北海道で酒蔵 “新設ラッシュ” 背景に何が?

北海道で酒蔵 “新設ラッシュ” 背景に何が?
いま、北海道で次々と日本酒の酒蔵が新設されています。その数は建設中も含めると年内に16か所となる予定で、過去5年でおよそ1.5倍に増加する見込みです。なかには、本州から移転してきたり、地域で数十年ぶりに設けられたりした酒蔵もあります。なぜ次々と増えているのでしょうか。
(旭川局記者 山田裕規、函館局記者 西田理人)

北海道へ蔵ごと引っ越し

新設された酒蔵の1つは、北海道のほぼ中央に位置する東川町にあります。

町がおよそ3億5000万円をかけて去年11月に建設しました。東川町は、大雪山系の雪どけ水を源流とする豊かな地下水を利用した稲作が盛んで、自慢のコメを生かした日本酒を特産品にできないかと考えたのです。地酒を生み出し、農業や商業、観光業などの活性化につなげようというねらいもありました。

しかし、町に酒造会社はなく、酒造りのノウハウがありません。そこで、酒蔵の運営を担う民間事業者を公募。
そこに手を挙げたのが、およそ1000キロ離れた岐阜県中津川市にある明治10年創業の酒造会社、三千櫻酒造でした。

移転の背景に温暖化

代々引き継いできた酒蔵をたたんで、職人ともども北海道に移り住むことに決めたのが、6代目社長の山田耕司さん(61)です。

山田さんが移転を決断した理由の1つが「温暖化」です。酒造りは冬の寒さを利用して行いますが、近年、温暖化の影響もあって気温が高く、思うような酒造りができなくなってきていると感じていました。

例えば、蒸した酒米にこうじや水を加えて発酵させる仕込み作業。これまで、蒸し上がった酒米は、早朝の冷たい空気で冷ましていましたが、最近は冷めにくくなっているといいます。
酒米を十分に冷まさないまま酒造りを進めると、品質にも影響が出かねません。冷えるまで待つこともできますが、それでは手間がかかり、効率が落ちてしまいます。

私たちが去年2月、中津川市の酒蔵を訪れた際、山田さんは「暖かいと非常に酒造りの作業が面倒になる。いい環境でお酒を造りたいというのが非常に大きかった」と北海道への移転を決断した理由を説明していました。

酒米の質も…

さらに、山田さんが心配していたのは、日本酒の原料となる酒米の品質の劣化です。

本州では近年、高温によってコメが白く濁り、崩れやすくなったり粘りが強くなったりする現象が起きています。こうした酒米は「乳白米」と呼ばれ、酒造りには適しません。暑さによる酒米への影響は、20年ほど前から酒米の一大産地として知られる兵庫県などで見られるようになったということです。

また、見た目は問題なくても高温障害にあった米は、仕込みの際、成分が分解されにくく、できあがる酒の量が通常より減ってしまうということです。
日本酒に詳しい酒類総合研究所の奥田将生さんは、「酒造会社から、『コメが消化(分解)されにくい。どうしたらいいのか』という声が寄せられている。酒としてできあがる量が減り、コスト面で不利になっていくので悩むのだろう」と話していました。

地元の農家も協力

今回、新たな酒蔵が設けられた東川町は年間の平均気温は6.5℃。岐阜県中津川市よりも7℃低く、厳しい冬の気候は酒造りに最適です。

また、北海道といえば「ゆめぴりか」など食用のブランド米が知られるようになっていますが、酒米についても地元の冷涼な気候にあう「彗星」や「きたしずく」といった新品種の開発を進めてきました。
東川町内ではできたばかりの酒蔵の酒造りを後押ししようと、5軒の農家が新たに酒米の栽培を始め、去年は合わせて20トン余りを提供しました。

ことしは作付け面積を拡大し、生産量も増える見込みです。

酒造りに試行錯誤も

東川町に酒蔵ごと移転してきた酒造会社の山田さんですが、新天地での酒造りには試行錯誤もありました。

その1つが、仕込みに使う東川町の地下水の特性です。

東川町の水は、中津川市の水より硬度が高く、発酵のスピードをはやめるミネラルを多く含んでいるため、思うような味に仕上がらない懸念があったのです。
そこで、酒の元になる「もろみ」が入った醸造タンクの周りに冷水ジャケットと呼ばれる特別な冷却装置を巻くなどして、発酵がゆっくり進むよう低い温度での管理を徹底しました。

