ママ こっち向いてよ ~優等生の私が万引きした消しゴム~

ママ こっち向いてよ ~優等生の私が万引きした消しゴム~
たくさん練習した小学校の運動会。100点を取ったテスト。私のことをちゃんと見て、ほめてほしかった。頑張ったねって。

でも、母のまなざしはいつも、知的障害のあった兄に向いていました。

さみしさを募らせた末、万引きした消しゴム。私のことをちゃんと見て、怒ってほしかった。なんでそんなことしたのって。

取材に応じてくれた医師の佑子さん(仮名・20代)。
親の求めに応じて、障害のある兄のケアを担ってきた幼い頃からの日々、そして心の葛藤を語りました。

(首都圏局 記者 石川由季)

知的障害のある兄といつも一緒

私(佑子さん)には、知的障害のある兄がいます。幼い頃から、兄とはいつも一緒にいました。

「一緒にいざるを得なかった」という表現の方が正しいかもしれません。

小学校に入学してから卒業するまで、クラスも同じでした。常に私が兄のそばにいられるよう、親が強く希望したからです。

登下校も、毎日一緒。担任の先生からも「お兄さんのこと、よく見ておいて」と言われていました。
兄が不安定になりパニックを起こすことがあったので、自宅に友達を招いたり、遊びに行ったりすることはほとんどなく、基本的に兄に合わせた生活を送っていました。

兄に合わせた生活を送るのも、私が兄のケアを担うのも、“当たり前”のことでした。親にとっても、担任の先生にとっても。

そして、当時の私自身にとっても。

テストで100点取っても

小学生のときの記憶で印象に残っているのは、運動会や学芸会での出来事です。

兄のことが心配で、親のまなざしは常に兄に向けられていました。

私も頑張って練習したのに関心を示されないので、「私のこと見てた?」といつも思っていました。

学校の成績はよかったです。でも100点を取ったテストも成績表も、親はいつしかちゃんと見てくれなくなりました。

そして、こう感じるようになったんです。

「私は見捨てられている」

言い出せなかった将来の夢

子どもの頃、将来なりたい職業がありました。ただ、なかなか言い出すことはできませんでした。

成績がよかった私の将来に親が期待していることは分かっていたし、兄に合わせる生活をずっと続けていたからなのか、自分の希望を通すことを“わがまま”だと感じていたからです。

当時を振り返って気持ちをつづったノートには、こう記していました。

「みんな自由に自分の夢を思い描いているように見えた」

「親にすすめられた進路を受け入れたくないと思いながらも何も言えず」
母親からは、医者になるよう言われ続けていました。

「兄の分まで2倍、3倍と稼げる医者になってほしい」

それが理由でした。もちろん兄のことは好きだし、大切です。当時も今も。

でもこのときばかりは、兄がいなければ…と思ってしまったのも事実です。

後になって考えれば、それは現実からの“逃げ”でしかなかったんですが。

親が決めた「医師」の道に

結局、自分の気持ちにふたをしたまま、医師の道に進むことを決めました。

家から通える範囲の大学に進学するために、浪人をしました。これも、母の希望でした。

私が兄のケアをするために家から離れてほしくなかったんだと思います。

そして医師免許を取得してから最後のチャンスかもしれないと思い、「実は別の仕事に就きたかった」と打ち明けたことがありました。

このとき母親は、火がついたように怒りました。

「ここまで育ててあげたのに」
「安定していない職業は認めない」

聞く耳を持ってはくれませんでした。

それ以来、自分の本当の気持ちを母親に告げたことは1度もありません。

小学生のとき ポケットに入れた消しゴム

知的障害のある兄のケアを担ってきた「元ヤングケアラー」として、心の葛藤を語った医師の佑子さん。

今回、ずっと言えなかった秘密を打ち明けました。

「小学5年生のとき、近所の文房具屋で消しゴムを1つ万引きしました」

それは、万引きをしていた過去です。

悪いことだと分かっていましたが、そのあとも100円ほどの文房具をポケットに入れて万引きする行為は続いたといいます。
佑子さん
「私みたいな優等生が万引きをしているなんて、家族も学校の先生も誰も考えないだろうなと感じていました。でも、いい子にしていても親に見捨てられてしまうなら、警察の世話になるような悪いことをして見つかったほうがいいと当時は思ってしまったんです」
店の人に顔を覚えられると、「また来ている」という目で見られ、後をつけられたこともあったそうです。

