臓器提供 家族の葛藤 移植待つ娘はドナーになった

臓器提供 家族の葛藤 移植待つ娘はドナーになった
脳死状態になったとき、臓器提供を行うには、かつては本人の意思が必要でした。それが、11年前に改正された臓器移植法が施行されて以降、家族の承諾があれば可能になっています。
家族はどのような思いで脳死からの臓器提供を決断しているのか。日本臓器移植ネットワークが臓器提供者の家族を対象に初めて行い、ことし公表された※アンケート調査では、本人の意思が分からない中で提供を決めた家族がおよそ半数に上ります。
重い心臓病で臓器移植を待っていた4歳の娘が脳死状態になり、臓器を提供するという決断をした家族が私たちに語ってくれました。

※アンケート結果は記事の最後に掲載

突然、娘を襲った難病

取材に応じてくれたのは、数年前、娘の臓器提供を行った白木大輔さんと希佳さん夫婦です。

娘の優希(ゆうき)ちゃんは当時4歳。体を動かすのが大好きで、妹の面倒をよく見る優しい子だったという優希ちゃんに突然、異変が起きました。

だるそうにしておう吐を繰り返し、かぜのような症状も。そして顔がむくんでいきました。
「むくみがひどくて、顔が本当にパンパンになった。ちょっとただごとじゃないなと感じました」
告げられた病名は「拡張型心筋症」。血液を送り出す心臓の力が低下する難病で、すぐに入院し、心臓の負担を減らす薬の治療を始めました。
「病名を聞いても全く知らない病気だったので、ピンとこなかった。大変な病気なんだなというくらいな感じでした」

病状が悪化、唯一の手段は心臓移植

入院から2か月後、優希ちゃんは心臓の働きを助ける補助人工心臓なしでは命をつなげない状態に陥り、医師からは「心臓移植を受けるしか道はない」と告げられました。
希佳さん
「それしか生きる道はない。どうやったら助かるかを考えたときに、他人様の臓器を頂かないと命をつなげられないということになるならば、その方法しかないのかと」

移植を待つ日々

臓器移植の必要性を告げられた直後、大輔さんはカメラを購入し、優希ちゃんの写真を撮影、SNSに記録し始めました。
<フェイスブック 12月9日>
「初めてのカメラ撮影。きょうはいろいろシビアで長い1日でした。だからこそ初カメラで撮りました」
大輔さん
「結構当時は、本当毎日くらい泣いてたんですけれど、自分が泣いてても娘の写真を撮るしかないなと思いました。瞬間をもう切り取っていくしかないと思いました」
<フェイスブック 12月16日>
「補助人工心臓の挿入部の出血を止める手術、胸を開くのはこれで3回目。自分の子ながら本当に頑張っている」。
<フェイスブック 12月17日>
「途中、目を覚ましてくれた。『治ったら焼き肉いくよ』と声をかけると『うん』とうなづいてくれた」

家族は懸命に生きようとしていると感じていました。
大輔さん
「暗闇の中、綱渡りで何か光りが差すかわからない状態を目指して、渡るような感じがありました。僕らは臓器が喉から手が出るぐらいにほしかったんですよね」

国内で子どもの臓器移植はほとんどない現実

国内で脳死からの臓器移植が行われるようになったのは法律が施行された1997年。

法律が改正され、2010年からは▽本人の意思が不明であっても家族の同意があれば脳死後の臓器提供が可能となり▽15歳未満の子どもも臓器提供ができるようになりました。

しかし、日本で子どもの心臓移植の件数は少なく、大輔さんと希佳さんは、海外で移植を受ける準備を進めることにしました。
〈フェイスブック 12月27日〉
「12月27日。(海外の)受け入れ先より正式に受け入れることが決まる。まずは一歩前進した。もう1か月も(優希ちゃんの)声を聞いてないから声が聞きたい」

移植を待つ側から提供する側に…

ところが、治療を続けて100日がたったころ、優希ちゃんの容体は急変しました。補助人工心臓の中で血栓ができ、脳の血管が詰まる脳梗塞となったのです。

医師からは、脳の機能の4分の3ほどが失われ、これ以上治療を続けられない、「脳死の状態」だと告げられました。
<フェイスブック 1月10日>
「先生からは脳幹の圧迫もあり脳自体はもうほとんど機能していない。ここからは良くする治療はできないというお話だった。とめどなく涙があふれた。たくさんの思い出が、楽しかった思い出が後押しするように泣いた。こんなに泣いたことはないくらい泣いた」

懸命に生きようとした娘を救いたいと願ってきた自分たちに何ができるのか。娘のことを考え続けてきた大輔さんと希佳さんは重い決断を下します。

優希ちゃんの臓器を移植を待つ人たちに提供することを決めたのです。
<フェイスブック 1月10日>
「少し落ち着いてから先生に優希の臓器を優希のように臓器を待っている子どもたちのために使ってもらえないかとお願いした」
希佳さん
「臓器がほしいということばかり最初は思っていたんですが、命についてしっかりと考えた時間があったから、うちの子がそうなったときにすぐに提供しないとという考えがすっと浮かびました」

「笑顔で送り出したい」最期の家族の時間

臓器を提供する直前、家族は、最期の時間を一緒に病室で過ごし、優希ちゃんの生きた証を残そうと、手形や足形をとりました。

治療中はだっこができませんでしたが、抱きしめました。
〈フェイスブック 1月12日〉
「家族はあたたかい。家族はこの世で一番尊いもの。人は当たり前の毎日にいつも分かったふりをして過ごしてしまう。優希は沢山のことをお父さんに教えてくれた」

娘が気づかせてくれたこと

優希ちゃんの肺と腎臓、肝臓は、病気で苦しむ人たちに移植されました。

白木さんの元には、臓器提供を受けた家族から元気に過ごしているという知らせが届けられています。
大輔さん
「子どもの死は悲しくて乗り越えがたいものですけど、臓器提供を選択することは、その周りの家族の方にも光を灯すことだなと気づかせてくれた」
希佳さん
「亡くなる側も(臓器を)いただく側も、もう平等というか同じ人でお互い様なんだよってことを教えてくれたのかなと。命の大切さ、相手への思いやりの心、自分も相手も同じ命の重さだという、人として一番大切なことを教えてくれたと思います」
(社会番組部・北條泰成、科学文化部・山下由起子、水野雄太)