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“静かな時限爆弾”に奪われた命 毎年600人の被害明らかに

「仕事は真面目に、一生懸命にやってきたつもりだよ。でも、なんでこんな病気になったんだろうね」
大工として働き続けアスベストが原因のがんで死亡した男性は亡くなる直前、悔しさに涙を流しました。
建設業で働いていた人のうち、毎年、600人余りがアスベストを吸い込んで病気になったとして、新たに労災と認定されています。
(社会部記者 間野まりえ)

アスベストに奪われた夫と息子

大坂春子さん
「夫と息子を返して欲しい。今でも本当に思いますよ」。

埼玉県に住む大坂春子さん(78)は2003年に夫の金雄さん(当時65)を、そして2014年には息子の誠さん(当時46)を、アスベストが原因のがんである、「中皮腫」で相次いで亡くしました。
夫 金雄さん
1937年生まれの金雄さんは中学を卒業してから大工になり、ふるさとの秋田から上京して、長年大工一筋で働いてきました。

春子さんは1943年に同じ秋田県で生まれました。金雄さんとお見合いで出会い、そのわずか1週間後に結婚。3人の子どもに恵まれました。

大工の仕事が忙しく新婚旅行には行けませんでしたが、そのかわり、仕事の合間をぬって金雄さんは関東近郊の温泉に連れていってくれました。
春子さんが肌身離さず持っている夫婦の写真
春子さんはその時の写真を、今でも、財布の中にいれて、肌身離さず持っています。

「亡くなるまでは365日どこへ行くにも一緒だったからね。写真を持ち歩いていれば、一緒にいられる気がして」

息子の誠さんは結婚の翌年に生まれました。

両親の働く姿を見て、大工を志すようになり、親子3人で一緒に働くようになりました。
誠さんと誠さんの妹の子どもたち 春子さん
そして知らず知らずのうちに建材に使われていたアスベストを大量に吸い込んでいたのです。

『まだ死にたくない』息子の悲痛な叫び

一家の日常は突然、奪われました。

2002年に金雄さんが体の痛みを訴え、のちに、アスベストが原因のがんの一種、中皮腫であることが分かったのです。

「俺はただ、仕事は真面目に、一生懸命にやってきたつもりだよ。でもなんでこんな病気になったんだろうね」

金雄さんは鏡にうつる自分のやせこけた姿を見て、悔しさに涙を流したと言います。

病状は急激に進行し、体の痛みを訴えた8か月後、2003年5月に亡くなりました。
夫 金雄さん
「人一倍元気だった夫がなぜ…」

突然の死を受け入れられなかった春子さんの力になってくれたのは、「これからは俺がおやじ代わりとして頑張るから」と励ましてくれた誠さんの存在でした。

しかしその10年後、誠さんも突然体の痛みを訴え、2013年に金雄さんと同じく、アスベストが原因の中皮腫と診断されました。

「もう手術はできない」と告げられ、春子さんは大きなショックを受けました。

翌年の2014年、誠さんの最期の日の光景は、今でも脳裏に焼き付いていると言います。

その日、病院にお見舞いに行くと、誠さんが珍しく「お母さんきょうは家に帰らないでね」とひきとめました。

驚きながらも「ずっといるから大丈夫だよ」と声をかけると、誠さんはほっとしたような顔でベッドに横になっていました。

しかし、病状が急変。

急に血を吐いて、引きつけを起こした誠さんは、「お母さん、俺まだ死にたくない。まだまだいっぱいやりたいことある」と言いました。

「大丈夫だよ。頑張ろうよ」

「まこ頑張ろう。頑張りよ」

それから3時間ほど春子さんは誠さんに一生懸命声をかけ、手を握り続けました。

はじめのうちはぎゅっと握り返してくれていた誠さんでしたが、その力がだんだん弱くなり、ついには握り返すことができなくなりました。

誠さんは、目の前で息を引き取りました。
息子 誠さん
大坂春子さん
「なんでこうなったんだろう、ていうのが一番強かった。企業がアスベストを含む建材を作らなければ、こんなはずなかったと思うと、今でも悔しさでいっぱいです」

“静かな時限爆弾”

日本の経済が急成長していた高度経済成長期。

高層ビルの建設が進む中、アスベストは軽量で安価、耐火にもすぐれ防音や断熱など、様々な用途で使われました。
アスベストの吹きつけ作業
アスベストは吸い込むと、肺がんや中皮腫など深刻な健康被害を引き起こしますが、潜伏期間が少なくとも10年以上、長いケースでは50年とも言われていて、「静かな時限爆弾」と呼ばれています。
建設現場で飛散する粉じん
アスベストをめぐって国内では2006年に製造や使用などが全面的に禁止されました。

ただ、かつて建設現場で働いていた人たちの中で、アスベストが原因の病気を発症する人が増えていて、今でも建設業だけで毎年、600人余りが新たに労災と認められています。