そのとき佑子さんは、こう感じていたと振り返ります。

「この時間だけは、誰かが私のことを見てくれている」

もっと私を見てほしい

欲しくなかった消しゴムや鉛筆を万引きしたのは、親に対する「もっと私を見てほしい」というさみしさの裏返しだったのではないかと、佑子さんは考えています。

「自分のことを見てくれていない」
「いい子にしていても見捨てられている」

そんな思いを胸に抱えたまま「気付いてくれるのではないか」と、わざと親に見えるように万引きした消しゴムを使っていたこともあります。

でも、最初こそ母親に「それ、どこで買ったの」と尋ねられましたが、とっさに「パパに買ってもらった」と答えると、それ以上聞かれることはなかったといいます。

待っても、待っても。ほかの文房具を使っていても。母親が問い詰めてくることはありませんでした。
このころ無意識のうちに髪の毛を抜いてしまう症状が出て、頭に10円玉ほどの円形脱毛症ができていました。

小さな心が深く傷ついていたのです。
佑子さん
「自分から『盗んだ』と言うのは怖かったです。でも母親に気付いてほしかった。父親に『あの子に消しゴム買った?』とひとこと聞けば分かることですよね。気付いてもらって、本当は怒ってほしかったんだと思います」

専門家「存在を認めてほしい“心の飢餓感”」

佑子さんは、医学部に進学して授業を受ける中で、小学生の頃のこうした行為が「窃盗症」にあたるのではないかと考えるようになりました。
<窃盗症>
経済的な理由がないにも関わらず窃盗行為を繰り返す状態。
「クレプトマニア」とも呼ばれる依存症で、親から虐待を受けるなど、家庭環境や成育歴が影響するケースも少なくない。
佑子さんのケースについて、窃盗症の疑いがある2000人以上の診療に仲間とともにあたった専門家は、次のように指摘します。
竹村道夫 院長
「これまで診てきた患者の中にも、うつ病の母親のケアを続ける子どもなど、今であれば『ヤングケアラー』と呼ばれる人がいた。窃盗症で悩む人たちは、『自分の存在を認めてほしい』という心の飢餓感を持っている。受け入れてあげて安心感を与えたり、当事者どうしで体験を分かち合ったりすることで回復につなげることができる」

“いい子”として見過ごさないで

法律上、小学生のときの万引きについて罪に問われることはありません。

佑子さんは、万引きをした店に迷惑をかけてしまい申し訳ないと、反省と後悔の気持ちを語りました。

これまでの生活で経済的な困窮はありませんでした。

ただ、周りの人たちが当たり前のように受けてきた家族からの深い愛情を、自分は受けないまま大人になったと感じています。

その影響なのか、深い人間関係を築きたいと思える人が現れても、心の底からその人のことを信頼することができずにいると、苦しい胸の内を語りました。
佑子さんは、自身の経験を踏まえて「ヤングケアラー」について、こう話しました。

家族をケアする“いい子”として、見過ごさないでほしい。

“いい子”でいることを“当たり前”だと思わないでほしい。
佑子さん
「今の学校現場では、どうしても“いい子”ではない子に目が向けられがちです。“いい子”とされる子どもたちが、もしかしたら無理をしてその姿でいるのかもしれない。見過ごされているかもしれないと知ってほしいです」

取材後記

佑子さんは今回、テレビで「ヤングケアラー」の特集を見たことがきっかけで、過去を見つめ直し、ずっと抱えてきた思いを打ち明けました。

万引きという行為自体を、正当化することはできません。ただそれは、幼かった佑子さんが出すことができた精一杯のSOSのサインだったと感じました。

家族の介護やケアを担う子どもたちの存在やSOSに気がつくことができているのか。

「もしかして、あの子も?」という気づきにつながってほしい。そんな思いで、これからも当事者たちの声を伝えていきたいと思います。

NHKでは、知ってほしい“ヤングケアラー”という特設ページを立ち上げ、関連する記事をまとめているほか、みなさまのご意見やご自身の体験などを募集しています。

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首都圏局 記者
石川由季
2012年入局
前任地の宇都宮局でも障害のある兄弟姉妹がいる人たちを取材