“山奥ニート”が、見つけた幸せ~限界集落のシェアハウス~

“山奥ニート”が、見つけた幸せ~限界集落のシェアハウス~
人口わずか5人だった和歌山の限界集落。コンビニも娯楽施設もないこの場所に、若者たちが集うシェアハウスがあります。

都会での暮らしに生きづらさを感じ、ここへとやってきた若者たちは、食べていくのに必要な分だけ働き、あとはのんびり。ゆるゆると暮らし、“山奥ニート”と自称しています。

そして、いつの間にか、すっかり地区のお年寄りたちとも打ち解け、一緒に酒を酌み交わす仲に…。そこには、不思議な“つながり”が生まれていました。

“山奥ニート”たちが、限界集落で見つけた豊かな暮らし。少しのぞいてみませんか?
(経済番組ディレクター 金武孝幸)

生活費月2万円 それぞれが“できることをやる”シェアハウス

和歌山県田辺市、最寄り駅から車で2時間の五味地区にあるシェアハウス「共生舎」。

7年前から、ひきこもりやニートが公的な支援に頼らずに暮らせる居場所となってきました。現在は、全国から集まった20代から30代の男女10人余りが暮らしています。

廃校となった校舎を無償で譲り受けて住んでいるので家賃はかかりません。

生活費は、月におよそ2万円。近くの農家やキャンプ場などで時折アルバイトをするなどして収入を得ています。もちろん、税金や健康保険料も納めています。
豊かな自然に囲まれた山奥ですが、シェアハウスの中はインターネットが完備され、住民たちは動画やゲームを楽しんだり、ギターを弾いたり、マンガを描いたり、それぞれのペースで暮らしています。
食事はすべて自炊。日が傾くと、なんとなく誰かが、全員分の晩ご飯をつくり始めます。

ここでは、決められたルールはなく、掃除や買い出しなど、それぞれができることをして助け合います。
共生舎の理事を務める石井新さん(32歳)は、ここに来るまでは、ひきこもりでした。

今でも心はひきこもりのままだといいますが、ひきこもる範囲は、部屋の中から、地区全体へと広がりました。
石井さん
「ここに集まっているのは都会でちょっと疲れてしまった人とか、なじめなかった人たち。山奥でみんなで助け合って生きていこうじゃないかっていう場所です」

家族ではない 友達でも、仲間でもない 適度な距離感

3年前からここに暮らす30代のももこさんは、共生舎の日常をマンガにしています。
ももこさんは、以前働いていた会社で長時間のサービス残業を強いられ、心のバランスを崩しました。

その後、別の仕事につきましたが、そこでも、心をすり減らす毎日だったと言います。
ももこさん
「法律事務所なんで、毎日毎日悩みを抱えた人が来ていて、だいたいは人間関係のもつれとか、借金の方もいました。話を聞くと、あまり気分が良いものではなくて。人間関係とかお金とかそういうのが嫌になって。私の我慢が足りないのかもしれないですね」
ももこさんは、人間関係に悩まずに済む今の生活がとても気に入っています。

マンガをSNSで発信すると、少しずつ反響の声が寄せられるようになりました。その1人1人の温かい言葉が、日々の充実感につながっているといいます。
ももこさん
「マンガ読んでくださった方が、ももこさんのマンガ見るとちょっと心が軽くなる、ほっとするっていうことを言ってくださったときがあって。そう言ってくださる人がいるので、仕事してるなって思います」
話をするのは苦手と言いながら、一つ一つの質問に丁寧に言葉を選びながら答えてくれて、私のイラストまで描いてくれました。

「逃げてもええんやで」自分で自分を許してあげられる場所

31歳の本多寛由久さんは、3日に1度、障害者福祉施設で働いています。人手不足に苦しんできた施設にとって、本多さんはありがたい存在。

本多さんも、なくてはならない一員として、大切にされていると感じています。
5年前、共生舎にやって来たとき、本多さんは心身ともに、ボロボロの状態でした。

もともとは、大阪の小さな建設会社の管理職でしたが、毎日15時間働き、休みは週に1日だけという激務でした。

責任も重く、次第に精神的に追い詰められていきましたが、相談できる相手はいませんでした。
本多さん
「死ぬ、自殺するっていうのも何回か行動に移したことあったんですけど、今一歩その勇気がなくて、毎回失敗に終わるというか…」
本多さんは、共生舎に来たばかりの頃は自室にひきこもっていたといいますが、周囲は干渉もせず、無視もせず、そっとしてくれたと言います。
本多さん
「こんな自分でもみんな受け入れてくれるんですよね。“逃げても別にええんやで”っていう。働いているときは、それは絶対的にあかんと感じてたことやったんで。逃げてもいいっていう選択をして、自分で自分を許すことができたっていうのが一番でかいですね。なかなかそういう環境じゃないじゃないですか。今の世間的には…」

