしていたけど、『アスリートのためにも開催はしてあげたい』と言っていた。ホッとした」
「中止」という文言が入らなかったことで安どの表情を見せたのだった。
こうして迎えた4回目の5者会談。わずか1時間で終わった会談での観客を入れての開催という決着は、もはや既定路線のように見えた。

専門家に“観客を入れて開催することは否定されていない”ということと、政府の方針に準じていること、という2つの要因がそのよりどころだった。

“観客を入れる”東京大会が目指すもの

こうして最大の焦点だった「観客」の扱いは決着した。およそ世論の理解が得られたとは考えにくく、無観客でも大会が開催できればいいのではないかと思う人も多いだろう。

それでも運営側が”有観客”にこだわってきた、その真意はどこにあるのだろうか。

選手、スポンサー、大会関係者、それぞれのためであり、大会経費を少しでもまかなおうという側面も当然あるだろう。ただ、それだけにはとどまらない理由を合意文書の中にかいま見た気がした。
『子どもたちが観戦するための学校連携チケットは、別枠とする』

57年ぶりに自国で開催されるオリンピックで、トップアスリートが見せる姿や世界中から集まる人たちの多様性を未来ある子どもたちに見せてあげたい。

それを身近で感じる機会は、一生に一度の思い出になり、コロナ禍で自粛や我慢を強いられている今の子どもたちにとってかけがえのない経験になるのではないか。

「子どもたちの豊かな人生と未来につながるのであれば」

そんな願いが込められている気がした。

もちろん、子どもたちを感染リスクにさらすのかという懸念も理解できるし、オリンピックより命のほうが大切だという指摘はもっともで、今後のコロナの状況によっては、観客の扱いを変える判断を躊躇してはならないことに違いはない。

それでも、スポーツの現場と組織委員会の両方を取材してきた私たちは、このオリンピックが、日本社会とスポーツの未来に残すであろう“何か”を追い続けていきたいと思っている。開幕までの1か月も、大会中も、大会が終わったあとも、それを見届けていきたい。
スポーツニュース部記者
松山翔平
新聞社の営業職から2010年入局
大分局・千葉局・広島局を経て現所属
組織委員会やスポーツ庁などを取材
スポーツニュース部記者
猿渡連太郎
2013年入局
宮崎局を経てスポーツニュース部
これまでプロ野球と相撲を担当し、
2020年から組織委員会を取材