提訴から13年 最高裁が国の責任認める判決

2008年 東京地方裁判所
被害者や遺族は国や建材メーカーがアスベストの危険を知りながら対策を怠ったとして、2008年から全国各地で裁判を起こしました。
大坂春子さん(2008年)
集団訴訟の原告は現在、1200人あまりに上ります。弁護団によりますとこのうち、少なくともおよそ700人の被害者が亡くなっています。

最初の提訴から13年後の、ことし5月17日。
5月17日
一連の集団訴訟では初めて、最高裁判所は判決を言い渡し、国と一部の建材メーカーの賠償責任を認めました。

判決を受けて菅総理大臣は、5月18日、原告団らと面会し「内閣総理大臣として、責任を痛感し、心よりおわびを申しあげる」と謝罪しました。
謝罪する菅首相
総理と面会した原告団長をつとめる電気工事の元作業員の宮島和男さん(91)は、「判決が出るまでの13年間という年月は非常に長かったが、これまでに亡くなった多くの原告のことを思い、涙が出る思いもあった。国はこれから、和解や補償に向けた取り組みをしっかりと進めてほしい」と話していました。

そして同じ日に国と原告団は、基本合意書に調印しました。
国と原告団 基本合意書に調印
基本合意書には、
1 原告に、症状などに応じて1人あたり550万円から1300万円の和解金を支払うこと、
2 訴訟を起こしていない被害者への補償制度を設け、和解金と同じ額の給付金を支給することなどが盛り込まれました。

基本合意書に基づいて現在、開かれている国会で議員立法が提出され、6月9日の参議院本会議で可決・成立しました。

訴訟を起こしていない被害者への補償制度の対象は1975年から2004年に屋内の建設作業に従事するなどして、アスベストが原因の病気を発症した人とその遺族です。

厚生労働省によりますと補償制度の対象者は、これから発症するケースも含めておよそ3万1000人に上るとみられるということです。

残された課題…建材メーカーの責任は

しかし、まだ解決していない問題があります。
原告団は当初、国だけではなく、アスベストを含む建材を製造して販売していた建材メーカーにも責任があるとして、国とメーカーが協力して「基金」をつくり、そこから慰謝料を支払う制度を創設することを求めていました。

しかし、経済産業省が業界団体を通じてメーカーごとの生産量などを調べようとしましたが、メーカー側からは「データがない」などの理由で十分な回答は得られませんでした。

弁護団によりますと、関連する建材メーカーはおよそ200社あったとみられています。

メーカーの多くは「基金」への協力に難色を示しているとみられ、協力が得られる見通しは立っていません。

弁護団は今後、さらに裁判を起こして、全面解決のために建材メーカーがしんしに被害と向き合うよう、求めていく考えです。

残された課題…被害者が増える懸念

さらに、建設アスベストをめぐる健康被害はいまだ実態がつかめず、被害者が増えていくことも懸念されています。
電話相談(5月)
先月、弁護団が実施した電話相談には、761件の相談が寄せられましたが、詳細を聞き取った580件のうち76%が、労災の認定などを受けていない、新たな被害者の可能性がある人からの相談でした。

国土交通省が2009年に示した推計では、アスベストが使われた民間の建築物はおよそ280万棟にのぼるとみられます。

その建物の老朽化により、解体される数は2020年ごろにおよそ8万棟、2030年ごろにおよそ10万棟と、今後、ピークを迎えると推計されています。

厚生労働省によりますとアスベストの規制は徐々に強化されたため、どの建物に使われたのかその記録が残っていないケースがあり、解体時には事前の調査や飛散を防ぐための対策が求められます。

しかし、調査をしたもののアスベストを見落としたり、調査や対策を怠ったりしたケースが確認されていて、作業員などがアスベストを吸い込んでしまう、新たな被害が出ることも懸念されているのです。

アスベストは現在進行形の問題

アスベストが原因の中皮腫で夫と息子を失った大坂春子さんは、自身の78歳の誕生日のことし5月19日に、娘や孫たちとともに、お墓を訪れました。

夫の金雄さんと息子の誠さんに、「ようやくここまで来たよ」と初めて報告することができたと言います。
春子さんもかつては2人と一緒に働いていて、建設現場でアスベストを吸い込んでいたとみられています。

最近では息苦しさも感じていて、「いつ自分が発症するか分からない」という恐怖と向き合っています。

しかし、建材メーカーが被害者と向き合い、救済に動き出すまでは、まだまだ倒れるわけにはいかないと、「まだ迎えに来ないでね」とも伝えたそうです。

アスベストの使用は国内では15年前に全面的に禁止されたため今回、取材を進める中でもすでに解決された問題と思っている人が少なくないと感じました。

大坂さんのように「いつ発症するか分からない」という恐怖と向き合っている人はいまも大勢います。

戦後の日本の経済成長を陰で支え、その犠牲となったとも言える、建設アスベストの被害者や遺族たち。

この問題を過去のものとせず、社会全体で現在進行形の問題ととらえ、取り組んでいく必要があると思います。
社会部記者
間野まりえ
2011年入局
京都局・甲府局を経て2019年から厚労省担当
労働問題や社会保障を担当

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