地元住民の思い「私たちがいなくなっても、彼らのユートピアに」

地区のお年寄りは“山奥ニート”をどう思っているのか。

共生舎の隣に暮らす西村潤さん(79歳)は、共生舎の建物を修理してあげたり、車を貸してあげたり、ふだんから何かと“山奥ニート”たちに目をかけています。
西村さんはかつて、この地区で小学校の先生をしていました。当時は林業が盛んで、地区にもたくさんの子どもがいました。

しかし、林業の衰退とともに過疎化が進み、今では、元の住民は5人になってしまいました。

西村さんは、8年前に、50年近く連れ添った妻を亡くしています。3人の子どもたちも地区を離れ、コロナのために、もう長い間会えていません。

西村さんは、共生舎の住民を家族のような存在だと言います。
西村さん
「彼らがいなかったら、一日中、一言もしゃべらずに過ごしているようなときもあると思います。もう10年もすれば、土地の人たちはいなくなってしまって、反対に共生舎の人たちばかりになってしまうんじゃないかなとも思うんですけど、ここが彼らのユートピアになってくれるのであれば、まあそれでもいいなと思って」

ニートとお年寄りの間に生まれた“ありがとう”のつながり

地元のお年寄りと共生舎の若者たち。その特別な“つながり”がかいま見える出来事がありました。
3月の末、ももこさんが、お皿いっぱいのドーナツに、得意の似顔絵と一緒に飾りつけをしていました。

ふだんお世話になっている西村さんのために、お誕生会をしようというのです。

夕方、西村さんを共生舎のリビングに招き、みんなで「ハッピーバースデー」を歌った後、おのおのが手作りした料理で、もてなします。
誕生会も終わりに近づいたころ、ももこさんが、西村さんは共生舎をどう思っているのか、尋ねました。面と向かって聞くのは初めてのことです。
西村さん
「7年前まだ独りぼっちやったから。家内が亡くなって。そこに共生舎の人たちが来てくれて、ほんまに、ただ寂しい独り暮らしのおじいちゃんを、これほどまでに皆さんが大切にしてくれてるんで、ありがたい」

ももこさん
「私たちのほうが西村さんに支えられて…」

西村さん
「いや、反対。ほんまに生きがいいうか、ありがたいばっかり」

ももこさん
「生きがいって言ってくださって すごくうれしいです」
都会に居場所を見いだせず、ここに逃れてきたももこさんにとって、自分たちとのふれあいが“生きがい”という西村さんの言葉は、何よりもうれしいものでした。

お互いを大切な存在と認め合い、感謝の気持ちで接する。このつながりもまた“山奥ニート”がこの地を“居場所”と感じる理由なのかもしれません。

限界集落で見つけた本当の幸せ「できる範囲で 誰かのために」

今、共生舎には、入居を希望する人からの連絡が、相次いでいます。しかし、部屋がいっぱいで断らざるをえません。

助けを求めて来る人に、居場所を提供できないか。ここに来て救われた本多さんが動き出しました。心機一転、5年ぶりに髪を切って、色も変えました。
使われなくなった空き家を、貯金をはたいて買い取り、新たにシェアハウスを始める計画です。

仕事の合間を見て、入居予定の若者と一緒に空き家の改装をしています。
この若者も、本多さんと同じように都会での生活に疲れ、ここへの移住を決めました。

隣に住む独り暮らしのお年寄りも、本多さんたちを歓迎しています。お年寄りばかりの集落に若者が来てくれると心強いと、新しいシェアハウスの完成を心待ちにしています。
この日は、お年寄りが2人を自宅に招いて、近くでとれた山菜料理をふるまってくれました。ここでも、新たな“居場所”が生まれ始めていました。
本多さん
「誰か助けてくれるわ」

入居予定の若者
「くれそうですね。うまい」
シェアハウスの完成に向けて、本多さんは現在も改装作業を進めています。

「誰かのために、自分のできることを」
本多さんがここに来て見つけた、「幸せ」のかたちです。
本多さん
「来てくれた人たちが“居場所があるんや”って気付きにつなげられるような場所ができたらいいかな。恩返しっていったらちょっと恩着せがましいですけど。僕がやりたい、できる範囲のことで、やれることがあれば、それがいいかなと思って。そのことで僕も、幸せになれるかなと思ったんで」
「ありがとう」の気持ちを大切に、誰かのために何かができる心の余裕。都会に暮らしていても、持っていたいなと思います。
経済番組ディレクター
金武孝幸
平成23年入局
札幌局、おはよう日本、ニュースウオッチ9を経て経済番組
共生舎で1か月一緒に生活して取材・撮影を行った