コロナ禍でも売れ行き伸ばす

こうして完成した東川町の地酒は、岐阜時代から続く伝統の銘柄はそのままに、北海道の素材を生かした酒となりました。現在は連日、出荷作業に追われています。

ことし、すでに一升瓶にして1万本以上が出荷され、コロナ禍でも売れ行きを伸ばしています。
山田さんは、「北海道と岐阜県では、土地の水や、土地の条件が違うので、良い酒を目指して切り替えないといけない。来シーズンはもっといいものができると思います」と意気込んでいました。

本州の酒蔵を引き継ぐ

一方、本州にあった酒造会社を引き継ぐ形で、新たに日本酒造りを始めた人もいます。

新たに誕生した酒蔵の代表の冨原節子さん(70)です。
冨原さんは北海道南部の七飯町で100年ほど続く酒店を営んでいますが、各地で醸される地酒に魅せられ、利き酒師として地酒の販売にも力を入れてきました。

過去には酒蔵で酒造りを学んだ経験もあり、いずれは、北海道南部の地元にこだわった地酒をつくりたいと願ってきたといいます。
冨原節子さん
「その土地の料理と地酒が出てきて、そうすればやっぱり味わいの楽しみ方が違いますよね。郷土の宝になります。できたらここで地域の魅力になる日本酒の醸造をなんとかできないだろうかと思っていました」
しかし、酒の好みの多様化やアルコール離れによって、日本酒の消費量は全国的に減少が続き、平成30年度にはピーク時に比べて3分の1以下に落ち込みました。

需要の低迷などから新たな酒造免許の発行も原則、認められず、新規参入は難しいとされてきました。
そうした中、目をつけたのが日本酒の酒造免許を持つ酒蔵を引き継ぐことでした。

冨原さんは知り合いの酒蔵のつてをたどり、後継者不足などを理由に休眠していた岡山県の酒造会社と交渉。酒蔵を移転する形で引き継ぎ、新たな銘柄を立ち上げました。

引き継ぎには数年かかりましたが、ことし2月、実に道南では35年ぶりの日本酒の醸造にこぎ着けました。
新たな酒蔵に招いたのは、北海道内で指折りの杜氏・東谷浩樹さんです。

全国レベルの鑑評会で「金賞」を3回受賞した実績があります。日本酒の味わいの鍵となる米や水を地元産にこだわった原料に、東谷さんもこれまで培ってきた技術を注ぎ込みます。
杜氏 東谷浩樹さん
「ワイン用語でもあるテロワールというその土地の気候や風土を酒造りに生かす、環境を含めてお酒を醸す、それを味と香りで表現する地酒をつくるというのをずっとやりたかったので、非常に楽しみです。熱い思いを込めて、うま味のある、味のあるお酒を造って多くの地域の方々に届けたいです」
そして迎えたことし4月の初しぼり。

念願の地酒の味わいに冨原さんも少し緊張した面持ちでした。
しぼった酒を口にした冨原節子さんは、「もう感動でことばになりません。口に含んだらビリっと。“蔵元しっかりせえよ”と言われたような気がしましてね」と涙をぬぐっていました。

コクがある中でもすっきりとした味わいで、北海道が誇る海鮮などの食材を引き立てるような地酒ができあがりました。

醸された日本酒の名は「郷宝(ごっほう)」。
ふるさとの宝になるようにと名付けられました。

待望の地酒に期待の地元

こうしてできあがった地酒に地元の期待も高まっています。初回の仕込みタンク醸造の限定分でクラウドファンディングを募ったところ、目標額を超える2300万円余りが集まりました。

また、一般の販売開始から1か月ほどで売り切れる商品もありました。地元の飲食店も熱い視線を送っています。
仕入れた飲食店の経営会社 高野信子代表
「『これが地元のお酒です』と自信を持っておすすめできるものができたので、道南の食材とともにセットで味わえるよう提供できるのは強みです。まずは地元の人に飲んでいただいて、その良さが広がっていけばいいです」

可能性秘める北海道の日本酒

北海道の酒造会社が造る商品の中には、道外や海外の観光客から人気のあった高品質の日本酒もあり、新型コロナの影響で苦しい状況が続いています。北海道酒造組合によりますと、北海道では、消費される日本酒のうち、道内で製造されたものはわずか2割にとどまっています。
裏を返せば、北海道ブランドの日本酒の需要はまだまだ伸びる可能性を秘めているといえ、道外や海外に打って出るチャンスがあります。

酒蔵の“新設ラッシュ”を迎えている北海道の日本酒。

今後一層、熱気を帯びそうです。
旭川放送局記者
山田裕規
平成18年入局
経済部を経て2回目の旭川局で行政や地域経済など幅広く取材
函館局記者
西田 理人
平成29年入局
長崎局を経て現職
行政や農林水産分野など担当